見出し画像

■COVID-19マターを「“触覚”の真の理解」の好機と見るのが基本!更に、新コロナ禍の本質が«外界の思考»喪失に因る«潜性イノヴェーション» の放棄(リベラル共和が創成する未生の無視)なる現実に覚醒すべき!新自由主義のショックドクトリン-ツール化は論外!

■COVID-19マターを「“触覚”の真の理解」の好機と見るのが基本!更に、新コロナ禍の本質が«外界の思考»喪失に因る«潜性イノヴェーション» の放棄(リベラル共和が創成する未生の無視)なる現実に覚醒すべき!新自由主義のショックドクトリン-ツール化は論外!

・・・それは、疾うに賞味期限が切れた新自由主義がショックドクトリンとしての新たな出番を虎視眈々と窺っているから!・・・

◆これは重要だが問題の本質は«外界の思考»機会の喪失での«潜性イノヴェーション» の欠損(リベラル共和的な未来・未生の可能性の棄損!であることに気付くべき!  →触る 握手できぬ社会、熱量はどこに/リモート化加速 ストレスも快適さも821朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1296842262484115456

触る

・・・当視点は重要ながら、問題の本質が「«外界の思考»(@ M・ガブリエル)機会の喪失による«潜性イノヴェーション/↓♨1、2»の欠損(ヒトのリベラル共和での未来・未生の可能性の棄損!)であることに気付くべき!さもなければ「同じ新コロナ禍で瀕死の«新自由主義&キルヒッシュ(↓関連-補足1)が野合したアベ・トランプら“情念暴走”権力»が狡猾に仕掛けるショックドクトリン(@ナオミ・クライン)の再来(↓♨3)で、民主主義深化の機会が根こそぎ」にされる! →(人と間 コロナ禍の距離)触る 握手できぬ社会、熱量はどこに/リモート化加速 ストレスもかいてきさも821朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1296842262484115456

♨1新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜在イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(1/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/03/25/042759

セザンヌ

♨2新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜在イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

画像3

♨3 20200816NHK BS1スペシャル「コロナ危機 未来の選択~ナオミ・クライン~」/新自由主義の勝者(GAFAら)が仕掛けるショックドクトリン再来に警戒せよスクリーンニューディール傾斜ではなくグリーンニューディールの重視を!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1296843470200397824

ナオミ・クライン

<補足>
ショックドクトリン・・・大惨事などの衝撃出来事を好機と捉え、動揺する多くの人々の心理を巧妙に利用する、惨事便乗型の政策手法のこと。https://www.iwanami.co.jp/book/b262196.html

スクリーンニューディール・・・ジャーナリストのナオミ・クラインが、「スクリーン・ニューディール」の到来に警鐘を鳴らしている。シリコンバレーが新型コロナ危機に乗じて、リモート学習やオンライン診療などの非接触型テクノロジーを拡充。「人間をマシンに置き換える」構想を加速させていると主張している。https://courrier.jp/news/archives/208788/

グリーンニューディール・・・「温暖化防止と経済格差の是正を同時に実現することを目指す経済政策。かつてルーズベルト大統領が世界恐慌の時に行ったニューディールを環境問題の解決と格差是正という喫緊の今日的な課題の下で行おうというもの。http://ieei.or.jp/ かつ(2)現代「公共選択」(国家政治経済政策)の主流が今や“格差”拡大の是正に全く無効になってしまった新自由主義の儘で経過中》であるという厳しい(恐るべき!)現実を理解することが必須!2019/02/special201608025/

・・・

(関連)

【宗教ナチ、フェルキッシュに嵌ったアベ日本】
・・・特に«政府諮問会議等へ参加する科学者»らは、政治に関わる二つの事実を、つまり《(1)「権力の根源は宿命的に専横なヒト(特に人治主義を好むアベorトランプ型の政治権力者)の感情(情念)」であり、
・・・かつ(2)現代「公共選択」(国家政治経済政策)の主流が今や“格差”拡大の是正に全く無効になってしまった新自由主義の儘で経過中》であるという厳しい(恐るべき!)現実を理解することが必須!

