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#014.練習量は比例する?



昭和的発想

昭和という時代はとにかく長時間努力を続けることが(結果は関係なく)美談になり、何事にも上達するためには苦労して苦労して長い時間をかける中で見出すことこそが重要であると本気で思われていました。

だから仕事も残業すればするほど勤勉で(結果は関係なく)、試験前にどれだけ時間をかけて勉強したかで優劣を競い(結果は関係なく)、努力とは体力的、精神的に追い込みをかけ、それでもなお打ち勝つことであるとテレビアニメはうたい、ドラマでは非行少年たちが熱血ラグビーで監督にボコボコにされながら更生し、サラリーマンは栄養ドリンクを飲んで24時間戦えますか?と睡眠を取らせないCMが流行するすごい時代でした。

それが平成も終わり頃になってやっと「それって本当?」と異を唱える人が増えてきたように感じます。

自分の思うようにならない環境を何でもすぐ「ブラック」と呼ぶ風潮は嫌いですが、コンプライアンスを守れない企業が減り、ハラスメントを監視する目ができて、肉体的だけでなく精神的な側面が人間にとって重要な位置づけになっていることを社会が理解できるようになってきたのは良いことです。

話は昭和から平成初期の部活動に戻ります。


僕が中学生の頃(35年前)の部活動は、不良とか非行少年と呼ばれるやんちゃな子どもたちがまだそれなりにいた時代で、全生徒を部活動に強制加入させることで「放課後繁華街でフラついてよからぬことをさせない」という目的がそこにはあったのかもしれません。

そして、いわゆる強豪校と呼ばれる学校は一年の間で休みがお盆と正月しかないところも当時は多くありました。吹奏楽部では、

「たくさん練習しないとコンクールで金賞が取れない」いや、むしろ「たくさん練習することで結果がついてくる」

という安直なイメージがこびりついていて、実際、僕が中学生の時の吹奏楽部は午前の早い時間から活動が始まり、当時まだ冷房がまったくなかった音楽室や体育館で夕方までお昼休憩以外ほぼノンストップの練習が続き、コンクール前になるとコーチが「欲しがりません勝つまでは(戦時中の市民に対して掲げたスローガンのひとつ)」とか言い出してました。あれは冗談だったか本気か今となってはわかりません。

一方、数年前のことになりますが、どこかのサッカー部が1日の練習時間2時間で、休みの日もきちんと設けて結果的にベスト8まで上り詰めた話を聞いたことがあります。こうした話を聞くと、長時間の練習だけが結果を残せるというわけでもないことがわります。

音大生のときの話

昭和的発想でいつまでも練習をし続けていては、当然限界をむかえます。それは僕が一番よくわかっています。しかし音大生の時の僕はそれをまったく理解していませんでした。

「音大生のときの思い出って何ですか?」と聞かれたら、「朝から晩まで休むことなくラッパ吹いてました」って言います。本当にそれしかしていませんでした。

音大生は課題をこなしたり、試験やコンクールを目指してたくさんの譜読みをしなければならいため、少なからず長時間練習の傾向になるのは当然ですが、問題は中身。ひとつひとつがきちんと意味を持った効率的な練習であったか、という点で言うなら、それは酷かったと言えます。

私が授業以外でトランペットを吹き続けていた本当の意味は、楽器を持って音を出していないと、自分が他の人からどんどん取り残されてしまうのではないか、という不安を払拭するためでした。他の人より長く吹くことで安心したかっただけなのです。実際僕は他の人に比べてとても不器用で楽譜の理解も遅いし、音楽的知識も稚拙だし、テクニックもなかったので勢いだけでなんとかしてしまう乱暴な演奏ばかりをしていたので、一日中楽器を吹いていてもこれではまったく意味がありませんでした。

長時間練習は当然結果を残してくれず、試験やコンクールも散々な結果ばかりでした。練習時間と結果は必ずしも比例しない、と理解しておきたいものです。

趣味でトランペットを吹いている方へ

今回なぜこんな話をしたか、と言いますと、趣味でトランペットを演奏されている方へお伝えしたいことがあるのです。

「週末しか練習できないから上達しない」「練習量が少ないから下手になった」という方の声をレッスンなどでよく耳にするのですが、一概にそうは言い切れません。

もちろん、意味のある練習を毎日ある程度の時間をかけて効率良く続けることが最も上達するとは思いますが、そうしなければ上達しない、なんてことはありません。たとえ週末しか楽器が吹けなくても具体的な目標を定め、意味のある内容をきちんと理論立てて練習できれば、安定した演奏は必ずできます。

そもそも、練習量と上達をハカリにかけている時点でそれはすでに昭和的発想だと思うべきで、物理的に練習がそんなにできないならば自分の環境の中で最もベストな練習スタイルを見出していくことを考えたほうがよほど効率的と言えます。

