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思い出のアルバム不要論
ぼくはアルバムというものをもっていない。家のどこかにはあるかも知れないが、中味は大半がむかし飼っていたネコたちの写真だ。ネコたちのことはこころに焼き付いている。久しぶりに開いた本のあいだにネコの毛が挟まっていたりする。ときどき夢にも見る。ネコたちが一匹ずつ去って行ったのもう四半世紀もまえのことだ。飼い始めたのがその四半世紀ちかくまえになる。つまり人生を3つのクォーターに分けて、
第一期、ネコたち
ついに後期に到達した。
市役所から郵便が届いた。それによるとぼくは後期に移行するらしい。
ブラームスに手紙が届いた。そこにはこう記されている。
「あなたは後期ロマン派と認定されましたのでお知らせします」
ブラームスは気になったので年若の作曲家に電話した。
「リヒャルト、きみんとこは来たかい。後期認定とかいうやつ」
「ええ、きましたとも。グスタフのほうにも届いたみたいですよ。直接はきいてないから良くわからないけど、
高齢期の意味。規格パーツから規格外へ
社会は人間を性と年齢によって分類する。10歳代はこう考えている、しかし40歳代はそうは考えない。60歳代は全然別だ、というように、あらゆる行動や思考に年齢別の偏りがあると考える。
たとえば、選挙のたびに年齢別の分析が行われる。若い世代は防衛力強化を支持しているが、高年齢層は反対が多い、というように年齢別のちがいばかりが際立つ。
実際には年齢層のちがいだけが行動や思考に影響を与えているわけで