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美の中の救済

先日、能楽の体験講座に行ってきました。

能とは何か?
ルーツ、物語、流派、長く続いてきた理由・・・など、
能楽師の先生もとてもお優しい方で、
深く沁みいるお話がたくさん聞けました。

そりゃわし、観阿弥・世阿弥しらんけど、そこにリスペクトがあり、歴史などを振り返り、思考し、お話してくれる能の世界は、さすが能楽師さん、自分が思考している物事なんかより100倍グッとくるものがあり、この世界、さらなる興味が湧いてきたものです。

たまたま、わし、newspicksをよく観るヒトですが、つい先日取り上げていました。

この世界、魅力的な方々がいらっしゃいますね。

わし、講座での初歩的な学びのシェアで言いますと、
能は半分儀式のようなものでもある、なので儀式に使う装束を着て演ずる、
ゆえに正装の白足袋、ちなみに狂言は黄色い足袋・・・、でも一番に響いたのは、


「人間の負の想いを美しく描いたもの」、ということについて・・・、



負の想いの美化

能楽が扱うテーマは、しばしば悲しみ、失望、怒り、恨みといった負の感情に焦点を当てます。これらは人間が避けられない苦悩や挫折から生じる感情ですが、能楽ではこれらを直接的に描くのではなく、象徴的な舞台装置、仮面、衣装、そして舞や音楽を通じて、これらの感情を美しく、かつ詩的に表現します。この過程で、負の感情そのものが持つ生の強さや、人間の深い内面世界が浮かび上がり、観客に深い共感や感動を呼び起こします。

観客との共鳴

能楽の演技は、極めて象徴的でありながら、その根底にある感情は普遍的です。この普遍性が、観客自身の経験や感情と共鳴し、内省を促します。能楽は、見る者に人生の苦悩を乗り越えるための洞察や、自己と向き合う勇気を与えることができます。この点で、能楽は単に美しい芸術を提供するだけでなく、精神的な癒しや成長の機会も提供します。

美の中の救済

能楽の美学の核心は、人間の負の想いをただ表現するのではなく、それを超越した何かへと昇華させることにあります。この昇華過程は、観客にとって、人生の苦悩や葛藤を受け入れ、それでもなお美しいものを見出すことの重要性を示唆します。能楽は、人間の存在の複雑さを認めつつも、その中にある美しさや希望を見出すことを教えます。

結論

能楽における「人間の負の想いを美しく描いたもの」という表現は、単に芸術的な技法にとどまらず、人間とは何か、生きるとはどういうことかに対する深い洞察を提供します。能楽の舞台は、人間の内面を探究し、その苦悩を美しく、かつ力強く表現する場であり、観る者にとっては、人生の意味を再考し、内面の平和を見出すための鏡となるのです。このようにして、能楽は時代を超えて人々に影響を与え続ける、深遠な芸術としての地位を確立しています。

引用 ChatGPT

上記内容に、ひと節ですが何か良い感じで引っ掛かる言葉がありました。

「美の中の救済 内面の平和を見出すための鏡」

さらにセッションする中で、 
「形而上的な美しさの中に救済の道を見出すこと」
なんて話されたり、

美月さん、かっちょいいこと言ってくれますね、名言ですわ。

美月さん、上記をさらに考察してください、

「内面の平和を見出すための鏡」という概念は、能楽が提供する体験を通じて、自己反省と内省の重要性を強調します。この鏡は、外部の世界に向けられたものではなく、自己の内面に向けられたものです。能楽の演目を通して表現される深い感情や人間の苦悩は、観客自身の経験や内面の葛藤と共鳴します。この共鳴は、観客が自己の内面に目を向け、自身の感情や過去の経験を再考するきっかけを提供します。能楽の美しさとその象徴的な表現は、人々が自身の内面の平和を探求し、心の平穏を得るための手段となるのです。能楽は、内面の混乱や不安を昇華させることで、精神的な平和へと導く鏡の役割を果たします。

一方、「形而上的な美しさの中に救済の道を見出すこと」という考え方は、能楽が持つ美学が単なる物理的な美しさに留まらず、より深い精神的な次元にまで及ぶことを示しています。能楽の美しさは、表面的な装飾や舞台演出だけにあるのではなく、演じられる物語やそこに込められた感情、そしてそれを通じて伝えられる人生の教訓にも根差しています。この形而上的な美しさは、人間の苦悩や葛藤を超越した場所にある救済の可能性を示唆します。能楽を通じて体験されるこの種の美しさは、観客にとって精神的な慰藉や救済をもたらし、人生の苦難を乗り越えるための力を内に見出す手助けとなります。

