三角関数の人類史⑦~ヨーロッパにおける発展
前回はこちらです。
イスラーム文明からの翻訳に触発され、中世後期~近世のヨーロッパでは自然科学が発展しました。三角法を含む数学も例外ではありませんでした。
以下、列挙のようになりますが、主な人物を挙げていきます。
コペルニクスの弟子
地動説を唱えたポーランドの天文学者コペルニクス。彼に師事した学者に、オーストリア出身のゲオルク・レティクス(1514~1574)という人がいます。コペルニクスの著書『天球の回転について』の出版にも寄与しました。
彼は、円ではなく直角三角形を用いて「三角関数」を定義した(おそらく)最初のヨーロッパ人とされます。(https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_trigonometry#European_renaissance_and_afterwards)
「タンジェント」の誕生
デンマークの数学者トーマス・フィンケ(1561~1656、トップ画像の人物)は、「タンジェント(tan、正接)」の用語を導入しました。1583年のことです。
タンジェントは円に接する直線に関係するので、ラテン語の「tangere(接する)」からつけられました。
タンジェントの表自体は、イスラームの数学者フワーリズミーによって作成されています。
精緻な三角関数表の完成
さて、ここまで来てようやく、第1回で紹介したドイツの数学者ピティスクス(1561~1613)の話に戻ってきます。
ピティスクスは、レティクスの計算を引き継ぎ、極めて正確な三角関数の数値表を完成させました。彼のつくった三角関数表は、測量や砲術などの場面で、20世紀初頭まで長きにわたって使用されることになります。
以後、多くの数学者を惹きつける数学の一分野となった三角関数は、ニュートン(1642~1727)やオイラー(1707~1783)といった天才たちによって現代へと発展を続けていきます。
(続く)
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