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相手や世界に求めるものより、自分が大切にしていることを書き出してみる

(お仕事のご依頼などいただける際はこちらも見ていただけると嬉しいです。)


こだわりこそが僕だとも言える。
「これだ」と思えるものをちゃんと探して、「これかも」と思ったらとことん大切にして生きてみたい。

「何をしているか」「何をしてきたか」よりも、
「何を考えていて、何をしたくて、何をさがしていて、何に葛藤しているか」「どんな方向へ向いているか」の方がその人を表す。

自分の場合は何だろう。それを表に出してみて、僕はそれで生きてみる。その時に出逢うものや人がある。
その出逢いで僕の世界を形作っていければ良いと思った。

今の自分はこうだと言葉にして、あとは堂々としていよう。
(長い文章なんですけどね。)


今さらながらの、2022年7月時点での、僕の自己紹介です。


「面白そう」で動く人

複業生活。2年スパンで新しい色を足す。風やスナフキンのように。その都度、惹かれる世界の方へ。
デンマーク行きだって「面白そう」だからだし、教員を辞めた理由も色々言えるけれどつまるところ「何か変えたい」だったから。

「変化を好む」というより「面白い方へ歩んでいたい」のだと思っています。

教員を10年、複業でカフェという新世界へ、そして今度はデンマーク🇩🇰。帰国後のイメージは農と介護とマッサージ。
新しいことをすると、新しいものが見えてくる。それでまた新しく動く。
「新しい」は可能性。ほんのりと見えたその先にどんな良い世界が広がっているかと想像せずにいられない。
「面白い」「面白そう」という、あの感覚が好きなのです。

僕の「これ面白い!」の期限は2年みたいだから、そのサイクルで新しいものを自分に加えていく。
そうやって、いつまでも飽きずにいる人生はきっと楽しい。
自分のこと、昔はもっと安定志向の人だと思っていたのですけれど。

色々なことを面白がりたいし、面白がってもらえたら嬉しい。こんなのもあるよねって乗っかり合って一緒に面白くできたなら最高。

「面白そう」に嘘はつけないから、それで僕は生きていく気がします。

ひとまず直近で描いている未来
・8月からデンマーク🇩🇰
・デンマークでエコビレッジを見てきたいし、住み込みボランティアをする予定
・戻ってきたら介護の仕事にチャレンジ。どんな自分に出逢えるか
・シーズン以外は使わない別荘の住み込みハウスキーピングをする代わりに家賃相殺とかできないだろうか(fbなどで呼びかけてみて)
・畑もして自分で食べる野菜は育ててみたい
・気持ちいい整体を受けている時の、起きているのに眠っているような感覚が好き。あれをできるようになりたい。東洋医学的なものの見方。マッサージや整体を学ぼうか。

この可能性リストも、どんどん違うジャンルへ枝を伸ばしていきたいなあ。


「自然」が常に心にある人

自分で暮らしを維持していける力、農的な力、サバイバルの力。野菜はせめて直売所で買う。
ものだってお金だって働き方だって、自分に必要なだけを知っている。ミニマリスト。

僕にとってはこれが「自然」な感覚。

稲垣えみ子さんの影響は大きいです。洗濯機を持たず手洗いしてみる。干し野菜で具だくさんのお味噌汁。どこでも自分の暮らしをする。いずれ畑をやりたいし、都会から離れていく。
家の照明はほとんど使わない。夜は自然と暗い部屋で、身体が眠たくなるのを待つ。次に手放すものは冷蔵庫か蛍光灯か…

この暮らし方は、もちろん今の一人暮らしだから。誰かと暮らすとか子どもがいるとか、そうやって暮らしも変わりうる。その時に洗濯機も冷蔵庫も必要となれば使えば良いと思う。
(でも、使わないでも生活できる力=サバイバル力はもっておきたいと思う。ひとまず生きていける自信=安心が僕にとっての土台だから)

どんな場所で、どうしていたいか。そう自分に尋ねてみる。返ってくる言葉はもう分かっている。
森、空、風があって、ゆったりしていて。人としてこういうものだよね、これは大切だよねということ、ちゃんと話を交わすことに嘘なく生きて。

そういう人間らしさ、naturalという意味での自然がいつでも僕の指針にある。

鎌倉のこの空、好きだった。15年くらい前?