慌てずに自分のペースで良いですから、トランペットが吹ける時間を可能な限り濃い中身にできるよう、工夫してください。

ただし、時間のかかることがあります

ただし、どうしても時間がかかることがいくつかあります。挙げてみます。

1.研究や実験には時間がかかる
新しいテクニックを自分のものにするために試行錯誤を繰り返して研究・実験する時間がトランペットには必要です。その内容によっては数週間、数ヶ月かかることあります。一度できただけでは再現性が低いので、本番で使えるくらいの強いインプットとアウトプットができるようになるには、相当な時間がかかると思っていたほうが良いでしょう。大切なのは慌てて自分のものにしようとしないことです。

2.演奏する作品の演奏時間が長い、曲数が多い場合
演奏時間が長い作品や、演奏する作品の数が多い場合は当然それらをこなすための物理的な譜読み時間が必要です。ただし譜読みも長くダラダラとやるものではなく、頭を使って効率的にこなせる方法があります。

3.トランペットを始めたばかりの方は時間と上達が比例する可能性があります
これまでの話と矛盾しているようですが、音楽やトランペットについての知識や経験がまだ浅い初期は、どれだけ楽器に触れているかが成長を左右することも多いです。これは自転車に乗れるようになるためのバランス感覚を手に入れるまでの時間と似ています。理屈より体に感覚的に覚え込ませることも大切な要素です。ただし、我流ですべてやってしまうと間違った吹き方を覚えてしまうため、危険が伴う可能性もあります。

そういった点ではレッスンを受けるとか、信頼できる教則本などを元に実践していくことが安心です。

真逆も試してみる

最初から正しい方向性ばかりを意識しすぎると「そうでなければならない」という発想が保守的な方向性になり、いつの間にか少しずつ我流になって「言われた通りやっているのにできるようにならない!」と思考の迷宮にはまることがあります。

そうならないために、「これをやってはいけない」「これをすると上手く演奏できない」「いつもと逆のことをするとどうなるか」などを負担がかからない程度に敢えてやってみましょう。そうすると、両極の状態を理解し、視界が広がるので、方向性がブレたときに「あ、これはあかんやつや」とすぐ気付くことができます。

勘違いしている長時間の効能

ある程度楽器が演奏できるようになると「バテ」という存在に気づきます。バテとは、からだ(主に唇やその周辺)が思うようにコントロールできなくなる状態で、原因は唇の血流の問題や筋力的な問題など理由はいくつかあります。トランペットは休憩(吹かない時間)をこまめに入れる必要がある楽器です。

しかし、また中学生の頃の話になりますが、バテについてこんなことを言われました。

「バテるのは練習が足りないから」
「バテるのは気合と根性が足りないから」
「バテても普通に吹けるように練習すべき」
「バテてからが勝負」

肉体の限界を精神でカバーする。なんと危険な発想でしょうか。当然これらの発想は間違っています。そう言えば小学生の時に入ってたサッカークラブでは、練習中に水を飲むと体がバテやすくなるから飲んではいけないと言われていました。学校の先生がそれを当然のように言っていたのですから恐ろしいですよね。よく誰も倒れなかったな、と今になって思います。

トランペットにおいてのバテは、その対策として「バテにくい練習を構築(バテる前に休憩をこまめに取る)」「バテにくい吹き方の研究」を考えるべきで、肉体的な問題だけでなく、精神面、集中力が常に健康な状態にキープされていることを条件として楽器や音楽と向き合うことが大切です。

感覚的習得

初心者の方は特にですが、正解ばかりを追い求めるずにいろいろと試してみることにより知識と経験の幅が広がります。たくさん実験して、その中から良さそうだなと感じる方向性(真逆も)を掴み、クオリティを上げていってください。

そのための提案ですが、お仕事や勉強が忙しい方は、例えば毎日朝と夜に5分だけでもマウスピースを(できれば楽器に装着した状態で)唇に貼り付ける時間を確保してみましょう。この時間は、感覚をアウトプット/インプットをする時間です。セッティングや音を出すまでのルーティンを感覚的に手に入れ、ほんの少しでも良いので、どうしたら唇が良い振動を発生させられるかを実験してみます。

こうした感覚的なインプットを欠かさなければ、週末楽団などでトランペットを吹く時にスムーズなスタートを切れる可能性が高まります。

トランペットは時間をかけてゆっくりと、難しく考えすぎずに、憧れや目標を常に持ち、意欲的に楽しく進めることが大切です。


それでは、また次回!

荻原明(おぎわらあきら)

荻原明(おぎわらあきら)です。記事をご覧いただきありがとうございます。 いただいたサポートは、音楽活動の資金に充てさせていただきます。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。