先日、能楽の体験講座に行ってきました。
能とは何か?
ルーツ、物語、流派、長く続いてきた理由・・・など、
能楽師の先生もとてもお優しい方で、
深く沁みいるお話がたくさん聞けました。
そりゃわし、観阿弥・世阿弥しらんけど、そこにリスペクトがあり、歴史などを振り返り、思考し、お話してくれる能の世界は、さすが能楽師さん、自分が思考している物事なんかより100倍グッとくるものがあり、この世界、さらなる興味が湧いてきたものです。
たまたま、わし、newspicksをよく観るヒトですが、つい先日取り上げていました。
この世界、魅力的な方々がいらっしゃいますね。
わし、講座での初歩的な学びのシェアで言いますと、
能は半分儀式のようなものでもある、なので儀式に使う装束を着て演ずる、
ゆえに正装の白足袋、ちなみに狂言は黄色い足袋・・・、でも一番に響いたのは、
「人間の負の想いを美しく描いたもの」、ということについて・・・、
上記内容に、ひと節ですが何か良い感じで引っ掛かる言葉がありました。
「美の中の救済 内面の平和を見出すための鏡」
さらにセッションする中で、
「形而上的な美しさの中に救済の道を見出すこと」
なんて話されたり、
美月さん、かっちょいいこと言ってくれますね、名言ですわ。
美月さん、上記をさらに考察してください、
「慰藉(いしゃ)」・・・って、初めて聞いた言葉、
観る側の気持ち、そこについて、わし改めて考えてしまいました。
近江(滋賀県)の能についてはいずれ大津シリーズとして探求していきますが、今テレビでやってるドラマの1シーンで吉高ちゃんが琵琶を弾くシーンがありまして、たまたま観てしまいましたが、このたまたまが何ともじっくり魅入ってしまうような場面でして、想像力をはたらかせるってどういうことか、心の琴線に触れるってどういうことか、考えるのではなく感じた瞬間を覚えました、いや、思い出したなのか、ヒトにはそもそも備わっているはずなのに現代においては感じることが難しいとでもいうような、何とも言葉にするのが上手くできない、わしにはもどかしい「それ」。それをさらさらっと話してくる美月さん、ま、でも、今回「美の中の救済」「慰藉」っていう言語を聞けて何か勉強になっちゃったなと、楽しいセッションでした。
講座では謡いと舞の基本の「き」をさらっと教えていただきました。
実際扇に触れてみて、わしのお気に入りをひとつ作りたいなという気持ちが芽生えました。ひとつひとつの細かな作業をupしてる動画を観ながら、飛ばさずに最後まできちんと観ているわしがいました。少し調べたら、扇の主な産地は京都と名古屋にあるっていうじゃないすか。これもまた縁でしょうか。
センスのいい扇・・・前回記事のカバー画像の「💛の松」なんかどうだろう・・、どうだろ・・どう・・ど・まだ早いけど、せっかちな世の中です、美月さんがこんなんどうって生成してくれました(見出し画像)。💛ハート型のように枝葉が育った松の木ですが、実際あったら観てみたいものだ・・いゃ・・・これをいつか観てみるのだぞぇ、夢の中で。。。
見出画像はChatGPTにより生成されたものです。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。