<補足>憲法上の«厳格な政教分離»原則の重要な役割は「宗教的フェルキッシュへの政治的ワクチン効果」である

「ライシテ/laicite」(フランスにおける、明確な政教分離の観念を表す言語表象)が初めてフランス共和国憲法の中に現れるのは、パリコミューン(1871)の後に制定された「第三共和国憲法」(制定1875)が、1884年(明治17年/大日本帝国憲法・公布の1889年から5年前)に改正された時である。

つまり、あの過酷な大革命を経たフランスでさえも、«血塗れの100年»の過酷な歴史経験の更なる上塗りをを経て、やっとのことで「政治・行政の公的な空間における厳格な政教分離の原則が広く人々の間で共有され、その憲法に取り込まれた」ということになる訳である。

つまり、漸くこの時になってフランスは«政治体制的な意味での持続復元力=宗教的フェルキッシュ体制への政治的ワクチン効果»を確保したことになる。従って、一般的には「ライシテ=世俗主義(ポピュリズムの一環)」と訳されることが多いようだが、上の如き大革命後のフランス史を顧みれば誤りであるといえる。

因みに、エピジェネティックhttps://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6なものとも喩え得る「政治体制的な意味での持続復元力」とは、遍し(一般的な)<生命の論理>(赤の女王への抗い)の意味でもある(この点の委細は下記★を参照乞う)

「ゼロサム赤の女王」についての記述の個所! → (新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」で繋ぐ『日常』にある(2/2))https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

・・・

・・・また更に《(1)の更なる横暴化》の天敵たる「リアリズム倫理」(希望(リベラル共和型)の潜性イノヴェーション論に繋がる≪外界の思考/M・ガブリエル≫)のため「選言論」(言語哲学)の理解が必須である!
・・・一方、(2)は経済学「第二の危機」(≪注≫第一の危機は新古典派が無効化した大恐慌の時代を指し、これを救済したのがケインズ革命!)(1970年代~/グローバリズム深化に因り、今度はケインズ主義が無効化したため1970年代以降は新自由主義の闖入を許し今に至った!
・・・愈々、ニューケインジアン、J・ロビンソンor宇沢弘文“不均衡動学”らの人間的資本主義経済論が復活する時代へ向かうか? →新型コロナ~政治と科学専門家よ政官に利用されるな/科学不信招けば情緒的強硬策(愚かな)へ:千葉大名誉教授・新藤宗幸氏821朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1296720785487179776

補足/1 神格総統ヒトラーの12年はカルト宗教フェルキッシュ(国家社会主義ナチス党/@G.L.モッセ、画像)の異様な時代であり、安倍晋三の7年間は同じくカルト宗教フェルキッシュ(#日本会議 支配下自民党)の神格アベ総裁なる、“てんこ盛り”の嘘で爛れた日本大衆フェルキッシュ信徒化なる異常な時代であったhttps://evernote.com/shard/s440/sh/c48c5d09-799f-48f8-9276-ce9418d16c85/c4856217dc210e04f17f00a3b22901

アベ・フェルキッシュhttps://evernote.com/shard/s440/sh/c48c5d09-799f-48f8-9276-ce9418d16c85/c4856217dc210e04f17f00a3b22901

アベ化尾身https://evernote.com/shard/s440/sh/c48c5d09-799f-48f8-9276-ce9418d16c85/c4856217dc210e04f17f00a3b22901

アベ黒ヌリ

補足/2 【“アベ=トラ”病理の真相】 正鵠!∵選言説(@『リアリズム倫理』orA.スミス『道徳感情論』↓♨1)に因れば政治経済(公共選択)のベースは感情的≪環境≫条件!故に、一般国民と国会はそのリアルな視野に入っていない!だから例えば国会でのアベは↓♨2の如く面妖なサル顔で汚いヤジを飛ばし絶えずニタニタ笑っていられることになる!つまり、この点こそが米トランプと日アベが共有する非常に深刻で、かつ全世界へも悪影響となる実に危機的な政治的病理である! →オバマ氏がトランプ批判「自分と友達のために権力 820朝日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1296535327595622400

