【恋愛小説】「発火点」第八話
第八話
妻はネットで盗撮用カメラを三台購入した。そして、アングルを調整しながらリビングダイニングの片隅にそれぞれ取り付けた。二階にある基一のノートパソコンでモニターし、何度もその画像をチェックする。光量が足りない、と言う。照明やレフ板置くわけにいかないし、と部屋中に真白いカーテンを下げた。
基一はBに来ないようにメールした。
Bも承知した。
しかし、Bは土曜の午後やってきた。
「忙しいって言ってたのに無理矢理来てもらっちゃってごめんね」
妻がそう言い、強引に呼び出されたことを知る。Bは気まずそうな表情であいまいに笑う。いくら強引に呼ばれたとはいえ、東京からこの片田舎まで、自分の意思がなければ来れるはずはなかった。B自身、突然の別れをまだ納得できず、状況を探りたい思いがあったのかもしれない。
「それなのに、ほんと申し訳ないんだけど、急に昔の劇団仲間が高崎まで来てるっていうから、ちょっと行ってきていいかな。夜までには戻るから」
「だったらみんなで行けばいいんじゃないか。その人も一緒に高崎で美味しいものでも食べよう」
基一が言うと、妻はまっすぐに強い視線で基一を見、言った。
「だめだよ。そのひといまちょっと悩んでて、込み入った話になりそうだから。お願いだからふたりで待ってて。ね。頼むから」
そして、慌ただしく出て行った。
Bと基一は取り残された。
「ほんとにマイペースね、あなたの奥さんは」
Bはとってつけたような笑みを浮かべ言う。
なぜ来たの、と問い詰めかけて、部屋の隅に隠された盗撮カメラを見る。巧妙に隠されている。知っていて見なければわからない。それは妻の目だった。おそらくどこか近くの路上で、車の中で、基一のノートパソコンを開き、見つめている。
目をそらす。
黒板は白い布に隠されている。
小さな窓からの光が白い部屋に乱反射し、白々しいほどの柔らかな雰囲気に満たされている。地球も隠されている。
「どうしたの、この部屋」
Bが言った。悲しそうな目で西の壁を見る。地球は隠れている。
基一はその横顔を見る。
長い髪はまとめられ、濃紺のシックなワンピースを着ている。仕事をする都会の女だ。妻にはもう似てはいない。まるで違う、と思う。
キイチはわたしを好きなんでしょう、と妻は言った。
「愛しているんだ妻を」
「知ってる」
Bは言う。そして大きなため息をつく。
「知ってるよ。わざわざ言わなくても」
「愛してるのはあなたじゃなく妻なんだ」
だったらカナを抱きなさい、妻が言った。
「だからもう会わないって言ったの?」
そうね、椅子の上じゃなくて、ソファもだめだし、テーブルの上がいいな。
パソコンの画面を見ながらそう言った。
キイチのあの目が見たい。
わたしはあのキイチにいけるの。
わたしを好きなら見せて。
「でも、それはそれでこれはこれでしょう?」
基一はBの肩をつかんだ。そのままテーブルの上に押し倒す。
「ちょっと、何するの。やめて」
Bは抵抗する。
基一は押さえつける。
真上からBを見下ろす。
背中に妻の視線を感じる。そして、横からと、斜め下からと。
無理だと思っていた。こんな状況でそんな気になるわけがない。
口づける。舌先で唇をこじ開け、その中の湿ったBの舌に絡ませる。首を振り、Bはそれを遮る。「やめて」と言う囁きが、湿った吐息とともに耳に流れ込む。基一は欲情した。Bが拒めば拒むほど威狂う。妻が見ている。冷たく、動かず、執拗に見つめている。三つの視点で俺を見ている。わたしはあのキイチにいけるの。妻は言った。妻が望んでいるのだ。Bを見る。Bをいかせる。妻が欲情している。Bは妻だ。Bの中にしか宿ることのできない、そして、妻が外から見ることのできる唯一の妻自身だ。潤んだBの目が基一を見つめ返した。呆れながら、受け入れている。