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明石城「櫓特別公開」訪問記

 兵庫県明石市にある明石城は、日本100名城の一つでもあります。築城は江戸時代初期の元和5(1619)年。築城者は小笠原忠真(忠政)ですが、将軍徳川秀忠が直々に築城の命令を出しました。明石城は、西国大名への押さえとして築かれたのです。

 ちなみに小笠原氏は、信濃守護を務めた家柄です。小笠原長時の代に居城の林城を放棄。その子・貞慶の代に松本城が築かれました。忠真は貞慶の孫にあたります。

 忠真はその後豊前小倉に転封となり、以後は松平氏などが明石城主となりました。


現存する二つの三重櫓

 現在、明石城には巽櫓(たつみやぐら)、坤櫓(ひつじさるやぐら)の2基の三重櫓が現存しています。

左が坤櫓、右が巽櫓

 櫓の内部は、3~5月と9~11月の土日祝に限り公開されています。春期は巽櫓、秋期は坤櫓だけが公開されます。
 先月、秋期の公開日に合わせて明石城を訪問し、坤櫓の中を見学してきました。

坤櫓を下から眺める

 明石城は、自然の丘陵を活用した平山城です。丘を包み込むように積まれた石垣が見事です。

巽櫓。今回内部を見ることはできない

坤櫓の内部

 坤櫓は、巽櫓と比べて「破風」という装飾が多く、「見せる」意味合いが強いとされます。

三角形のものが千鳥破風、曲線のものが唐破風

 内部はこんな感じ。斜めになった木材は、明治以降に補強されたものです。このおかげで、阪神大震災の際にも致命的な破損を免れました。

明石城の他のみどころ

 明石城には、熊本城に匹敵する巨大な天守台があります。しかし、実際に天守が築かれることはなく、坤櫓が天守の役目を果たしていました。

 東の丸の入口の桝形虎口。出入口はいずれも桝形虎口となっており、敵の進入路を曲げています。

 稲荷曲輪からの眺め。左が天守台、右が坤櫓です。

 城の裏側の石垣も見事です。草木が生い茂っていますが、現在も水をたたえた堀があり、背後から城を守っていたことが読み取れます。

 現存天守は全国に12基ありますが、現存三重櫓も8つの城に12基あります。実は天守と同じくらい貴重なものなのです。
 明石城を訪れるときは、ぜひ櫓の公開日を狙っていきましょう。

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