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職場で腐ってしまった者の咆哮

ここ数日、ネットニュースを開くたびに「職場を腐らせる人たち」にまつわる記事を目にしていた。



連日、紹介されている記事のように、私自身これまで勤めてきた職場でも、この書籍に書いてある人物像にそのままそっくり当てはまる人間は、少なくとも一人か二人ぐらいはいたと思う。

自らの失敗に責任をとらず同僚や部下といった他人のせいにするひと、足を引っ張る人、人によって態度を変える人。これらすべての項目に共通するのは、自分のことしか見ていないと、改めて結論づけられるだろう。


数々の面接の場で退職理由を質問されるたびに、表向きでは「これまで培った経験を新天地に生かしたい」などと前向きに公言してきた。

一方で、前述のような類の人間に苛まれてきた事実に、苦痛を起こして悲鳴をあげてしまわないように隠し通してきた。

それが、自分自身の転職を成功させるための、大きな一歩になるからだ。それは私に限らず、社会人誰にでも言える共通項なのは間違いない。

だが、もしも何かのきっかけで、裏向きの事情を明るみにしたことで採用が通れば、今後の人生に骨を埋めるつもりで懸命に働く活力が、さらに湧いてくるかもしれない。


しかし現在もなお、世界各国と比較しても経済は大きく停滞したままだ。にも関わらず、泥にまみれた人を毛嫌いする潔癖症が蔓延しているこの現代社会じゃ、どれだけ狼煙をあげても一向に見向きもしないだろう。

そもそも、社会自体における弱肉強食の構図は、さらに・・・顕著に現れてきている。それでも即戦力だとか、会社にとって使い勝手の良い有能な人材にしか眼中にないようでは、いずれ一会社のみならず、日本社会全体的に完全に機能停止する日は近い。

本当に向き合うべきなのは、会社の従業員として使われる側の人間ではなく、自分達会社の従業員を使う立場にある人間だろう。そうはいっても、一個人が嘆いたところで何一つ変わりはしない。

なんなら、こうした題材に書くことにかける時間も労力も、一切ムダなのかもしれない。それでも何かしらの形で伝えなければ、いつまで経ってもただ傍観するだけしか能のない人間でしかない。


今も私がこの場で燻っているのは、まさに前述のような自己愛の塊に長年苦しめられてきたからであり、今後の人生においてもその者たちと苦楽を共にしたくない、という思いが根底にあるからである。

できることなら、そういった類の人とは金輪際ともに仕事したくないし、一生関わりたくもないと願いたいものだ。

だが今見ている現実では、様々な考えを持った人たちが今日こんにちも生き続けている以上、自分の思う通りの場所へと巡り合わせになるのは、極めて難しい。

それは百も承知しているが、これまで散々たる日々で泣き寝入りを経験しているからこそ、これ以上悲鳴をあげたくないのだ。


働く手段における多様化が進んだ現代社会では、一人でもフリーランスとして仕事を進め、生活を食い繋いでいくことは可能だ。 

だが私の場合、職場の…組織の一員として支えるべく、社内において信頼を構築するという目的の後押しがあったからこそ、いざ広大な海に投げ落とされた時に自力で泳ぐことができないように、一人でどうすることもままならない。

当然、今の自分が持ち合わせている技量や経験だけでは、自分よりも能力などが優れている方々が活躍している以上、対等に張り合うことは敵わない。 

それよりも、単独で生活を食い繋いでいけるようになるまで、どのくらいの歳月がかかるかすら未知数だ。



自らの意思で閉鎖的な現在地から離脱したにも関わらず、私は何も生まれないところで、いつまで燻り続けているのだろう。

ここでひとり嘆き苦しんでも変わらない。しかしながら、見通す力すら何もかも失ってしまった今の自分には、心から信頼を寄せる相手や頼るアテもなく、途方に暮れてばかりである。

だからこそ、たびたびネットニュースで取り上げられていた「職場を腐らせる人たち」を手に取って一読したことで、一歩前進するきっかけは生まれたと思う。

今後の社会人生においてどう転がろうと、自己愛に満ちた者との対処法は、この一冊だけでも少なからず得られたと考えたい。




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