この生活を始めてから、花や空や食に目が向くようになった。
季節を(=今を)教えてくれるものが日本にはこんなにたくさんある。それがすごく幸せだと思っていること。めぐる季節を愛でて生きていたいこと。

純度の高い場所を知っていること。ホンモノだなって、ここでは僕らは人間らしくいられるなって、生命の本来でいられるなって場所。
銀木犀注文を間違える料理店クルミドコーヒー屋久島

クルミドコーヒー。この茶色、やっぱり好いなあ。


純度の高い場所で心穏やかに過ごすことが幸せ。窓辺に座ってコーヒーを飲んで、ギターやハーモニカや本があって、浮かぶ言葉をノートに書き留めて。音は静か、時間はゆっくり、スマホより本、パソコンより手帳。優しく穏やかな薄明るさ。

夜はほとんど灯りを点けず、小さな照明ひとつだけ。身体が眠たくなるのを待ってから横になる。

BGMも派手な色もいらない。静かに過ごす、それだけで十分に幸せ。
そういう時間が流れる暮らしを続けていたい。
(そういえば、「いきたい」じゃなくて「いたい」と言えるようになった)


「お金」に縛られないために、ちゃんとこだわっていたい人

生活の安心は保てるように計算はする。でも貯蓄や投資(お金)より、静かで穏やかで好い時間が流れることこそが大事。

仕事が「お金」と「時間」を決め、暮らしはその範囲内に限られやすい。なんだかおかしいようにも思う。暮らしの方が大切なのに。
農をしたいのも複業もそのためで、「お金」を解消すれば仕事からも世間一般的な「人生」からも、かなり自由になるはず。

生きる上で、大してお金を必要としない体質になっておきたい。
ものを長く使う。お金をかけずに味わえる豊かさを知っておく。生活の工夫をする。ちょっとした「面白そう」をやってみる。誰かに贈りものをする…

ゆったりした時間が自分に流れていることが一番。そういう時間をもてることが一番。

住む場所は古民家とかで良い。贅沢じゃないけど豊かな生活。借家なら気軽に動いていける。その時々の状況に合う家を選べる。

人生そのものをちゃんと味わっていたいなあと思う。


「もっとあるはずだ」って思わずにいられない人

社会の中で生きるって、周りに合うよう自分のカタチを微調整することでもある。
たしかに必要。でもそればかりでいると僕らはどこか損なわれていく。

自分そのものは出せていないということだから。
自分の中の、分かりやすい部分、周りと合いやすい部分。そればかりで世界に参加しても、僕らの細部は削がれたままだから。

切り捨てたそれにこそ、僕らが宿っているのに。
自分を分かりやすくしなくて良い。ぐちゃぐちゃとか、分かりにくい話とかの細部やディテール。それこそ「僕」であり「あなた」じゃないか。
「あなたと私の関係」ならそれを出せる、話せるって感じられることが、人と人とが関わり合うよろこびなんじゃないか。

僕には分からないことだらけです。だから色々な角度から見つめてみたい。

あなたと話して、アイディアがわく。
5分前に想像もしていなかったことを話している。
あの話、前はちゃんと分かれなかったけど、今は少し分かるよ。だから今また蒸し返してもいいかな。
そういえばこんなことを思った事があるんだった。誰かに話そうなんて思っていなかったけど。でもあなたになら話せそうかも。

それにこそ僕は意味を感じます。

自分を分かりやすくしなくていい。分かりやすくするために削ぎ落したそこにこそ、あなたがいるから。それを切り捨てたくないって思うのです。
人の気持ちは一つじゃないし、「とりあえず今は」のカッコ付きでしかない。
「そうしたい」も「そうするのが怖い」も同時に感じているし、「こう言いきりたいけど未来は分からない」だって「でも今この気持ちは本当」だってまた真実。

この記事だってそう。どれだけ言葉を尽くしても、7000文字で僕を語れるはずがない。僕もあなたも、そんなに簡単な存在じゃない。
諦めたものとか、形になる前の思いとか、身体のどこかに潜めている感覚とか、表に見えていないたくさんのものも僕らを形づくっている。

分かった気がした時も、そんなに分かりやすいはずないのです。
同じ話を何度したって良いのです。それは聞いていないんじゃなくて、ちゃんと分かりたいってこと。

目の前のあなたは、目に見えているあなただけじゃないって、そんなことを思わずにいられないのです。


「あなたと私の関係」を結びたい人

あなたと僕との間に流れるこの良い空気に名前をつけるとしたら何だろう。
友だち、親友、家族、仲間、知り合い、ソウルメイト、パートナー、先輩と後輩、上司と部下、先生と生徒。
たくさんの呼び名はあっても、どれ一つ僕の感じをぴったり表してはいない。

それが当然だと思う。それで良いとも思う。あなたと僕との間に、何とも名づけ難くて他の誰とも違う固有の結びつきが生まれているのなら、それこそ僕たちがちゃんと関係を築けたということだ。