突っ張っていたBの腕の力が抜けていく。自分はいったい何をしているのだろう、と思い、同時に、抱かなければならないと追い立てられる。何にだろう。妻に似ている。妻に似ていない。乳房をつかむ。襟をはだけさせ、胸の谷間に顔を埋める。かすかな香水の匂いと汗のにおい。人間の肌の匂い。Bが純粋にB自身に思え、誰でもないただ象徴としての女と言う存在そのものにも思え、美しく思い、哀れに思い、愛しく思った。ほつれた髪を撫で、頬を撫で、柔らかくその瞳を見つめた。Bははずれかけたバレッタを取り、髪をほどき、諦めたように基一に手を伸ばした。もう一度、今度はゆっくりと口づけていく。Bのスカートの中のショーツを下す。せめてできるだけBの体と顔が映らないように自分の体の位置を留意した。その程度にはまだ冷静でいられた。Bは十分に濡れていた。基一も満ちる。張り詰めた自分のジーンズのジッパーを下す。
「待って」
Bは「つけて」と言った。避妊具がないと気づく。
「ないの?」
Bの声に現実的な色が帯びる。
基一の体の下で、ダイニングテーブルの上で、Bは基一を見上げた。目をそらし、基一が下した下着を身に着け、乱れたスカートの裾を整える。するりとテーブルから降りた。
「わたしも今日は持ってない。するつもりなかったから」
長い髪をかき上げ、手櫛でまとめてバレッタで留める。そしてまた、基一をまっすぐに見た。
「今日は三人でただ楽しく飲もうと思ってたの。そのくらいの節操はあるつもりだった」
「ごめん」
「どうしちゃったの? なんからしくないよ」
その口調は決して強いものではなかったが、咎められているように思った。黙り込む基一に、Bは今度は自嘲するように言った。
「らしく、なんて言えるほどあなたのこと知らないけど」
「ごめん」
「謝るのはずるいよ」
基一はまた黙り込む。確かに謝ってばかりいる。自己弁護からくる言い逃れが口癖になっているのだ。が、実はそもそも根本的なしくじりを犯しているのかもしれない。基一もBを抱くつもりはなかった。きちんと話して別れようと思っていたはずだ。
「帰るね」
「送るよ」
「いい」
Bは背を向け、椅子に置いたバッグをつかみそのまま出ていった。基一はその場から動けずにいた。
入れ替わりに妻が帰ってきた。
入ってくるなり基一に抱き付く。
「どうしてしなかったの」
妻は言った。できるわけがない、そう思った。基一はただ首を振る。
「……キイチ」
妻が基一を呼ぶ。最低な男だと思う。いたたまれなくなる。こんな自分を自分は知らない。
妻は慰めるように口づけた。
そして基一をきつく抱きしめる。
ふたりはその場で裸になりお互いの体を強く絡みつけ合った。
それでも妻は乾いていた。
基一自身は痛いほど充溢していた。
妻の冷たい裸の腹が基一のそれに充てられていた。妻の唇が基一の首元へと降りていく。ふたりの裸の肌に隙間ができる。妻が膝まづき、基一の股間に顔を埋める。歯を立てぬよう舌を絡ませ、唇で締め付ける。思わず声をもらす。
「だめだよ」
基一は腰をおり、妻の肩をつかむ。妻はその手を払い、基一の腰を抱き寄せる。妻の白い背中を見る。視界がかすむ。長い髪が背をゆらゆらと揺れた。抑えようとして、声がしかし、吐息とともに上がってしまう。限界だった。射てしまう前に妻の口から逃れようと肩をつかんだが無駄だった。妻の背のくぼみの先にある尻の輪郭を切なく、甘い気持ちで見下ろし、目を閉じ、脱力した。節操なんかなくていいと言われた気がした。
(あらすじ~第七話)
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(第九話~)
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