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ショスタコーヴィチは「交響曲第五番」で二枚舌を用いたのか《5》

前回はこちら。

ソ連当局の足枷

 亀山郁夫『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』では、作曲家の二枚舌に疑いの目を向けながらも、処罰に踏み切れなかった当局の事情が推測されています。
《マクベス夫人》を批判して交響曲第五番を書かせたにも関わらず、再度批判して作曲家を処罰したとします。これは当局が作曲家の更生に失敗したことを意味し、威信に傷をつける恐れもあります。
 当局の描いていた「ショスタコーヴィチを復権させる」というシナリオは、かえって体制側の足かせにもなったのではないでしょうか。

なぜショスタコーヴィチは生き延びたか

 この間、ソ連作家同盟議長だったアレクセイ・トルストイは、交響曲第五番に対して、社会主義リアリズムに沿った好意的な解釈を施した論文を発表しました。これは、ショスタコーヴィチにとってはもちろん、当局にとっても助け舟になったかもしれません。

 ショスタコーヴィチは、非共産圏である欧米諸国からも高い評価を受けている、数少ないソ連の音楽家でした。世界的な名声を持つ彼を葬ることは、ソ連当局といえどもためらいのあることだったでしょう。ショスタコーヴィチほどの才能があれば、疑いのかけられようのない安全な作品を提出することもできたはずです。彼は極めて危険な賭けを実行し、優れた洞察力によって見事勝利したのです。

作曲家と政府の共犯関係?

 一九三八年中に順調に復権を果たしたショスタコーヴィチと当局の間には、「互いの意図を推し量りながら理想のシナリオに持っていく」という一種の共犯関係があったと言えるかもしれません。一九四一年、第一回スターリン賞が発表され、ショスタコーヴィチが文学芸術部門で賞を獲得しました。この際、党の文化行政を担うグリンベルグという官僚がショスタコーヴィチの作品に批判を加えましたが、スターリンは訴えを退けて受賞させました。ショスタコーヴィチは、ソ連の国威発揚のためにも保護されなければならない存在でもあったのです。
 その後、ショスタコーヴィチは第二次世界大戦をテーマとした「戦争交響曲」により名声を高めます。しかし戦後の一九四八年、またも党からの批判(ジダーノフ批判)で窮地に立たされ、翌年スターリンを賛美したオラトリオ《森の歌》で危機を免れます。これらの経過についてここで論じるには、紙幅が足りません。

まだまだ未解明のショスタコーヴィチ像

 謎の多かったショスタコーヴィチの研究が進展するのは、一九九一年にソ連が崩壊し、多くの文書が公開されてからです。今日では、交響曲第五番や第一〇番に、女性に対する私的なメッセージを入れ込んでいたとする興味深い研究も読むことができます。
 ショスタコーヴィチのイメージは、「体制に迎合した御用芸術家」から「体制に抑圧された悲劇の芸術家」に変わりました。しかし、それも一面的な理解に過ぎません。研究は今後も進み、多面的なショスタコーヴィチの姿を明らかにしていくでしょう。

【主要参考文献】
千葉潤『ショスタコーヴィチ(作曲家 人と作品)』音楽之友社
亀山郁夫『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』岩波書店

《了》

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