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【恋愛小説】「発火点」第二話


第二話

 週末、妻の友人が数人、家にやって来た。
 彼らは雲のようだと基一はいつも思う。
 ふわふわとしてつかみどころがないということのたとえとしてはすこぶる陳腐ではあるが、やはり基一には雲のようだと思えた。たとえば学生時代の女子学生たち本社にいたときの女子社員たちなどかつて身近に存在していた群などは、たしかにあるかたまりのように感じられはしたが、もっと色も質感も確からしさがあった気がする。
 彼らは基一たちの家に入るなり、この青ペンキかわいいよね、黒板やっぱりシュール、ヤンシネっぽい、と口々に言う。雲のかたまりから聞こえてくるから誰が何を言ったのか区別はつかないが、おそらく誰がどれを言っても成立つだろう群だ。三人いる。便宜上A、B、Cとする。名前は初対面の時に聞いた気はするが覚えていない。訊ねなおすのは気が引けるし、このまま覚えなくても不便はないだろうからそのままにする。妻がそこに加わると、Dとしてもよいくらいに馴染むが、そんな妻を見ると基一は不思議な気持ちになる。
「ここ俺塗ったの。斑が絶妙によくない?」
 ひとり男がいる。比較的背の高い女性たちの中にあって華奢な彼は際立ちはしない。淡い黄色のぴったりとしたシャツにスカートのようにダボダボとしたズボン(妻が言うにはサルエルパンツという)姿で女性の中にあって同化している。便宜上Aとするその男が階段下の青色のペンキが塗られた柱を指さす。
「いい。なにげにレトロ」
 残る女性二人のうちのひとりが言う。便宜上B。
「ありあり」
 便宜上Cの合いの手。雲はリズミカルに流れるが、妻の聴く音楽のようにやはり基一にとってよくわからない。
 ただ、彼らがこの家を気に入っているのはわかる。というか、この家を見つけてきたのは彼らの誰かもしくは彼らの知り合いの誰かで、この家の学習塾から住居へのリフォーム施工も彼らと彼らの知り合いや知り合いの知り合いが入れ代わり立ち代わり行ったのだ。
 住宅購入など名のある住宅メーカーか、少なくともネットで検索して出てくる建築会社かで考える以外にありえないと思っていた基一は、なんかおもしろい物件あるらしいよ、どうせならみんなでいじっちゃおう、で、できあがった家などまさか自分が購入するなど夢にも思ってはいなかった。実際、買う気はなかった。本社からこの地方都市への転勤が決まってとりあえず直に戻るだろうから仮住まいのつもりで県庁所在地にマンションを借り、田舎はいやだという妻を残し単身赴任していたら、いつのまにか妻もやってきて、ときおり妻の友人たちが押しかけてきて、なにやらばたばたとやっているなとは思っていた。それがまさか自分たち夫婦が住むための住居をよってたかって作り上げているとは思いもしなかった。施工中、物件を買い取り所有権を持っていたのは雲の中の誰かの知り合いの建築デザインをやっているという人物の経営する会社で、購入するかしないかは自由だと言われた。買う気などまったくなかったのだ。が、実際、この山の中腹にある元学習塾の物件を見てほとんど迷うことなく決めていた。別に住居に特別なこだわりを持っていたわけではない。ただ名のあるメーカーならメンテナンスが行き届いているだろう安心感を漠然と持っているくらいでいたのだ。それでもこの家を見た瞬間、ああこれは自分たちのための家だと直感し、自分たち夫婦が買うならこの家以外ないと確信した。そんな合理性のない直感で物事を決めたのは結婚に次いで二度目のことだった。しかも人生で一番高価な買い物なのだった。が、そんなことに思い至る暇もなく基一は決めていた。
 つまり基一も気に入ってはいたのだが、それ以上に妻の友人たちに思い入れがあり愛着があるのは当然のことであった。
