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比較は最強で最恐な武器 (②私は最強編)
いざ入部!!!
中学生になった私。
なに部にしたと思います???
なななんと!!!
バレーボール部🏐にしました✨
これ部活勧誘あるあるだと思うんですけど
見学期間は、
めっちゃくちゃ先輩が優しい!!!
(いやこれ本当💦)
チヤホヤと先輩方の雰囲気が決め手となり
入部を決意。
仮入部期間終了後、
想像を絶するドロドロした女の世界を
知ることとなります🙈
恐ろしい派閥争い
本当に衝撃。
先輩たちのなかで
はっきりとした派閥があったのです!!!
総勢8人いる3年生は3・3・2人という形で
まとまり、それぞれが牽制し合っていました。
私たち1年生にとって派閥選びは今後の学校生活
(彼女らが卒業するまでの1年間)を左右する
重要なことでした。
同級生は、私含め5人しかいなかったですし、
初っ端から衝突は避けたいという思いを皆一様に持っていたんだと思います。
昼休み、空き教室に集合。
話し合いました。
「この派閥闘争は一時的なもの。
私たちは仲違いが起きないようにしていこ!」
と一致団結💪
派閥を選ぶ基準としては、初心者か否かと
性格の相性。
すんなり決まりました😅
その後の部活動では、
先輩たちに敵認定されないような気の遣い方や
他派閥の先輩方への振る舞いを模索する日々。
加えて、私は初心者だったので
みんなの足を引っ張らないように
練習に励みました👍
私の代は、ブラック部活が許された
最後の学年だったので、
夜8時までの練習は当たり前。
(さすがに中学校は閉まっちゃうので小学校が持つジュニアチームに混ざったりしました。)
土日は、両方練習試合。
唯一の救いは、月曜の朝練が休みであったこと😵💫
そんなに部活が厳しいんじゃあ、
勉学が疎かになっちゃうんでない???
と思いますよね🫣
実際は、両立できてしまったのです💨
平日は、部活終了後に速攻塾へ。
土日は、夕方で練習試合を終え、寝るまでに
宿題を終わらせていました。
本当に忙しかったです🫡
どこかに旅行した思い出とか全然ありません!
暇なときは、
愚痴を親に吐き散らかしていました。
(お母ちゃん、騒音だったであろう私の話を
聞いてくれてありがとう🥲)
そんな忙しない日々を送っているうちに、
いつの間にか3年生はいなくなっていました😊
舐められる先輩 爆誕
2年生になりました✌
4月から、ジュニアあがり(小学生の頃からバレーボールをやっていた人)のあーちゃん※仮称と
初心者の子2人が入部してくれました。
3年生は1人しかいなかったので
平和が訪れたぁ😙と油断した矢先、
事件が起こります。
同級生の内訳は、私含め初心者3人と
ジュニアあがりが2人。
(リーダー・エースです👍)
我ら初心者組は、
あーちゃんに注意をしたり、叱ったりが
一切できませんでした。
バレーは実力主義の世界です。
上手い子がモノを言えます。
なので、技術で勝ち目のないあーちゃんに
色々ためらってしまって💦
ある日の練習試合。
休憩時間中にリーダーとエースから
体育館の倉庫に呼び出され
初心者3人まとめて叱られました🥲
この出来事が決定打となり、
完全に同級生間で上下関係が生まれました。
つらい。
守れ!ポジション!
