ついに後期に到達した。 

 市役所から郵便が届いた。それによるとぼくは後期に移行するらしい。

 ブラームスに手紙が届いた。そこにはこう記されている。
「あなたは後期ロマン派と認定されましたのでお知らせします」
 ブラームスは気になったので年若の作曲家に電話した。
「リヒャルト、きみんとこは来たかい。後期認定とかいうやつ」
「ええ、きましたとも。グスタフのほうにも届いたみたいですよ。直接はきいてないから良くわからないけど、アントンとかフーゴーにもいったんじゃないですか」
「おれたちは、一把ひとからげで後期というわけか」

 前期中年とか中期青年といったいいかたはしない。青年後期という言い方はある。英語では'late adolescence'というらしい。
 後期高齢期もそれにならえば"late oldage"となる。
 ところが、後期ロマン派は英語で言うと'post-romanticism'となる。
 となると、後期高齢者は'post-oldage'である。もはやオールドエイジにあらず。そのあと、ということになる。高齢期の後ということになる。
「あなたの高齢期はもう終わりましたよ。いよいよもうこのさき後はないですよ」と言われている気がする。

 後期のほかには晩期という言い方もある。人生の完成期のようでもあるし、光を失って闇のなかに置き去りにされる感じもある。
「あの人の晩年はよくなかったね」
「ずいぶんご苦労も多かっただろうね」
「ああはなりたくないよね」
などという会話が青山墓地葬儀場の喫煙所で交わされたりする。晩年というと暗い。しかしおなじ晩年でも皓々たる満月に照らされた晩年もあれば、新月の闇夜という晩年もある。

 後期も晩年も、いずれは末期にたどり着く。じっくり時間をかけて、ということもあれば、あっという間ということもある。晩年が20年も30年も続く人もいる。青年期が末期に直結している人もいる。
 そこでぼくとしてはアキレスと亀に習うことにする。
 まず後期高齢期を半分に分ける。とりあえず、最初の半分をやりすごす。つぎに残りの半分の半分を生きる。その次はさらに残りの半分の半分の半分を愉しむ。このようにして残りを分割してちょっとずつ消化していけば、どこまでいっても明日がある、ドンドンパッパのドンパッパである。
 これがぼくの後期戦略方針である。
 とりあえず後期の第一四半期の最初のひとかじりをじっくり愉しもう。

 というわけで、行政によって、ぼくもいよいよ後期である、と宣言されてしまった。前期、中期に大したこともしなかった。悪いこともしなかったが、バカなこと、なさけないことは多かった。後期にも大したこと、悪いことはせず、しかしバカなこと、情けないことは増えるかも知れない。ありがたいことにバカなこと、情けないことを受け容れて、受け流す知恵はついている。

2023/01/25

  


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