♨1 リアリズム倫理のベースである選言論(説)とは?・・・
https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

龍安寺

補足/3 “関連”参考/潜性イノヴェーションのヒント
・・・「りんご農家の減少自体が課題」という思い込みへの反省
ーAtsuko Nagai/りんごをもっとたのしもう #note  https://twitter.com/tadanoossan2/status

リンゴ農家https://note.com/nakko_stepan/n/n139934d327ec

https://twitter.com/tadanoossan2/status

補足3/ “関連”参考/英国における「潜性イノヴェーション」に関わる政策の事例
・・・@artof(美術手帳)@artof02742047さん/英政府による2100億円規模の文化支援パッケージ、詳細が判明。4.2億円以上の長期融資も:(補足、水のイマージュ2)COVID-19関連でも「潜性イノヴェーション」の認識が些かなりともあるか否か?の英日の差異は大きい!英国との比較に限らず、アベノマスクの巨額冗費などを想起するまでもなく、これら先進諸国との比較でも<日本政府(アベ政権)の致命的な劣後ぶり>が浮き彫りとなってきた! https://twitter.com/artof02742047/status/1297326572496551937

英国の潜性イノヴェーション1 https://twitter.com/artof02742047/status/1297326572496551937

♨2 御用メディアを総動員しつつ「形式=外形的な延べ出勤日数」と「中身(殆どテンコ盛りのウソばかりという悪質な仕事の実績・内容)」の作為的「混同/ポピュリズム意識の混濁化」を誘導する<詐欺カルト政権>の悪質な演出の異臭が芬々と漂う!
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1296563384855359488

アベザル
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1296563384855359488

補足4/ “関連”参考/@m TAKANOさん・・・世襲政治家の害悪は耐えられないレベルになりつつある。「麻生副首相の眼中に国民なし」である。・・・(補足)@山添 拓さん/毎日新聞の世論調査。内閣支持率は5月から8月にかけ、27%→36%→32%→34%と低迷したまま推移。・・・https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297298824679919616

・・・以下は、M.アンリ『感情の海と触覚』、マルクス・ガブリエル『外界の思考』、および『潜性イノヴェーション』についての若干の論考・・・

画像12

M.アンリ『実質的現象学』(叢書ウニベルシタス/法政大学出版会)によれば、M.アンリ(Michel Henry/1922 - 2002)は、次のような原点となる視座から論考を深めて行ったと思われる。
<自分一人が、あるいは自らを含む一定数の人々が、仮に、いま突然に此処で命絶えることがあるとしても、自らの周辺を含み此の世界に生きるその他大勢の人々は、何事もなかったかのように、今までどおりの日々を生き続けてゆくだろう。しかし、このように絶えず流れ去る世界の中で、個々人の「絶対的主観性」を保障する<現象学的実在性(真理)>とは何であるのか?>
そして、同じ現象学と呼ばれるものであっても、M.アンリは、<現象学(委細/参照↓★)における「形相(エイドス)、質料(ヒュレー)」の作用因(アリストテレスによる)=抽象的認知>と、<自ら(M.アンリ)の現象学における「絶対的主観性」に内在する作用因=実存的認知(‐意識)>を全く異なるものとして峻別した。

★フッサール現象学の概要(および、その現代的意義):旧「toxandoriaの日記」https://toxandoria.hatenablog.com/entries/2017/09/01
・・・

