死にたいとの付き合い方。

今から書くこのnoteはきっと何を言いたいのか分からないかもしれない。
でもこうした漠然とした不安を持って生きている人が僕だけじゃないことを願って。

これは僕が健康な精神と向き合うためのnoteである。そして日記みたいなもんだと感じて欲しい。

僕が初めに死にたいと思ったのは小学校2年生の時にクラスの女の子の軽い嫌がらせがきっかけだった。よくある一時的な仲間外れだった気がするのだが、それが嫌で仕方なかった。
その時は転校したいという気持ちと同時に僕が消えたらきっとみんな喜ぶと思ったのだ。

死にたいという気持ちがハッキリしたのは小学校5年生の時だった。
原因はいじめだった。クラスの男子数人からいじめを受けた。
「学校に来るな」とか「消えればいいのに」
内容は悪口だった。
そこから僕に死にたい気持ちは付きまとってくるようになった。

僕は精神科に長期間通ったことがない。
人生2度ほど行って2度目で半錠もないパニックを抑える頓服を貰ったことぐらいしかない。それから3年以上精神科には行ったことがないし、親にも精神科に行くことを反対されていた。

「あなたは生きづらいのが当たり前で死にたいのが当たり前」

そう親に言われた時すんなり僕は

「そうなんだ。。」

と鵜呑みにした。

その事について後から多少疑問には思ったが、みんなそう思って生きているんだ思っていた。

だが、その言葉が今になって僕を苦しめている。
大学に進学し、辛いことが増えた。

友達ができないこと。
成績を取らなくてはという気持ち。
上手く絵がかけないこと。
服のセンスがまとまらないこと。
休日時間を湯水のように使ってしまう罪悪感。死にたいという気持ちとの戦い。
仕送りを使いすぎてしまうこと。

でも僕の中で漠然と精神科に行ってはいけないんじゃないかという気持ちがあり、ずっと行動に出せない。
夏休みに精神科に電話をしたが結局不安が勝ってキャンセルの電話をしてしまった。

今のところ僕の精神は健康であると願いたい。
なぜなら、なんの病名も付けられていないから。
僕は自分の精神が健康か健康じゃないかも自分で判断ができない。
ほぼ毎晩夜に泣いてしまう生活を続けて早6年が過ぎた。でもそんな人世の中にきっとたくさんいる。

きっと僕は誰かに

「もう君は頑張った。本当に頑張った。こんなにボロボロになるまで頑張ったんだから、少しぐらい休んでもいいんだ。もう休まなきゃダメだよ。」

って言って欲しいんだと思う。
それと同時に

「すぐに精神科に行かなきゃ。このままじゃもう自力では治せないからお薬に頼ろう。」

と言う言葉も欲しいんだと思う。

でもそれが叶うことは当分なさそうだ。

僕自身が精神科に行く勇気がない。
理由は沢山あるが、その中のうちの1つが先程僕の親が放った一言だ。
勘違いしないで欲しいのだが、僕と親は仲がいいしいい親だと思っている。
中高で成績が悪く不出来な僕に東京の大学進学を許してくれたし、学費もだしてくれる。母が作るご飯も美味しい。
嫌になったらいつでも帰っておいでと言ってくれる。
きっとあの時は親も毎晩つらさを訴える僕に嫌気がさしていたのだろう。

もう1つは病名がつかないことが怖い。
もしこれで精神科に通って健康だったら?病気じゃなかったら?
じゃあこの辛さはなんなんだろうか。
何が辛い?なんでこんなに生きづらい?

正常なはずなのに正常だと思えない何者かわからないものに囚われていることが不安で仕方がない。
病院に行っていない事がそもそも僕を支えているのかもしれない。

「病院に行ってないから苦しい。」

それが今の支えで

「病院に行ってるのに苦しい。」

になった時僕はどうなってしまうのか到底予想がつかない。

だから病院に行けない。
そして死にたい気持ちも減らない。
これからどうしていいか分からない。
納得する答えが出せれば僕だってこの悩みから解放される。

だから僕は今のところ、この悩みと共に生きていくつもりだ。

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