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大人になんかなるなよ、死ぬなよ、

「大人にならなくていいのに」そう悲しそうに、何気なく先生は言った。少し暑くなった病室に、静かな風が吹く。春の終わりの匂いがした。



昨日、初めてのメンタルクリニックへ行った。東京から引っ越したせいで、新しい病院を探していたからだ。「3ヶ月後になっちゃうんですけど…」予約時にそう言われた時は絶望したけれど、なんとか騙し騙しこの日を迎えた。精神科は、ほんとうに空いていない。今日死にたいのに!今日がもう無理なのに!勇気を出して連絡しても断られる日々。いのちの電話なんて繋がった試しがないし、大体のカウンセリングは高すぎる。世界は生きていろと脅迫するくせに、まったく優しくない。そんな矛盾をわたしたちは飲み込みながら、必死で薬を握りしめる。そんな夜ばかりだった。

精神科ではまず、心を病んだ原因について聞き取りされる。毎回病院が変わるたびに、初診のこのハードルの高さに辟易とする。どんなに他人事ぶっても、淡々と話しても、自分の過去が目の前に現れてトラウマとフラッシュバックが襲ってくる。その苦しみに耐えながら、正常ぶってきちんと話そうとしてしまう。

「生まれてから〜」からはじまるわたしの物語。親の家庭環境、自分の家庭環境。宗教に政治、転校にいじめ。話せば話すほど、遠くなったり近くなったりする過去の自分。無限に出てきてしまう苦しみを、精一杯順序立てて話す。何度も物語化しようとしたし、理解もしてきたつもりだ。けれど、その手触りが明確になればなるほど、苦しみは激しくなる。

心理士さんが絶句するのを見て、すこしだけ安心する。ああ、自分は不幸で当たり前なんだ、と。「どこから、なんて言ってあげればいいか…」言葉を選ぼうとする心理士さんに、申し訳なく思う。それでも、わたしの悲しみを共有してくれたことに背徳感のような喜びを感じてしまうのは、わたしが病んでいるからだろうか。

1時間話して、先生にバトンタッチ。なかなか進まない診察、精神科は一日がかりのことが多い。ふと周りをみると、子どもたちが多いことに気がつく。思春期のクリニックでもあるここには、通う子どもたちがたくさんいるらしい。昔の自分を見ているようで、不安感と悲しみが増す。髪を永遠にとかす女の子、悲しそうに顔をしかめつづけている男の子、モヒカンにベリーショート、赤髪にたくさんのピアス。まるで色鮮やかな植物園のような子どもたちを見て、彼らの個性が、彼らの生き方が認められる世界であるようにと胸が締め付けられるほどに願う。「みんな違ってみんないい」と言いながら、絶対にそれを許してくれないこの世界が、すこしでも彼らにやさしくあるように。

先生に呼ばれ、診察室へ。「どこから話せばいいかな」そう顔をしかめる先生は若くて坊主、なんだか昭和の先生みたいで可愛い。「…ですよねえ」と思わずヘラヘラするわたしを、まっすぐ見つめる。その瞳の鋭さに、見透かされているような気持ちになる。ぽつぽつと、聞かれたことに答え続け、「診断は、複雑性PTSDです」そう告げられる。今まで何度も病名が変わってきた。境界性パーソナリティ障害、躁鬱、鬱、不安障害。そのどれとも違う病名。詳しく聞きながら、確かにわたしはこれだなあと自覚する。PTSDと違うのは、はっきりとした原因があるのではなく、繰り返された苦しみや悲しみによるものだということ。そして、様々なトリガーがあり、自己否定感に支配されるということ。

先生はサクッと続ける。「発達障害だねえ」自覚はあったものの告げられたことは初めてで、思わずビクッとする。愛着障害と発達障害の併発、その言葉に深く納得しながら傷つきもする。自分の病名と向き合うたび、自分の人生と向き合うたびに傷つくのは仕方のないことだ。それでもつい、"人間失格"がよぎってしまう。

「なんかさ、なんでも話せるひといる?」そう聞かれ、思わず話し出す。

「なんでも、というか、苦しいことを聞いてくれたり悲しいことを聞いてくれるひとは、います。

でも、世界で一番自分が不幸、みたいなことをずっと言ってる奴って"嫌われる"んですよ。ウザがられるんですよ、みんな、楽しい話、したいんですよ」

言ってしまった、と思った時には止まらない。それはわたしが散々ひとに嫌われてきた事実から、出た言葉で。自嘲気味に、ただその事実を語る。

「みんな、やっぱり生活は大変で。自分のことで精一杯なのが当たり前で。そんな毎日で、わたしの苦しみや悲しみを永遠に聞いてくれるひとなんて、いるわけなくて。それが当たり前で。

だから、わたし、大人になろうって思ったんです。大人はそう言うこと言わないから、辛くても我慢するし、吐き出したりしないから。うん、だから、わたし、大人になりました」

いつのまにか泣きながら笑っていた。

それを見て、先生も、悲しそうに微笑んでいた。

春の終わりの匂いがした。



この世界は残酷だ。それを痛いほど知っている。大人にならなくていいのに、といくら先生に言われても、わたしたちは大人にならざるを得ない。だって、今日のご飯は作らないといけないし、働けなければ死ぬだけだ。この世は、生きろと言いながら簡単にわたしたちを殺す。愛情が生まれてくることのない両親に何を求めても無駄だし、暴れて泣いても、明日は来る。ひとに好かれたいなら、好かれるように努力しなければいけない。ありのまま、なんて許してくれることはない。

ほんとうはいつだって叫び出したい。泣きながら大声で愛してくれ!と言い続けたい。地面に転がる3歳児のように世界を呪って、ぜんぶひとのせいにしたい。永遠に酒を飲みながら泣いていたいし、ひとに慰めてほしい。

でも、わたしはやっぱりこの世界で生きていたいから。大人になることはできなくても、それっぽい着ぐるみを着て、大人のふりして生きていくしかないから。

先生は「アンビバレンツだね」と最後に言った。わたしは一生相反する、憎しみと愛でボロボロだろう。生きていたくて、死にたくて。世界が愛おしくて、憎くて。呪いのような、深い激情を抱えながら。それでも、わたしは明日を、未来を夢見ている。

だから、わたしは画面の向こうのあなたを、ほんとうに心から愛そう。あなたが抱える苦しみも辛さも、わたしがほんとうに理解することなんてできない。でも、わたしの前では3歳児になってよ。いやだいやだって叫びながら泣いてよ。そして、わたしとこの世界を呪って、愛してよ。大人になんてならなくていいよ、世界の片隅で膝を抱えて泣く君よ。

わたしのこの言葉は無責任で、あなたを苦しめるかもしれない。それでも、この場所だけは、この文章を読んだ時には、あなたが子どもになれるように。あなたが大人であることを忘れて、ただ泣けるように。そんな愛おしいほどの苦しみを、あなたに捧ぐから。

わたしたちは絶望だ。けれど、わたしが生きていることがあなたの希望になるならば、わたしは明日も生きるから。そして、同じようにわたしの希望はあなたが生きていることだから。

だから、残酷な生きてほしいという願いを心から。

どうか、どうか、生きていてください。

そして、今日を生きててくれてありがとう。

また明日、また明日。

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