従って、M.アンリの<実質的・志向的現象学/普通の意識では見えず、かつ理解不能な個々人の内奥にある真理の中核たる意識作用(コギタチオ)の探求プロセス>におけるエイドス(形相)とヒュレー(質量)の両者に相当する概念は、フッサール現象学とは異なり、外部世界の現象学的な形相的「与件/現出」以外の実在とも共鳴し得る多様な志向性(様々なベクトルを帯びた意識)を獲得することになった。
言い換えれば、M.アンリの現象学では、作用因としてヒュレー(質量)が最も重視されていることになる。もっと分かり易く言ってしまえば、M.アンリは、個々人の絶対的主観性の意識作用(コギタチオ)の実在性として視覚と結びつき易い形相(エイドス)よりも触覚・痛覚らとの親和性を十分に想像させる質料(ヒュレー)を採用していることになる。
そして、M.アンリは絶対的主観性の実在性(その中核に内在する真理)の現象学的な「与件(現れ)」として「感情」の表出を措定する。その絶対的主観性の核心(自己性の湧出源)となる「与件」の背後、個々の絶対的主観性の中核には、その与件(現れ)を含む広大な「感情の海」(超越論的情感性/affectivite)が存在すると見るのがM・アンリの特徴である。
つまり、「視覚」以外の知覚(内感の窓口としての触覚なども含む)を重視しているという点が、「視覚」という個々の形相的な与件(現れ)と結びつき易いエイドス(形相たる意識内容(コギタートゥム/cogitatum))を重視するフッサール現象学(やや設計主義的な理性の現象学)と、片や触覚を重視するM.アンリの現象学(“感情の海”の拡がりを想定する情感性の現象学)の根本的な差異であると思われる。
なお、[神谷英二:情感性と記憶―アンリ現象学による試論(1)/福岡県立大学人間社会学部紀要2005,vol.14,No.1,21―36 http://u0u1.net/GN7E]によれば、<情感性(affectivite)とは何か?の問い>に、M.アンリ以前のヨーロッパ哲学は必ずしも十分な答えを提示してきたとは言えないようだ。

(外界の思考について/「龍安寺・石庭」に潜むフラクタル構造)

龍安寺

・・・潜性イノヴェーションの在り処を考えるためのヒント/新実存主義(@マルクス・ガブリエル)の眼で見ればヒトの知覚・認識は「外界の思考」(内外のエトノス自然・社会環境との深い関係性を維持する意識)である!/ガブリエルの画像は、https://www.express.de/bonn/bonner-markus-gabriel--30--deutschlands-juengster-professor-18112958 より・・・

・・・一例を挙げておくと、例えば「龍安寺・石庭」の岩の位置から等距離にある位置を中心軸として解析すると、推薦「観賞場所(寺院方丈内/縁側内側の中央あたり)」から遠景へ、向かって分岐が繰り返されるフラクタル構造(つまり、グルーピングとゲシュタルトの法則の実現:これが龍安寺『石庭』が我われ鑑賞者へ永遠の静寂なる感動をもたらす秘密!)となっている!/電子情報通信学会誌会誌2003年10月 /By Gert J. van TONDER、ほか・・・
https://www.researchgate.net/publication/220013361_Visual_structure_of_a_Japanese_Zen_gardenhttps://www.ieice.org/jpn_r/index.htmlhttps://www.ieice.org/jpn/books/kaishikiji/200310/200310-1.html
・・・新進気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエル(Markus Gabriel/1984 - /ドイツの哲学者、ボン大学教授)の新著『新実在論‐“心”という語で表せるたったひとつのものなど存在しない‐』(岩波新書)の序章を書いたジョスラン・マクリュール(Joceran Maclure/ラヴァル大学教授/1973- )によれば、かつてガブリエルは、数々の形而上学の重要問題について、大胆な見解を唱えており、たとえば以前の著書では「存在論や認識論の分野で自然科学に似た要素還元論的な構成主義が乱用されるいま、ガブリエルは“新たな存在論”が求められている」と論じたが、この新しい著書でガブリエルが言う「新たな存在論」は、我われの現実(日常的な)をかたちづくる対象領域―すなわち「意味の場」、つまり『日常』の多元性・多次元性を中心に据えた実在論のことである。
・・・が、その多元性・多次元性の意味を単にリニア―な繋がり、あるいは単純な入子構造的な構成と見立てるとすれば、おそらくそれは誤りである。
・・・そうではなくて、たとえば龍安寺「石庭」↓に潜むフラクタル構造(@Gert J. van TONDER↑)の如く数理的・抽象的な世界との不可避の接点でもあり得るし、マクロ・ミクロ世界との物理・化学的な、あるいは自然環境論・生命論的なつながりや共鳴のようなこともあり得るだろう。ましてや、ヒトの場合はそれに社会的な関係性や個々人の内面との対話のような実に多様なファクターが絡み合い、共鳴し続けることになる。しかも、「それらの複雑な関係性の世界」は「リアル経済的な謂いでの現勢態(エネルゲイア/energeia)」とは全く無関係であるかに見えるし、たしかに両者は個々の事象面におけるリアル・エネルゲイアの意味では全く無関係である。
・・・しかしながら、実際にはこの「前者」の複雑極まりない多元性・多次元性の世界こそ、現勢態(エネルゲイア/energeia)に先行的に対応(いわばプレ・エネルゲイアの謂いで)する潜性態(デュナミス)、すなわち「潜性イノヴェーション」の豊饒な培地(潜性イノヴェーションの契機1)と、仮に名付けておくべきものなのである。

