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大切なことは氏より育ち

最近、ある方が投稿されていた記事がすごく心に残った。

鎌倉室町時代に書かれた『乳母の草子』の中にある話で、

【人間形成は、氏より育ち】

今は昔の話。ある左大臣には、まことに可愛らしい姫君がいた。政(まつりごと)に忙しく、とても娘たちと一緒に過ごす時間もなく、左大臣夫婦は、娘たちの養育を、それぞれ二人の乳母に任せることにした。

上の姫君の乳母は、どちらかといえば不器量で、性格もあまり良くない女性であった。

人の忠告を聞くなどということはしないばかりか、実にわがまま勝手。食事の作法もよく知らないから、上の姫君に食事をさせるのも、箸を使わせず、両手で掴み、かぶりつくように食べさせた。その養育は、まるで犬の子を育てるようであった。

下の姫君の乳母は、気だて、性格がいいだけでなく、万事に教養のある女性であった。

雛人形を美しくつくり飾って、下の姫君の心を慰め、まるで友だちのように、付き添い、無作法をすれば、よくよく注意、躾け、また、女性の教養としての、書、和歌、琴など、十分に教えた。

ここに、また、でしゃばりで、つまらないならまだしも、面白く話をつくって言いふらす女がいた。で、上の姫君の乳母のところに行っては、下の姫君やその乳母のことを誹(そし)り、下の姫君の乳母のところに行っては、上の姫君や乳母の悪口を言って、面白がっていた。(このような人は、男女を問わず、今も、多くいる。)

この女の話を、下の姫君の心優しい乳母は、取り合わなかったが、上の姫君の性格の悪い乳母は、この女から、下の姫君の乳母が、書や和歌や琴を教え、まあ、意味のないことで、日々を過ごしていますよと聞くと、下の姫君の乳母に、ひどく嫉妬して、激怒した。

そして、「書などは、日記がつけられる程度で十分。歌など作っても、銭、米にもならない。琴を弾いても、誰も、なにもくれない。人間にとって大事なのは、現実的な算術が一番」と、上の娘に言い聞かせ、当時の女性の教養としては、不必要な算術を教えた。

二人の娘が10歳を過ぎた頃、仲秋の名月の夜、左大臣夫婦は、娘たちの成長ぶりを楽しもうと、宴を催した。そこで、それでは、皆で、月を題に、歌を詠もうということになった。

下の姫君は、次のように詠んだ。
「花咲きて 春にかすめる 月はあれど 秋の今宵の 空にことなる」
(花の咲く春の朧月(おぼろづき)も美しいものですが、今宵見る秋の月は、それとはまた、違った格別の趣きがありますね)

ところが、上の姫君は、次のように詠んだ。
「つくづくと 眺むるかひも 名のみにて 口に入らず もち月の影」
(望月は、あの食べる餅と同じ音ですのに、いくら眺めていても、食べることが出来ず残念ですね)

この二人の娘の歌を聞いて、左大臣夫婦は、それぞれの歌の違いように驚き、上の姫君の乳母を厳しく叱責するとともに、その場で、すぐに暇(いとま)を出した。この場に居合わせた人たちは、「やはり、幼い者は、ただ育て方ひとつだね」と、語り合ったことである。

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まさにこの通りだと思う。

子育てもそうだけど、会社も社員も同じ。

そして自分自身にも言える。

世界中が大変な今、まさに戦時中だと思う。その今だからこそ自分が大切にしているものを見失わず、自分を裏切らず、切り開いていきたい。

人は変わる事もできるし、変わってしまう事もある。

面従腹背でなく、素直・誠実・ボロは着ても心は錦でいたい。うちの会社も人をよくできる会社でありたい。またその仲間によっていい会社になっていきたい。

頑張ろう。

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