20240807 イラストエッセイ「読まずに死ねない本」 021 ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」
ソルジェニーツィンはドストエフスキーと並んで ぼくが一番尊敬しているソビエト・ロシアの作家です。
強制収容所で8年を過ごし、「収容所群島」「イワン・デニーソヴィチの一日」でノーベル文学賞を受賞しました。
ノーベル賞作家ということと、ソビエトの強制収容所を描いたということで、冷戦さなかの1970年代には西欧で大ブームになりました。西側による反共産主義のプロパガンダに使われたのだと今では思います。
ぼくが子供の頃、本屋さんには彼の本がずらーっと並んでいたものでした。
高校生の頃、読書にはまりましたが、ソルジェニーツィンは難しすぎて手がでませんでした。難しいというより、政治的というのかな。
定年退職して、よし読もうと思った時にはほとんどの本が絶版になっていました。
古本屋さんで揃え、手に入る限りのものを読みました。
ソルジェニーツィンを知らずに60年も生きてきたことを後悔しました。笑
これは反共産主義のプロパガンダではありません。もちろんスターリン批判はあります。しかしそれだけではありません。人間性のほとんどすべてが描かれています。崇高さも下劣さも。特に、悲惨の中でも失われない人間性が愛をもって、ユーモアをもって描かれています。文学として一流なんです。
ソルジェニーツインは愛国者です。愛国者ですけれどスターリンを批判しました。愛国と体制批判は矛盾しないのです。けれどもそれが理由で強制収容所(ラーゲリ)に送られ、8年間を過ごしました。
そこは人間性の全てが現れる、極限の場所でした。
普通の方には「収容所群島」はおススメしません。笑
現在絶版で、古本屋で新潮文庫全六冊そろいで買うと10000円もします。でも、ソルジェニーツィンのファンなら、絶対読むべきです。
「煉獄にて」もいいし、「ガン病棟」も良い。
でも、誰にでも親しめるのは、「イワンデニーソヴィチの一日」と「ソルジェニーツィン短編集」ですね。どちらも新潮文庫で読むことができます。
ですから今日は収容所群島の方を少しご紹介しますね。
ソルジェニーツィンは今申し上げたように、8年間を収容所で過ごしました。あまりにも理不尽な逮捕でした。彼は愛国者で対独戦の砲兵隊長であり、共産主義を信じ、命がけで戦っていたんです。でも同僚とほんの少しスターリンについて軽口をたたいたために、収容所に送られることになりました。
彼だけではありません。あらゆる人が、スターリンのリストによって、やがて、ノルマによって無実の人々が片端から収容所に送られました。家族は離散し、ほとんどの女性がレイプされ、男たちは労働による疲労と寒さと飢えで死にました。屋根もないシベリアの雪原に、雪を掘って暮らす場合もありました。そして材木を生産するノルマを達成するために奴隷のように働かされました。
悲惨さに輪をかけたのは、スターリンが政治犯と極悪犯とを同じ収容所に入れたことです。政治犯の人々はもともと善良な市民でした。彼らだけにしておくと、収容所の中に善良な社会が生まれてしまいます。助け合いや自己犠牲、献身などが支える美しい共同体が。それを阻止するために、極悪犯を混ぜました。彼らは女をレイプし、弱いものから奪い、老人を殴りました。こうして、ラーゲリの中には信頼関係が生まれず、疑心暗鬼、弱肉強食の地獄のような場所になったのでした。それだけではなく、看守や収容所当局に取り入って、囚人の責任者になったのがこうした極悪犯たちだったのです。
ソルジェニーツィンは不当に逮捕された人たちのケースを数多く紹介しています。怒りを込めてスターリンと秘密警察(青帽子)の非人間的なふるまいを告発します。「収容所群島」の九割はこうした悲惨な実例と、怒りの言葉に満ちています。
しかしです。
そうした地獄のような描写の中に、ほんの数回だけ、まるで冬空に一瞬だけ太陽が差すような、美しい光景が描かれることがあるのです。
それは、この悲惨な収容所の中に、疑心暗鬼と人間不信が支配する収容所の中に、必ず、いいですか、必ずですよ、少数ですが「良い人」がいたというのです。どこの収容所へ行っても、かならずそういう人がいる。
彼らはまるで近所を散歩しているみたいに朗らかに収容所の中を歩く。笑顔を浮かべて「おはよう」とあいさつする。腹を減らしている人には自分のパンを半分分けてやり、疲れて倒れている人には手を貸してやる。
ほとんどの人が自分さえ生き残れば良い、他人のことなど構っていられない、という状況でです。
ソルジェニーツインは感動を込めてこういう人々を描写します。
そして、「学校教育とは、このような良い人間を育てるためにあるべきだ」と言います。
良いとは何か。善とは何か。そういう哲学的な話ではありませせん。
朗らかで、親切な人。こういう人たちを良い人というのです。
もう一つ、ソルジェニーツインは、政治犯の全ては無実の罪だったと言います。不当に逮捕され、不当に強制労働させられている。スターリンは決して許されるべきではない。これが大前提です。
しかし、それにもかかわらず、全ての政治犯は自分が罪人であることを自覚するに至ったと書きます。
政治犯たちは毎日、「なぜ自分が逮捕されたのか」「自分の何が悪かったのか」と自問しない日はありません。すると、必ず何かしらの「罪」を見出すのだと言います。「隣の人が泣いている時に自分は助けてあげたか?」「隣の人が不当な目に合っている時に自分は声をあげたか?」いいや、そうしなかった!
ごくまれに、収容所全体がこうした贖罪の気分に包まれることがあったといいます。囚人たちは自分の罪を自覚し、懺悔した。そして彼らは「清められた」とソルジェニーツィンは書きます。
彼らは自らの罪を懺悔し、清められた。
収容所全体が清められたように感じる瞬間が、何度かあった。
その一方、スターリンや秘密警察、権力に取り入って告発を免れたものたちは清められなかった。むしろ堕落し、自らを損なった。
戦争で負けた者たちは多くを学んだ。しかし戦争に勝ったものたちは何一つ学ばなかった。スターリンはこうも言うのです。
ソルジェニーツィンはこのような美しい光景を目の当たりにして、共産主義を捨て、キリスト教信仰を持つようになりました。
共産主義国家が例外なく専制君主国家になり、無実の民を弾圧するようになったことは驚くべきことです。
1970年代には誰もそんな風になるとは思っていませんでした。
ぼくたち還暦以上の世代は、若い頃に平和憲法で育ち、多くの人が共産主義を楽園だと信じた時期があったのです。
今になって思うと、共産主義には自己批判の視線がありませんでした。その結果、自己絶対化の罠に陥り、専制君主国家になったのです。
ここからも、反対意見との緊張関係の中にしか人間が生きる道はないということが分かります。
それにしても、ロシアの人たちは支配者には恵まれませんね。
いつの時代でも支配者と秘密警察に苦しめられている。
しかし、そんな絶望的な世界で、ごく少数の「良い人たち」が普通に生きているのです。
「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャのような人が、「白痴」のムイシュキン侯爵のような人が、「イワンの馬鹿」のイワンのような人が。そして「イワンデニーソヴィチの一日」のイワンのような。
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