画像14

龍安寺「石庭」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%89%E5%AF%BA
Computational Analysis of Ryoanji Garden. By Gert J. van TONDER, Nonmember, Yoshimichi EJIMA, Member (Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University, Kyoto-shi, 606-8501 Japan),and Michael J. LYONS, Nonmember (Media Information Science Laboratories, ATR, Kyoto-fu, 619-0288 Japan).・・・

(潜性イノヴェーション)

「資本、労働力、生産性(生産活動)」の三つの要素を完全に利用した時に達成される成長率、いわば仮想された“飽くまでもリアルなエネルゲイア(委細、後述)”が「潜在成長率」である。しかし、ここで仮定する「潜性イノヴェーション」はそれと次元が全く異なる「イノヴェーション(生産性)の可能性(新機軸の培地)の概念」であり、象徴的に言えばそれは定量計測が不可能なというか、定量計算を超えた、いわばヒトを含む凡ゆる生命活動と地球自然環境トータルが紡ぐ、更に換言すればそれら共存関係から生まれ続ける、無限の「未生の可能性の海」である。
因みに、ケネー(Francois Quesnay/1694 -1774)に始まる「重農主義」(通商・交易(市場経済)の利潤ストックを重視する重商主義の対語)は、日本語で無理に「重農主義」と訳さず、そもそもの用語である「physeos kratesis(physiocracy/ギリシア語由来で、自然の秩序により統治する経済の意味)」で表記した方が、より正しくその意味が理解できるのではないか?それを現代的に表現すれば「エトノス自然環境を重視する経済学」(内外の“潜性イノヴェーション”の世界をも視野に入れた経済学)ということに他ならないからだ。