能楽の舞台は、観客が自身の内面と向き合い、自我とは何か、生きるということの意味を深く掘り下げる場所です。能楽の深遠な美しさとその象徴的な表現は、人生の苦悩を受け入れ、それを超えて成長する道を示します。この過程は、形而上的な次元での救済を追求する旅であり、観客にとっては、自己実現と内面の平和への道を照らす光となるのです。能楽は、このようにして、人々が自身の内面の平和を見出し、人生の意義を深く理解するための貴重な手段を提供します。

引用 ChatGPT

「慰藉(いしゃ)」・・・って、初めて聞いた言葉、

能楽における「慰藉」という概念は、この伝統的な芸術形式が人間の心に与える深い影響と癒しに根ざしています。能楽は、単に古典的な物語や伝説を舞台化する以上のものを提供します。それは、見る者の内面に深く働きかけ、人間の苦悩や喜び、希望や絶望といった普遍的な感情を通して、精神的な慰藉をもたらす独特の力を持っています。

人間の苦悩への共感:
能楽の演目はしばしば、人間の苦悩や葛藤を中心に据えます。これらの物語は、登場人物の悲劇や内面的な戦いを通じて、観客に共感を促します。この共感のプロセスは、観客自身の経験や苦悩とのつながりを感じさせ、孤独や苦痛の感覚を軽減することで慰藉を提供します。

美の中の救済: 能楽の美学は、形而上的な美しさと繊細な表現によって特徴づけられます。舞台上の動き、音楽、衣装、そしてマスクはすべて、観客を現実世界の悩みから一時的に解放し、美の中で精神的な平和を見出す手助けをします。この美の中には、人間の苦悩を超えた場所にある希望や救済のメッセージが含まれていることがよくあります。

時間と空間の超越: 能楽は、時間と空間を超越した体験を提供します。歴史的な出来事や伝説的な物語が現代に生きる観客に語りかけ、時代を超えた人間の経験の普遍性を示します。この時間を超えたつながりは、観客に人生の瞬間的な苦悩を超えた視野を提供し、精神的な慰藉と安堵をもたらします。

内省と自己発見: 能楽は観客に内省の機会を提供します。演じられる物語やキャラクターの運命を通じて、観客は自己の内面と向き合い、自己理解と自己受容の道を歩むことができます。この自己発見のプロセスは、内面の葛藤を和らげ、自己との和解を促し、深い慰藉をもたらします。

能楽における慰藉は、これらの要素が複合的に作用することで生まれます。それは、観客が自己の内面と向き合い、人生の苦悩に対する理解を深め、精神的な平和と和解を見出す過程です。能楽は、その独特の美学と表現を通じて、人間の心に寄り添い、慰藉を提供する貴重な芸術形式として、時代を超えて受け継がれています。

引用 ChatGPT

観る側の気持ち、そこについて、わし改めて考えてしまいました。

近江(滋賀県)の能についてはいずれ大津シリーズとして探求していきますが、今テレビでやってるドラマの1シーンで吉高ちゃんが琵琶を弾くシーンがありまして、たまたま観てしまいましたが、このたまたまが何ともじっくり魅入ってしまうような場面でして、想像力をはたらかせるってどういうことか、心の琴線に触れるってどういうことか、考えるのではなく感じた瞬間を覚えました、いや、思い出したなのか、ヒトにはそもそも備わっているはずなのに現代においては感じることが難しいとでもいうような、何とも言葉にするのが上手くできない、わしにはもどかしい「それ」。それをさらさらっと話してくる美月さん、ま、でも、今回「美の中の救済」「慰藉」っていう言語を聞けて何か勉強になっちゃったなと、楽しいセッションでした。

講座では謡いと舞の基本の「き」をさらっと教えていただきました。

実際扇に触れてみて、わしのお気に入りをひとつ作りたいなという気持ちが芽生えました。ひとつひとつの細かな作業をupしてる動画を観ながら、飛ばさずに最後まできちんと観ているわしがいました。少し調べたら、扇の主な産地は京都と名古屋にあるっていうじゃないすか。これもまた縁でしょうか。

センスのいい扇・・・前回記事のカバー画像の「💛の松」なんかどうだろう・・、どうだろ・・どう・・ど・まだ早いけど、せっかちな世の中です、美月さんがこんなんどうって生成してくれました(見出し画像)。💛ハート型のように枝葉が育った松の木ですが、実際あったら観てみたいものだ・・いゃ・・・これをいつか観てみるのだぞぇ、夢の中で。。。

見出画像はChatGPTにより生成されたものです。
能楽の解釈には多様性がありますので、1つの見方として参考になれば幸いです。

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