ワールドカップと独裁者
日本代表の予期せぬ快進撃に、日本中が沸いています。スポーツ、とりわけサッカーには人を熱狂させる魔力があるようです。
今日は時事ネタにあやかり、知られざるワールドカップの歴史を紹介しましょう。
ムッソリーニの野心
1934年の第2回FIFAワールドカップは、イタリアで開催されました。当時のイタリアは、ベニート・ムッソリーニの独裁政権下にありました。ムッソリーニは、ワールドカップを国民の団結と国威の誇示に利用しようとしたのです。
「スポーツの祭典とファシズム」と言えば、ヒトラーに利用された1936年のベルリンオリンピックが有名です。ヒトラーに先駆けてファシズム独裁を確立したムッソリーニは、この点でもヒトラーに先んじていたのです。
試合への露骨な介入
ムッソリーニは絶対の命令として、イタリア代表に優勝を義務付けました。彼は自ら審判を選定するなど試合に干渉し、判定をイタリア有利に操ったと指摘されています。
その結果、イタリア代表は優勝を果たしました。フランスで開かれた次のワールドカップでもイタリアが優勝しているので、実力は確かだったはずですが…
この時の大会には16チームが参加し、トーナメント形式でした。
イタリア代表は初戦でアメリカに対し7-1で大勝します。準々決勝ではスペインと1-1で引き分け、再試合で1-0と勝利。準決勝でオーストリアを1-0で破り、決勝ではチェコスロヴァキアを2-1で下して優勝を決めました。
疑惑のスペイン戦
中でも疑惑が多かったのが準々決勝のスペインとの対戦でした。
最初の試合、イタリアはスペインGKにラフプレーを繰り返しますが、ファールにはなりませんでした。スペインは1点を先行するものの追いつかれ、翌日に再試合となりました。
再試合でも疑惑の判定がありました。開始5分、スペイン選手がペナルティエリア内で倒されたもののペナルティはなし。その選手が負傷退場し、交代可能な選手のいなかったスペインは10人で戦うことになりました。
イタリアが先制した後、後半にスペインは2回ゴールネットを揺らしましたが、1回目はオフサイド、2回目はファールによって取り消しとなります。この試合の笛を吹いたスイス人審判は、大会の後資格を停止されました。
準決勝のオーストリア戦でも、オーストリアGKが妨害を受けている隙に決勝点が奪われています。
※
1934年の大会は、独裁者によって勝敗が捻じ曲げられたワールドカップとして記憶されるでしょう。
前回のワールドカップからはVARという最新技術が導入され、明白な誤審は考えにくくなりました。とはいえ、スポーツの熱狂が権力者に悪用されることがなくなるとも思えません。「独裁者のワールドカップ」は、私たちにとっても決して他人事ではないのです。
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