シュンペーターは、誰よりも素早く新しい可能性を優れた眼で発見した者が「企業家」となり資金的な援助を「銀行家」から受けながらイノヴェーション(新結合)を実現することで「静態」の世界は破壊されそこで「動態」の世界が出現すると述べる。また、そもそも『静態』には企業家がいなかったのだが、イノヴェーションするまさにその瞬間に銀行家とともに企業家がリアル経済である『動態』のステージに出現し、その役割を終えればステージから企業家は消えるとも説明している。
つまり、シュンペーターの「企業家」を何時でも存在する<経済主体>と理解するのは誤りで、その「企業家」は機能面から理解すべきだということになる。そして、更に一歩踏み込んで考えると、実は、その「動態」の舞台における<経済主体>は『日常』で生活する多くの人々、つまりそこでの圧倒的な多数派である、ごく平凡な一般の人々こそが「動態」の<経済主体>だということになる。
そして、ごく平凡な多数派の人々こそが「潜性イノヴェーション/エルゴン(死勢態・潜性態)=プレ・デュナミス(プレ可動潜性態・プレ可動潜在性)」の大きな宝庫ではないかと考えられる。
まず、ごく平凡な多数派の人々が「動態」における発展的な推進力エンジンの意味での<主体>であることを理解しなければならない。それは、彼らこそが『日常』なる「静態」(ここは静態モデルではなく現勢態の側面を意味する)において基礎代謝的な消費(エネルゲイア消費活動=自然エトノス環境との代謝交換+etwas(潜性イノヴェーションの開発・蓄積・拡充・再生産など))を繰り返して生き続ける<経済主体>であるということだ。
従って、『潜性イノヴェーション』を理解するためのキーワードとなるのが、エルゴン(ergon/死静態・潜性態・潜在性)、デュナミス(可動潜性態・可動潜在性/dynamis)、エネルゲイア(現勢態・可動態/energeia)、およびエンテレケイア(未生態/entelecheia)ということになるだろう(いずれも、そもそもはアリストテレスの用語)。
可動潜性態(デュナミス)は現勢態(エネルゲイア/energeia)に先行的に対応(いわばプレ・エネルゲイアの謂いで)する。エルゴン(ergon/死静態・潜性態・潜在性)は、ヒトの内心(および社会関係あるいは自然との関り)の中で普段は休眠状態(死静態)にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的性質をもつ情念・表象または何らかの複雑な関係性を意味するのに対し、それがリアル活性化すると「±」両者(又は中間的な性質)の何れかを表現する表象的・言語的なヒトの意識活動となる。
つまり、ヒトの『日常』(日々のリアル生命活動であるエネルゲイア=現勢態・可動態)は、「エルゴン(死生態/潜性イノヴェーション)⇒デュナミス(プレ・エネルゲイア)⇒エネルゲイア(現勢態・可動体)⇒エンテレケイア(未生態)」のプロセスに支えられていることになる。
しかし、潜性イノヴェーションとほぼ同義のエルゴン(死生態)と異なり、デュナミス(プレ・エネルゲイア)は、例えば機械力やAIロボ等がもたらす高度生産性(高付加価値)の謂いであるが、これらはリアル・マネー又は同等価値として分配されぬ限り多数派の人々のエネルゲイア(現勢態・可動体)としては無効(只の可能性として1%派の占有対象)であり続ける。
換言すれば、(+)デュナミスが何らかの機械処理ないしは消費活動等で言語(意識)的に、あるいは経済活動的に表現され、それが形式化され(例えば契約などの形で)リアル化するとそれが新たに創造される経済価値(付加価値)のデュナミス(潜在性・潜性態)というリアル可能性の創造物となり、その貨幣化による分配と蓄積がヒト・企業・国家に必須の富の形成力(エネルゲイア/現勢態・可動態)となる。
なお、歴史的に見ておくと、19世紀のプロイセン時代ドイツの言語学者であるW.フンボルトは、普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念or表象のことを表す特別の用語としてエルゴンを使った。
それがリアルに活性化すると、±両者の何れかを表現する言語的な意識活動となる。近年の生(命)化学、量子物理学ら先端科学研究フィールドにおける生命エネルギー論では、たとえばATP(アデノシン酸三燐酸)あるいは生体中の微小管(microtubule)などヒトの意識とプレ生命エネルギーたるエルゴンの(おそらく量子論的な?)関係性が注目されつつある(Ex.@R.ペンローズ、Cf.↓★)。
★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255
・・・
ところで、シュンペーターは「動態」におけるイノヴェーション(新結合)として五つを挙げている(@根井雅弘『資本主義はいかに衰退するか』)。
(1)新しい財貨や新しい品質の財貨の生産
(2)新しい生産方法の導入
(3)新しい販路の開拓
(4)原料や半製品の新しい供給源の獲得
(5)新しい組織の実現
ここで分かるのは「シュンペーターのイノヴェーションが只の機械化や広義の技術革新」だけに止まるものではないということだ。しかも、これら五つの項目のすべては、その前提として「潜性イノヴェーション」、いわばヒトの『日常』(日々のリアル生命活動)の中に存在する「エルゴン⇒デュナミス(プレ・エネルゲイア)⇒エネルゲイア(現勢態)」の内の前段二つのプロセスを前提にしてこそ成立するということだ。
これが「『日常』は潜性イノヴェーションの宝庫」ということの意味である。更にいえば、そうであるからこそ、『日常』において「歴史性、および内外の自然環境(ミクロ~マクロに拡がる)との関係性」を意識できる、圧倒的な多数派層の平凡な人々が、“潜性・現勢”両イノヴェーション(潜性イノヴェーションとリアルイノヴェーション)の<主人公>だと見るべきだ!ということになる。
従って、シュンペーターの「動態」における一過性の<経済主体>である「企業家」(比喩的に理解すれば、これは漫然と『日常』で暮らすサラリーマン経営者は経営者に非ず!ということ)と、『日常』(静態・動態の両者から成る)のれっきとした経済主体である「圧倒的な多数派層の平凡な人々」が、「人間の壁」の分配問題の解決に取組みつつ、共に手を携えて協力できる関係を創ることが肝要である。