2年生中盤、突然あーちゃんが転校。
すると、"セッター"というポジションに
穴が空いてしまいました。
セッターとは、スパイカー(攻撃する人)のために
打ちやすい位置にボールを持ってきたりする人を指します。
初心者組から選び出されることとなり、
ありがたいことに
私が選ばれました🙇
でも、あまりにもヘタッピだったので、
何度も怒られ、悔しくて。
困った私は、友達のお母さんがママさんバレーをしているという噂を聞きつけ頼みこみ、
週3で教えてもらったりしました。
他校のセッターから技を盗み、"比較"し、
試行錯誤する毎日。
指導者からは、罵詈雑言の嵐。
結果として卒業するまで、
ポジションやレギュラー(試合に出るメンバー)の
座を奪われることはありませんでした。
これ本当に奇跡的だし、珍しいチーム✨
私らの代は人数が少ないにも関わらず、
毎年県大会への出場を決めていました。
また、ジュニアあがりが6人以上いたら
ほとんど試合に出られなかっただろうし、
初心者の人数がもっといたら
こんなに一人ひとり面倒を
みてもらえなかったと思います。
苦しくてつらい思い出もいっぱいあるけど
それ以上にこの部活生活は、かけがえのない
宝物です🫰
(今でも練習風景が夢に出てきます😙)
少女よ悩め!恩師を訪ねる。
2年の冬。
生徒会選挙が行われることになりました。
部活や勉強で忙しいのに、まだ手を出すのか!?自分よ!!!
同時に、進路を決めていく時期でもあったので
頭はてんてこ舞い🙃
「何を優先すればいい?」
「受験はどこ受けよう。」
「選挙の演説(体育館で3学年に向けて3分間話します😵💫)、怖いなぁ。でもやってみたいなぁ。」
この頭のぐるぐるをどうにかするため、
恩師であるO先生を訪ねることにしました。
O先生は、小学校6年間のうち3年間
私の担任をしてくださった方です。
運良く部活が休みになったある日。
一人で小学校へ出向きました。
アポ無しだったにも関わらず、
快く向き合ってくださいました。
あらゆる悩みや愚痴をさらけ出し、
涙や鼻水で
顔はグチョグチョ😑
全て聞き終えた先生は
静かに、私に語りかけます。
「勉強については、限界まで挑戦したら良い。
臆することないよ。
部活、頑張ってるねぇ!!!すごい!!!
誰でも得意不得意はあるから
気に病まないー。
絶対に走りきれる。
私が保証する。
生徒会はさぁ、
正直、会長になる自分想像できる?
つなかかんはさ、縁の下の力持ちタイプだと思う。マーチングの時だって(小4から所属していた課外活動)皆を支えるタイプのリーダーやったじゃん?役割で考えてみな!」
否定せず、共感せず、ただただ肯定。
そのうえでアドバイスをしてくださいました。
一気に視界がクリアに🥺(本当に感謝です🙇)
その日のうちに、親に受験校を宣言。
演説の原稿作成にも着手しました。
私の頭は、戦闘モード🔥
一つ一つ向き合うぞと心に決めたのでした。
高校受験って辛い。
無事生徒会選挙を終え、3年生に進級。
副会長としての活動が本格的に始動しました。
同時に3年生全員が受験を意識し始めます。
O先生の後押しもあり、気合いは十分。
伸び悩んだりもしましたが、
めげずに勉強しまくりました。
塾生同士で"比較"(順位が発表されると自分の立ち位置がわかります。)し合い、
同級生同士でテストの点数や受験校を
探り合う日々。
頑張れば頑張るほど心は疲弊しました。
疲れました。苦しかったです。
そんな傷ついた心に目を向けず
こう思ってしまったことを
私は心の底から後悔しています。
「今の自分を認めて労う時間が惜しい。」
そして、"比較"は
私のなかに
様々な想いや価値観を生み出しました。
絶対受かりたい。
有言実行する自分が見てみたい。
褒められたい。
認められたい。
馬鹿にする奴らに目に物見せてやりたい。
これまでの努力を無駄にしたくない。
私のアイデンティティは、頑張れること。
物語の主人公に、なりたい。
合格発表の日。
怖すぎて前日の夜はよく眠れなかったです。
母親と一緒に無言で会場に向かいました。
定刻となり、一斉に合格者の番号が張り出され、恐る恐る掲示板を見つめます。
「あっ!」
自分の受験番号を見つけ
喜びの感情が爆発したその瞬間、
"ワタシ"が現れました。
さぁ、皆さん。
"ワタシ"の正体、わかりますか???
『比較は最強で最恐な武器(③ワタシは最恐編)』へ続く!!!
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