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【恋愛小説】「発火点」第十一話


第十一話

 従来の放熱性の一.三倍にはなるだろうと、開発担当者は得意そうに発言した。近い将来には一.七倍程度までは実現可能だという。
「さらなる軽量化、小型化をめざし、他社との差別化を図りたいと思っている。これは間違いなくわが社の主力となるだろう」
 プロジェクトリーダーとなる部長が言った。計算上一.三倍だとしても実際には現実的なファクターによって一.二倍、一.一倍、下手したらほとんど変わらないということだってあり得る、机上の空論だ、と基一は思う。
「なにか意見が?」
 部長が基一を見る。
「いえ、なにも」
「君には設計責任者になってもらおうと思っている。どうだ、そろそろ東京が恋しくなっただろう」
 にやりと笑ってうなずく。一同が基一を見、それが突然の栄転話に喜ぶだろう基一の反応を期待する視線だと一秒遅れで気づくが、戸惑ったまま「はぁまぁ」と適当な応答をするのが精いっぱいだった。
 出張は三日間の予定だった。
 二日目はチームの主要メンバーが集まり、具体的な進め方についての話し合いを終日かけて行った。メンバーは、たいていの新規プロジェクトの立ち上げ時がそうあるように、活気にあふれやや浮き足立っていた。
「熱設計がだいぶ楽になるんじゃないの」
 誰かが言った。
「熱設計自体最終的にはいらなくなったりするかもよ」
 一同に笑いがわく。
「試作してみないとわからないよ。計算上の数値はあくまで計算上のものだ」
 表情を変えず、基一は言う。
「もちろん試作はしたさ、いやというほど」
 開発担当者が言う。
「素材のじゃなく基盤全体のだよ。システム同士の干渉、環境的干渉、結露、埃、電磁波、猫の小便、鼠の糞、地球上には計算しきれないさまざまな雑多な要素がある」
 基一の言葉に座が醒める。きりがないな、と誰かが乾いた笑いで受け流すと、脇道にそれた話をもどすように話し合いは今後の開発スケジュールについて話題が移った。
 熱設計は発火を阻止するために、発火までのストーリーを計算し組み立てる。発火を恐れると同時に望んでもいるのかもしれない、と基一はふと思う。一度沸いたその思いは、ミーティングの間ずっと基一を捕え続けていた。
 その夜、基一は妻の携帯に電話した。が、つながらなかった。結局あのまま一言も言葉を交わさず、顔さえも合わせずにいた。何を言うつもりか考えぬままリダイヤルを続ける。電源が入っていないか電波が届かないところにいるかというアナウンスが流れる。自宅はとりあえず電波の届く範囲にある。だが、妻の携帯電話の充電が切れていることはよくある。町はずれに行ってしまえば電波は届かないかもしれない。何度となくかけてみたが、出張の間一度もつながることはなかった。
 最終日は関係部署に根回しを兼ねたあいさつ回りをして、チームメンバーとランチをとり、解散となった。帰り際に同僚に話しかけられる。
「いろいろ順調そうで」
 朗らかな笑顔を向けそういう同僚の言葉は嫌味ではないようだった。
「そんなことないさ」
「お前に謝らなきゃな」
「なにを?」
「彼女とのこと、絶対にうまくいくはずないって決めつけてたから」
「……」
「じゃ、本社で待ってるから」
 屈託のない明るさを振りまいていった同僚の後姿を見送りながら、追いかけて行って問いただしたい衝動を必死に抑える。

 家に帰った。妻は留守だった。
 黒板にはピンだらけの地球と、そして、もうひとつあった。
 リアルな大陸の描かれた地球ではなく、ただ一本のラインで描かれた円だ。横に並んでいる。
 円。
 空の地球。
 昼食後東京を出て、当初は研究所による予定でいたが、基一はそのまま家に直帰した。まだ明るい時間だ。家には誰もいなかった。しんとした家の中には南と東の霞窓からの淡い光が満ちていた。もうずっと誰もいなかったかのような寂寞とした空気を感じる。空気が薄く感じる。いつもちらばっているCDが片付けられているからだろうか。洗い籠にいつもは置かれている食器が棚に収められているからだろうか。ただ、テーブルの上にはビデオカメラと、その横に妻の字が書きつけられた紙片が置いてあった。その文字を読み、紙片を握りつぶす。
 妻はどこに行ったのだろうか。そう思いながら、どこにいるのかわかっていた。ストーブに火を入れておこうかと考える。ファンヒーターは嫌だと妻が言って、結婚してすぐに買った薄緑色の円柱型のストーブだ。日の傾き始めた晩秋の夕方は、部屋の中から少しずつ明るさを奪っていく。炎が見える中央にある窓は暗い。火をつけよう、と基一は思う。火が見たい。灯油を買いに行かなければと思う。間に合わせで林田さんにもらったものももう尽きる。
 黒板には地球と円がある。
 あの男は炎を操っていた。薪をくべ、空気を送り、遮断し、温度を管理する。
 土をいじっていると世界を作っているような気がする、と妻は言った。柔らかな土をこね上げ、成形し、釉薬を塗る。水分を飛ばして高温の窯に収める。温度は低すぎても高すぎても駄目なのだという。妻が作り上げた世界は炎によって硬く締まり器となる。
 しばらくの間黒板を見ていた。
 刺した無数のピンが突然、どうしようもなく子どもじみたくだらないものに思えた。手で乱暴に外していく。ばらばらと床にいくつも落ちた。地球と円を、掌を広げ消した。手を伸ばし、速度の速いワイパーのようにこすり消す。地球はたちまち不格好に広がり白い斑に変わっていく。こんなものはただの白墨のかすだ。白く汚れた掌を見る。握りしめる。白墨の匂いが鼻を突いた。白色に煙る黒緑色を見る。爪を立ててみる。不快な音を想像する。肩をいからせ、その想像をこさえこむ。あえて不快な感触を自ら発するのは大人のすることじゃない。そうだ。爪に力を入れる。五本の指全部を立てる。意思を込める。目を閉じ、眉をしかめ、決意する。全身に痺れるような音が、長く、響く。
 直線的な音。こすれる。微細な振動。全身を貫く。
 食いしばっていた歯の力を緩め、長く深く息を吐いた。
 それは怒りのような熱へ変容する。
 ビデオカメラを持った。家を出た。車に乗り込む。町はずれの芸術家村に向かう。

(あらすじ~第十話)

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(第十二話~)

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