【完】

[追記/@むさ@unnkiupさんとの対話]

むさ@unnkiup
日本の周りには共和国が多いですね。共和もリベラルも単体で突き詰めても概念化が難しいなぁ。フランスのように第◯共和制といい、否定して揺れまくるのが正道かもしれません。完全に個人的な感想で脱線してすみません。
午後9:38 · 2020年8月23日 https://twitter.com/unnkiup/status/1297513638337507329

水のイマージュ2@tadanoossan2
1 仰る通り「否定して揺れまくるのが正道」が正解です。∵それが遍く生命の論理(赤の女王への抗い)。大革命のポスト«血塗れの100年»で漸くフランスの ライシテが多数派国民の意思となり(第三共和国憲法で)今に至ります(持続復元力の確保の形で)。午前5:10 · 2020年8月24日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297627279854469120

2 それを(作為で?)只の世俗主義(ポピュリズム)だ、と誤解すればアベ自民党の[宗教ナチ(日本会議カルト)、フェルキッシュ]となります。如何にリベラル共和の只のラベルを掲げたとしても無意味であり、無力だということになるでしょう。Cf.https://note.com/toxandoria2/n/n211d8dd68dac 午前5:12 · 2020年8月24日https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297627762623016960

むさ@unnkiupさん
ライシテまで考えが至りませんでした。フランス共和制では重要な要素ですね。根に埋められたものの分離切離しは至難。そして宗主国として多様性まで・ヘーゲル的な方が安定するでしょうが、「赤の女王への抗い」をして共和制をスクラップ&ビルドしての挑むは宿命?
午前6:51 · 2020年8月24日 https://twitter.com/unnkiup/status/1297652816673042432

むさ@unnkiupさん
肝所は「教育」ですね。人に委ねる時代は終わったのかもしれませんが・・・午後0:04 · 2020年8月24日 https://twitter.com/unnkiup/status/1297731594958995460

水のイマージュ2@tadanoossan2
1  御意! >人に委ねる時代は終わった、のは確かに肝ですが、問題は「それをCOVID-19マターによる逆接の提示」として理解できるかどうか?の点が重要デス。つまり、「“触覚”の真の理解」(あくまでも‘’触覚=主、リモート=従”であることに気づく方向)へ、午後0:35 · 2020年8月24日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297739403113066497

2 我われヒト一般の意識が質的な意味で本当にそのレベルまで深化できるか否か?が問われているという訳です。これは、ナオミ・クラインが「ショック・ドクトリン再来」への警戒論で主張することと重なりますがhttps://note.com/toxandoria2/n/n211d8dd68dac の要点でもあります。午後0:37 · 2020年8月24日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297739907469729797

3 「エトノス環境論的な外界の思考の視点から見れば当然なのですが“リモート=主、触覚=従”へヒトの意識が深化」した場合、「生命体であるヒトのため無限に拡がる筈の潜性イノヴェーション世界が縮小することになり
午後1:04 · 2020年8月24日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297746511493607425

4 これがhttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449
の主な論点でした
従って、此の肝を押さえつつ、高度に進化しつつあるリモート技術をヒトが上手く使いこなすことが肝要です。午後1:04 · 2020年8月24日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297746616187674625

水のイマージュ2@tadanoossan2
補足/だからこそ「教育」が最も重要になります。そして、アベ・フェルキッシュ一派(中核=日本会議)が用意周到に狙ってきた(いる!!)のが正に<この「教育」周辺、謂わば教育に関わる理念と倫理に関わる部分の脆弱化(=政教一致時代へのアナクロ回帰)>作戦です。午前9:40 · 2020年8月24日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1297695339793637377


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?