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【書評】清水唯一朗『原敬』(中公新書)

 歴代総理大臣の中でも、「平民宰相」原敬の知名度は高い方でしょう。中学校の歴史教科書にも、大正時代に「初の本格的な政党内閣を率いた首相」として登場します。

 しかし、原が具体的にどんな業績を残したのかを知っている人は多くないように思います。また、「初の"本格的"政党内閣」の「本格的」とはどういうことかも気にならないでしょうか。

 原敬個人の業績だけでなく、近代日本が歩んだ政党政治の歩みを知ることができる評伝が本書です。

賊軍の地に生まれて

 明治維新を主導したのは薩摩・長州の藩士であり、明治政府の実権も薩長の出身者が握っていました(藩閥政府)。

 原敬は、戊辰戦争で賊軍となった盛岡藩の家老の家に生まれました。優秀ながら挫折や苦労も多かった青年時代が印象に残ります。

 一時は官吏の道を諦めて新聞記者となりますが、次いで外交官に転身。伊藤博文や陸奥宗光と出会い、政治への道に進みます。

政党政治の産声

 原がキャリアを積んだ時代は、藩閥支配への批判が高まり、政党への期待が高まった頃でした。

 一方、政治を担うべき政党にも未熟さが目立ちました。1898年に成立した「初の政党内閣」の大隈重信内閣は、閣内の意思を統一することができず、わずか4か月で崩壊しています。山縣有朋をはじめとする元老が政党を信用しなかったのにも理由がありました。

 1900年に伊藤博文が設立した立憲政友会が、星亨・西園寺公望・原敬らの努力を経て、政権を担当するに足る実力を得ていく過程も詳述されています。

誤解されやすかったリアリスト

 政治家としての原敬は、よく「リアリスト」と評されます。妥協と調整を繰り返しながら理念を実現していく政治スタイルでしたが、「独裁的」「権威主義的」といった批判も浴びました。

 原の見てきた政党政治は、多くの問題点を抱えていました。党内の不一致、目先の政争に気を取られての足の引っ張り合い、激しい猟官運動――原は苦心して政友会を操縦し、これらの課題を乗り越えて安定的な政権を実現します。

 上記の問題点は、現代の議会政治にも当てはまることだと思います。本書を読んでいて「現代の政治に似ているな」と感じる人もいるでしょう。

 立憲政治の理想を実現するために現実を見据え、最期は凶刃に倒れた原敬。私たちが彼の苦闘から学ぶものは多いのではないでしょうか。

 

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