 しかしそれでも基一には、「青ペンキがかわいい」のも、「黒板がシュール」なのも、なにが「ヤンシネっぽい」のか、なにげにレトロなのか、ありありなのか、さっぱりわからない。
「これ、貼ったんだよ」
 妻もしくは便宜上Dが言う。洗面台前の水除け部分にモザイクタイルをそういえば先週末に妻はひとりで貼っていた。
「いいじゃん!」
 ABCがそろって声を上げる。
「でしょ。ネットで見つけて速攻買ったんだよ」
 雲と一体化する妻を、基一は不思議な気持ちでながめはするが、決して不快ではない。
「タカオこういうの好きだよね」
 BがAに言う。そうたしかAはかつてタカオと紹介してもらった。
「自分がやりたかったんじゃない」
 CがAに言う。
「やりたかったよ。呼んでくれよ」
 AがDに言う。
「コーヒー入ったよ」
 基一が雲に割って入る。
 雲が、すんませーん、ありがとう、わーい、とリビングスペースに流れてくる。
「相変わらず旦那さんマメー」
 誰かが言う。
「いえいえ」
 と流す。
 ABCDがソファに収まり、センターテーブルにコーヒーを並べる。おみやげ、と、ひとりが持っていた袋を掲げる。
「今更感満載だけど」
 色とりどりの円盤状の菓子がテーブル中央にちりばめられる。
「でもうまいのここの」
「へー」と言ったのはD(妻)。緑色と茶色を取り、茶色を基一に差し出す。受け取る。ダイニングセットの椅子に腰かけ、それのセロファンをはずす。
「旦那さんもこっちくればいいのに」
 と誰かが言う。
「いえいえ」
 と流す。
 ソファーセットは雲でいっぱいなのだ。
「うまいねー」
 D(妻)が言った。でしょー、とABCが声を揃えた。
「ね」
 と妻が基一を見る。
「うん、うまい」
 一口食べ、基一も言う。
「このひと甘いの好きなんだ」
 妻がそう言い、手を伸ばしてもうひとつ今度は薄紅色をくれる。受け取る。
「あんたはどっちかっていえば甘いのより酒だもんね」
 BかCが妻に言う。へへへ、と妻が笑う。タカオ(A)は無言のまま菓子を食べ、コーヒーを飲む。部屋のなかを見まわす。ふとテーブルの上のCDジャケットに目を止める。
「あ、ザッパ」
 手に取る。
「最近ひさびさに聴きまくってる」
 妻が言う。
「懐かしい」
「あいかわらず天才」
「だね」
 A(タカオ)はCDケースを裏表返し返し眺める。
「またふたりマニアックな音楽談義?」
「ぜんぜんマニアじゃない」
 BかCが言った言葉に妻が返し、タカオがうなずく。
「メジャー」
「俺なんて最近クリムゾンとか聴いちゃうし。歳かね」
 えー、歳とか言うなー、逆にー、とBCDが声を上げる。そういやなんとかっていう映画見た? と話は音楽から映画へとシフトしていく。どちらにしても基一には知らない固有名詞ばかりが出てきて雲は発達する。コーヒーのおかわりを各々に注していく。妻がもうひとつマカロンをくれる。食べる。コーヒーを飲む。雲を眺める。
 さてそろそろ行く? と会話のテンションがやや沈静化したところで、雲がそわそわと動き始めた。
「旦那さんはほんとにいいんですか?」
 BかCが言う。
「いいですよ。楽しんできてください」
 基一はにっこり微笑んで答える。BCは残念がるような遠慮するようなあいまいな微笑みを返す。
「行ってくるね」
 妻は当然のように言う。
「いってらっしゃい」
 ここからさらに山を登った先の温泉街のリゾートホテルで現代アートの企画展をやっているのだという。すごいおもしろいらしいと雲たちが湧き上がり、東京から、基一たちの家を中継地点にして、妻をピックアップし、出向くことになっていた。残念ながら基一はまったく興味がない。快く雲たちを見送った。

(あらすじ~第一話)

(第三話~)

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