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「もはや戦後ではない」の誤解

 1956年に発表された経済白書は、「もはや『戦後』ではない」というフレーズで有名です。経済白書とは、政府による経済の年次報告書で、経済企画庁によって出されました(現在では内閣府が、経済財政白書として発表)。

 このフレーズはあまりにも有名で、戦後日本の急速な復興を語る上でよく言及されます。おそらく、「日本は焼け跡から見事な復興を遂げた!」という輝かしい喜びの言葉だと思っている人が多いでしょう。しかし、経済白書の執筆者の本意は異なります。

「もはや戦後ではない」というフレーズは、もとは評論家の中野好夫が「文芸春秋」に発表した評論のタイトルで、経済白書執筆者の後藤譽之助が借用しました。

 日本は太平洋戦争によって大きな打撃を受け、敗戦後から復興が始まりました。逆に言うと、焼け跡からの復興の時期は、自動的に国内総生産は上昇していきます。

 上記リンクから読める経済白書の結語を見ると、執筆者が本当に言いたかったことがわかります。

 しかし敗戦によって落ち込んだ谷が深かったという事実そのものが、その谷からはい上がるスピードを速やからしめたという事情も忘れることはできない。経済の浮揚力には事欠かなかった。

昭和31年度 年次経済報告 結語

 しかし、復興が一段落すれば事情は変わってきます。あまり深く考えなくても企業の投資や国民の消費が増える、ある意味で「楽な」時期が終わってしまうからです。

 いまや経済の回復による浮揚力はほぼ使い尽くされた。なるほど、貧乏な日本のこと故、世界の他の国々に比べれば、消費や投資の潜在需要はまだ高いかもしれないが、戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。

前掲書

 もはや「戦後」ではない―――このフレーズは、これからは自動的に経済が成長していくような時代ではなくなるぞ、という警告だったのです。

 執筆者の後藤は、これからの経済成長には近代化が必要である、とします。

 新しきものの摂取は常に抵抗を伴う。(中略)近代化が国民経済の進むべき唯一の方向とするならば、その遂行に伴う負担は国民相互にその力に応じて分け合わねばならない。

前掲書

 後藤は、これから経済を成長させていくには、国民に痛みを伴う改革をしていかなければならない、と説きます。

 その後の日本が経験した高度経済成長を知っている我々からすれば意外なことですが、経済白書の執筆者は「もはや『戦後』ではない」というフレーズを、警告として使用したのです。

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