【書評】渡邊大門『豊臣五奉行と家康』(柏書房)
一般的に、関ヶ原の戦いは「豊臣秀吉の死後に主導権を握ろうとした徳川家康と、それを阻止しようとした石田三成の戦い」と認識されていると思います。
しかし、近年は研究の進展が著しく、合戦のとらえ方はかなり変化してきています。例えば、合戦中に寝返ったとされてきた小早川秀秋は、実は開戦と同時に裏切っていた、という風に認識が変化しました。
本書は、「豊臣五奉行」に焦点を当てて、関ヶ原合戦に至る権力闘争を概観しています。
五大老・五奉行とは
五大老・五奉行は、豊臣政権を支えた有力者たちのことです。
五大老は、徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・毛利輝元・小早川隆景(その死後は上杉景勝)。
五奉行は、石田三成・浅野長政・増田長盛・長束正家・前田玄以です。
五大老は、初めから秀吉の臣下だったわけではなく、秀吉の天下統一の過程で臣従した石高の大きい大名です。一方、五奉行は低い身分から秀吉に抜擢され、高い実務能力から大名にまで出世した人々です。
謎の多い五奉行
秀吉死後の権力闘争において、五奉行の面々は家康と対立しました。彼らのうち、浅野長政を除く4人は西軍に加担しています。
日本史教科書にも載っている五奉行ですが、低い出自であったり、歴史の敗者となったりしたために史料が乏しく、謎が多いのが現状です。
本書は五奉行についての情報をかなり詳細にまとめています。もっとも、後世の軍記物語の記述によった部分も多く、「信憑性は薄い」と断られていることが多いです。
否定されつつあるステレオタイプ
前述のとおり、関ヶ原合戦の通説は近年再検証が進み、非常にホットな分野になっています。最近の研究動向が大まかに整理されているのも本書の利点であると感じます。
ドラマなどでは火花を散らすライバルとして描かれる家康と三成も、個人的な関係は悪くなかったようです。
慶長4年(1599)、石田三成は七将襲撃事件によって失脚します。その年の9月、家康は大阪に滞在していますが、家康はその時の宿所に三成の邸宅を選びました(P141)。さらにいくつかの論拠から、「家康と三成の関係は、表面的であれ決して悪くなかった」と述べています。
新説には反論もつきものであるため、ただちに旧説が誤りとされるわけではありません。様々な論者の描く「関ヶ原」を読み比べ、読者自らも考えていくのが肝要です。
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