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戦争まで引き起こした「イエロー・ジャーナリズム」⑥~《ワールド》対《ジャーナル》の仁義なき戦い

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 1895年、ハーストは経営不振だったニューヨークの日刊紙《モーニング・ジャーナル》を買収し、《ニューヨーク・ジャーナル》と改称した。ここに、ピュリッツァーとハーストの熾烈な読者獲得競争が勃発する。

作り出された「大事件」

 ハーストの《ジャーナル》紙は、一人勝ちだったピュリッツァーの《ワールド》に正面から挑戦することになった。殺人事件が起きると、犯人の残虐な犯行が強調され、被害者の境遇を紹介して読者の涙を誘い、事件を防げなかった警察の怠慢を攻撃する。こうした娯楽色の強い報道合戦が展開された。《ジャーナル》の紙面において、自社の記者はしばしば「社会の不正を暴くヒーロー」のように演出された。


 事例を挙げよう。買収間もない1895年11月10日の日曜日、《ジャーナル》は二人の男が殺人容疑で逮捕されたことをイラスト入りで報じた。太字の大見出しの下に、細かく小見出しが並ぶ。

「ついに真実が明らかに。各地で殺人や強盗を繰り返してきた流れ者の犯罪者集団。今まさに、警察は極めて驚くべき事件に直面。……」


 しかし、このニュースは他紙では報じられず、《ジャーナル》紙も続報を出さなかった。おそらく大した事件ではなかったからだろう。それでも、人々が《ジャーナル》の記事に興味を持ち、手を伸ばすには十分だったのだ。

ピュリッツァー対ハースト、壮絶な人材獲得競争

 《ワールド》に挑戦したハーストは、金に糸目をつけずにピュリッツァー陣営から人材を引き抜いた。日曜版付録の考案者であるモリル・ゴダードも、ハーストから破格の条件を提示された。自分が育てたスタッフを捨てるわけにはいかないとゴダードが難色を示すと、ハーストはなんとスタッフを丸ごと引き抜いてしまう。ピュリッツァーの側も新たな条件を提示してゴダードを取り戻したが、わずか一日で再び引き抜かれてしまったという。


 この頃のピュリッツァーは病で視力が低下しており、かなり気難しくなっていた。人心が離れつつあったところに、ハーストは容赦ない攻撃を仕掛けたのである。

 熾烈な引き抜き競争の象徴といえるのは、黄色い服を着た男の子が主人公の漫画『イエロー・キッド』をめぐるエピソードだ。

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 ハーストは、人気漫画『イエロー・キッド』の作者も《ワールド》から引き抜いた。ピュリッツァーもそれに対抗して、別の漫画家に『イエロー・キッド』の漫画を紙面に書かせた。ニューヨークの二大新聞に『イエロー・キッド』が登場したことから、両者の競争は「イエロー・ジャーナリズム」と呼ばれるようになったのである。

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