見出し画像

統合失調症2級男のちょっと昔の話 part2

30歳の時に統合失調症だと診断された僕ですが、それから9年くらいは妄想の症状がある程度で済んでいました。しかし、ダイエットの為に医者に内緒で全ての精神薬を断ち始めてから半年程度が経過した辺りに、幻聴と幻視と幻触と幻臭の症状が立て続けに現れ出しました。それ等に現れて来た相手は殆どが芸能人で、彼等はテレパシーを使っている等と言っていましたが、僕は彼等が偽物だと最初から理解していました。幻聴たちの声は本人そっくりで、幻視で見た顔は半透明ではありましたが、それも本人そっくりでした。しかし、それでも僕は彼等を信じてはいませんでした。とは言っても当時の僕は症状がかなり悪化していたので、とある突飛な妄想に取り付かれていました。彼等芸能人の正体はアラビア地域に存在すると言われている妖霊のジンだと思っていたのです。ジンには良いジンと悪いジンが存在するとの知識を僕はイスラム教を紹介した本から得ていました。僕の前に現れたジンは悪い方のジンで、芸能人の声と顔で僕を誹謗中傷し苦しめ怒らせ、僕にその芸能人たちを殺害させて、僕の人生を破滅させようと企んでいるのだというのが、僕の推理でした。彼等の正体をジンだと思っていた理由は、僕はその数ヶ月前に東京のモスクに見学に出掛けていたので、そこで悪いジンに取り憑かれて家まで連れて来てしまったと考えていたのです。幻視と幻触と幻臭の症状は直ぐに治まりましたが、幻聴の症状はその後も続き、幻聴たちには1ヶ月くらいずっと苦しめられていました。しかし、彼等も日数を重ねる毎に僕と共に疲弊して行くようでした。そんなとある日に、彼等は僕にこう言ったのです。「俺達は芸能人でもジンでも何でもない只の幻だ、そして、疲れたから眠りたい。その為にお前は精神病院に入院する必要がある。入院すればお前も楽になれる。だから、お前は医者に次の3つの話をして来い。1つ目は幻聴たちに人を殺せと言われている。2つ目は頭がボケ過ぎて精神薬を処方通りに飲む事が困難になった。3つ目は自殺用の拳銃を入手する為に暴力団事務所まで出掛けたが、門前払いを食らった。この3つの話をすれば入院出来る筈だ」と。3つ目の暴力団の話だけは嘘でしたが、他の2つの話は本当の事でした。それで、僕はキャリーバックとリュックサックに着替えや日用品などを詰め込み、数日後の始発の鈍行で広島のとある駅から岡山駅まで向かい、到着後、タクシーの運転手に「近くの精神病院まで」と告げて、かなり大きな精神病院まで送り届けて貰ったのです。そこで診察してくれた医者には、幻聴たちからのアドバイス通りに3つの話をし、めでたく紹介状無しの飛び込みで即日入院する事が出来ました。病棟の入口で荷物チェックを受けた後、男性看護師に病室まで案内されベッドの上で横になっていると幻聴たちが「この病院のオーナーはタモリだ。その関係もあってこの病院には月に1度、若手の漫才師が慰問にやって来る。今月はブラックマヨネーズの予定だ」と言って来ました。僕はその話しを30%くらい信じていた様な記憶があります。後に判明しますが、勿論、そのような話は幻聴たちの全くの出鱈目でした。そして、僕は初日から強めの薬を処方され、幻聴の声はその日からかなり小さくなりました。それから数日が経つと幻聴は僕に話し掛けて来る事をやめ、僕が話し掛けた時だけに返事をする程度になりました。それと、僕が文章の途中で幻聴たちという表現から幻聴という表現に変えた理由は投薬治療を受けてから、幻聴の声が複数から単体に変化したからです。結局、その病院には3ヶ月入院して寛解に近い状態になってから退院しました。それ以来、真面目に精神薬を服用するようになり、今も1人暮らしを続けています。統合失調症という病気の治療は第一に精神薬です。それは、一連のあの経験で身に染みるほど理解しました。他の統合失調症の皆さんも断薬等は行わない方が良いと思います。確かに体や脳に合わない精神薬も存在しますし、また、大量の精神薬を処方されて、体や脳がダルくなる事もありますが、その場合は担当医に相談して薬を調整して貰うのが得策です。それと、話は変わりますが、幻聴も今ではすっかり弱くなり、僕の支配下に入って僕が逆に幻聴をいじめるようになりました。幻聴には僕の事を兄者と呼ばせたり、名前に様を付けて呼ばせたりしています。そして、最後に何故、僕が県外である岡山の精神病院まで出向いたのかという理由を書いておきます。それは、統合失調症のありきたりの妄想である集団ストーカーが原因です。広島の集団ストーカーも、岡山の病院までは遠征出来ないだろうと僕は、考えていたのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?