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ショスタコーヴィチは「交響曲第五番」で二枚舌を用いたのか《4》

前回はこちら。


「自分を殺した」ショスタコーヴィチ

 すでに述べたように、ショスタコーヴィチの共産党に対する「申し開き」である交響曲第五番は、一九三七年一一月に初演されました。作曲家シャポーリンの妻の回想は、初演時の様子としてよく引用されます。

「聴衆はみな立ち上がって、荒れ狂ったような喝采を――可哀想なミーチャ(ドミトリーの愛称)を陥れたすべての迫害に対するデモンストレーションのような喝采を送った。(中略)哀れなショスタコーヴィチが、下唇を噛みながら舞台に現れた。彼は、もう少しで泣き出しそうに思えた」

 党からの批判とスターリンの恐怖政治によって生命の危機を感じたショスタコーヴィチは、自分の意思を押し殺して交響曲第五番を書き、初演は大成功を収めた――この点については、ほぼ疑いなく事実でしょう。それでも、初演成功後の動向をみると、「本当にショスタコーヴィチの『二枚舌』は当局を騙せたのか?」という疑問が残ります。

本当に「当局を騙す」ことはできるか?

 オペラ《マクベス夫人》を批判されたショスタコーヴィチは、敢えて純器楽の交響曲をもって当局への回答としました。絶対音楽であればいかなる解釈も可能であり、外部の批判に対しても釈明しやすくなります。また、歌詞や筋書きを持たないからこそ、作品内部に仕掛けを施すことも可能です。しかし、裏を返せば「絶対音楽は当局に難癖をつけられるリスクが高い」ことでもあります。


第二回の演奏では、御用音楽学者が二人派遣され、否定的な報告を送っています。スターリンのような為政者は音楽に関して素人ですが、専門家に諮問することは十分に可能です。「ショスタコーヴィチは『二枚舌』で当局を騙した」と理解するならば、「当局と御用学者の目は完全に節穴であった」ということになってしまいます。

「即復権」とはならなかった

 実際のところ、直感的に交響曲第五番の二面性に気付いた知識人もいました。例えば社会主義リアリズムを忠実に実行した作家ファジェーエフ(一九〇一~一九五六)は、「圧倒的な力。三楽章が素晴らしい。しかしフィナーレは出口(ましてや歓喜や勝利)にはなっていない」などと記しています。
 ショスタコーヴィチの復権は、初演の明らかな大成功をもってしても、すぐに決まりませんでした。交響曲第五番に込められた「二枚舌」を疑い、対処に迷いを生じたかのように、一か月以上にわたって当局は沈黙していました。

(続く)


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