見出し画像

通俗道徳がモラルハザードを引き起こす理由

もし通俗道徳が本当に社会全体に行き渡りそれを卒なくこなしているのならばまだマシである。しかしそんな社会も時代も実際はほとんどない。通俗道徳は必ずどこかで権威主義と結びついて社会を衰退させ荒廃させてしまう。

たとえば「必ず礼儀正しくしなくてはならない」という通俗道徳があったとして、これは間違いではない。凄く正しいことだ。

挨拶をする事は必要であり、食事マナーも必要である。ただこれはあくまでも集団や組織の専制主義と直結していない個々人の嗜みの話だ。

こういうものは集団や組織の義務・責務でやるものではなく生活習慣の延長として自然にやるものだ。

しかしこれが「上役や先輩には必ずしなくてはならないが上役や先輩はしなくてもいいし上役や先輩は部下や後輩に横柄な態度をとってもいい」であればこれはどこかで専制権威主義に取り込まれて上意下達通俗道徳になってしまう。

ジャニーズ事務所とそこのタレントが「笑顔と感動の輪を世界に」を標榜にして大活躍したところで、ジャニー喜多川の性加害の大活躍を告発できない時点でただの上意下達通俗エンタメであり、結局社会を時間をかけて腐らせただけである。

組織の役員、マネジャー、タレント、ファン、マスメディア・スポンサー関係者全員が共犯で路上にう〇こをまき散らしただけだ。

これもよくある「プロ意識でファンを喜ばせる」「お世話になった人を非難してはいけない」という通俗道徳が基盤になっている。

実際は「笑顔と感動の輪を世界に」ではなく「ジャニタレの引き攣った偽の笑顔と痛いジャニオタの輪を日本に」作っただけである。

宝塚とそこのタレントが「清く正しく美しく」を標榜にして大活躍したところで、実際は「ケバく危うく醜く」がピッタリである。

豊田商事やビッグモーターと同じようなブラック組織が実状だし昭和後期の女子プロレス団体のような香ばしさを醸し出している。

今時こんな古臭い標榜を掲げている時点でお里が知れている。

ケバい化粧と演出と稽古で情弱や信者は欺けても組織体質は隠せない。宝塚も「お客様「夢」と「感動」をお届けする」事をモットーにしているが3流のブラック組織がよく持ち出す標語そのものである。

つまり通俗道徳が仮に反権威と直結しているのならばまだ機能するが、通俗道徳が専制主義とセットな時点で必ず上から下の暴力、下から上の忖度が発生し組織が空気に支配される。そしてキャッチーな標榜文句と組織体質が見事に現実と乖離していき、明白に社会に牙を向き始める。

通俗道徳の大半はモラルハザードを引き起こす。まだそこらへんの不良の方がマシだ。

学習教材(数百円)に使います。