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#062 身から出た旅。

自分の息子たちによく話すことがある。

「学歴は大事であるが、偏差値に大きな意味はない」

学歴=勉強の歩みはとても大事である。ものごとを深く知り、深く考えれば考えるほど、するめのような深い味わいがでてくる。それはするめ、そのものが美味しいからではなく、するめを味わえば味わうほど、より濃密な唾液が自らの口から溢れ出すからだと私は思っている。

一方で、偏差値が高いとは何だろうか、中学・高校・大学、入りたい学校の難易度といって差し支えないだろう。偏差値の高い学校(大学)に入る唯一のメリットは、大手企業の入社面接を受けられる挑戦権があることだけだと言っていいと思う。

大手企業に入ることが自らの資本を膨らます唯一の方法であると考える人ならば、このメリットは最大限享受すべきだと思う。しかしながら、偏差値の高い大学に向かっている時間よりも、それより後の人生のほうが長いことを考えたら、若くてみずみずしい時代を、大手企業への挑戦権を得るために時間を使うよりも、自らの資本をさらに膨らますことに使ったほうが有意義であると私は思う。

自らの資本とは、お金を稼ぐ力、健康でいられる心と体、他者と協力できる人間関係・信頼、そして、愛する人が自分を好きになるパーソナリティ、それらは自分がやりたいと思ったことが思うようになる・できるために、自分の中に蓄えられた力とも言える。

受検勉強は否定していないが、ただそれは自らの資本を形成するための一つの要素だと言っていい。人の時間は有限であり、挑戦権を得るためだけに若き時代の大半の時間を費やすのは賛成しがたい。受験勉強以外に何をするべきか?

体験しよう(旅にでよう)、読書をしよう、他人と関わろう、

この3つである。

人生で初めてやることは誰だって、不安に思うものである。2回目だと案外、スムーズにできる。3回目だと、もはや当たり前のことのように出来てしまう。社会に出る前に、初めてやること、初めて味わうこと、初めてのことを想像してみよう、実際に体験して失敗してみよう、そして次はどうするか作戦を立ててみよう、これの繰り返し、積み重ねて、資本は形成されていくものだと思っている。

だが、その体験を多く得るためには、中学受験をして、その環境を勝ち取らなければならなかった、という結論に私は帰着したのであったが、だとしても、中学受験の準備に入る前と、入った後の中高生の6年間は、出来る限り多く本に出会い、旅に出かけて、多くの人に出会い、人の資本=人の器を大きくしておくべきだと考える。

ふと思い立ったので、書き留めておこうと思ったが、結構、長くなってしまった。。。

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