置塩城〜もう一つの「姫路の名城」
置塩城(おきしおじょう、おじおじょう)は兵庫県姫路市の城跡です。室町時代、播磨国守護を務めた赤松氏の居城で、白旗城・感状山城とともに「赤松氏城跡」として国指定史跡となっています。
文明元(1469)年の築城とされてきましたが、近年の調査では16世紀後半に本格的に整備されたことが分かっています。赤松氏は戦国時代には没落し、天正8(1580)年ごろに廃城となりました。
長くきつい登城路
JR姫路駅からバスで30分ほど。「宮置」バス停で下車し、徒歩20分ほどで登城口に着きます。
城の西側には夢前川が流れ、天然の水堀となっています。登城口には地元の方の厚意で、地図とステッキが置かれています。
置塩城は播磨最大の山城であり、戦国屈指の大規模な山城です。登城口から城域まで、きつい傾斜の山道を40分ほど登らなければなりません。
山道には一丁~十八丁の道標が置かれています。十八丁目まで登ると、流石に息が上がります。
巨石を積んだ大石垣
城の中枢部は伝二の丸跡と伝三の丸跡になるでしょうか。山道を登ると、伝二の丸跡の南側に出ます。
置塩城の見所の一つは、城の南西部に位置する大石垣です。高さはそれほどでもありませんが、巨石が使われており迫力があります。
とはいえ、置塩城は基本的には土の城です。初めに目に入る「茶室跡」には土塁もはっきり残っています。
広大な城域を散歩
置塩城は大小60もの曲輪を持っており、一日ではとても踏破しきれません。
伝二の丸と、二の丸北曲輪群の間は深く空堀が刻まれています。
伝二の丸の周囲には土塁や石積みがあり、防御のために区画していたと思われます。
北東を目指して登っていくと、伝本丸跡に到達します。平らにならしてあり、発掘調査では天守的な性格の建物跡が確認されたとのことです。
曲輪の面積はそれほど広くないため、物見台の役割が強かったと思われます。
縄張は技巧的ではありませんが、戦国時代の赤松氏が一定の権威を保持し、強固な城館を構えていたことがうかがえる城跡です。
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