これに名前をつけるなら「あなたと私の関係」でしかない。
あなたとはそんな関係になれるだろうか。こんなことも話せるだろうか。
僕らは実は、一つひとつの関係にそんな期待を寄せているんじゃないかと思う。

僕の人生が幸せだと言い切れる理由の一つは、こうした関係をいくつか思い浮かべられるから。
時間や話を重ねた先に生まれる「あなたと私の関係」だから、僕の人生にそうたくさん生まれなくたっていい。数少なくても、ちゃんと関係が結べたらいい。

そう思うのに、気付けばいくつもそんな関係ができている。幸せだと、そう思うのです。
同時に、こうした関係が許されづらい教員という仕事を離れることは、やっぱり当然だったなとも思うのです。


やっと言葉になってきた三つのテーマ

ずっと考えてきたこと、考えていること、考えていくことは、こういうことなんだろうと思う。
あなたはどうですか。僕にとってはこれが自然。だから、誰しも同じなんじゃないかなってこともちょっぴり思っているのですが。

1.Life-long education

教育、人の成長、人生とは何か。ずっと僕の中にある問い。

教育educationが「引き出す」ことなら、年齢を重ねるごと引き出されるべきものは多くなる。教育は学校だけで終わるわけじゃない。
人生をかけて、僕は僕になっていく。その時々の僕がある。

ファーストキャリアで10年教育に携わった僕が、その後カフェをやったことで介護を知る必要を感じ、次の道として選ぶ。そういうことだって驚く話じゃない。

一生涯をかけた教育。その都度の学びがあり、引き出されるものがあり、整理されてその人が出来上がっていく。そんなイメージ。


2.Practical sustainability

無理なく続けていける自分の暮らし。それは食べ物のことだけじゃなく働き方だって含むもの。
仕事も、睡眠時間も、お金のバランスだって「暮らし」を形作る要素。

お金のためだけじゃ仕事は続けられない。楽しみに偏り過ぎても苦しい。バランスのとれたものを探したり、僕なら複業によって両立しやすくしたり。自分の人生に合う現実的な形。

このままじゃ「サステナビリティ」「SDGs」だってビジネスに取り込まれていく。そうじゃなく、自分の暮らしのレベルでできる形。

sustainableであることはもちろん、practical(現実的、実践的)であることが大事。
無理なく、自分の生命の形に合うやり方で暮らしていくこと。

そんな暮らし方を探して、実験して、形にして、やっていくこと。
お金だって、心だって、どちらも大事だってこと。


3.Life-size life design

自分の人生を自分でつくっていく。
「好きなことで生きていく」も「世界を変える」もそれぞれに魅力がある。
その上で、この人生を生きる自分のlife-size(等身大)に合う生き方は何か。

自分とは長い時間をかけて出来上がっていくもの。「どんな風に生きていたいか」考えることはできる。「したい」がどんな方に偏っているか。ある程度なら思い描ける。
全てを今決めるなんてできない。その時々で選んでいく。

あなたと出逢ったのが今だったことにも意味があるし、この気持ちが叶わないことにすら、きっと僕の人生への意味がある。
世界は優しくて美しいから、僕が思い描ける以上のものがきっとある。

それがあって、僕という人生が出来上がっていく。


人間関係やパートナーシップについて

いっしょに日々を重ねる人とは、ここまで書いてきたようなことも話せたら良いなあ。
あとは、関係を保つためにこんなことも僕はしたいなってこと。

火曜ハグの日。
相手への気持ちに素直になれる機会が日常の中に組み込まれていること。素敵だし必要だと思う。
いそがしさに負けて僕らの関係性が劣化していくのは本当に悲しくて、でも時々ふと良い話ができたら「ああ、こうやって話せるこの関係、やっぱり好きだなあ」って思えたりする。そういうのを再確認できる機会が定期的にあること。
そうやって精神的に繋がることと同時に、マッサージをし合うとかも大事だと思う。

テーマトーク。
お金についてどう思う?とか、どんな子どもだった?とか、この映画のこのセリフ良いよねとか、他愛もない話から真面目なことまで。
僕らは話しているように見えて、その中身はともすれば生活や仕事のことばかり。こんなに一緒にいたのに互いを知らない、なんてことも起こりうる。
それは嫌だなあ。せっかくの関係が悲しいなあ。そう思うのです。
だから例えば毎月15日の夜は…とか決めて、真剣な話もできる友人みたいに向き合えたらいい。放課後の教室ですごす二人みたいに自分のことを話せたらいい。
そんな時間の積み重ねの先に「こんなこと、本当は誰かと話したかった」って気持ちが叶えられるといい。
できれば空間づくりも一緒に楽しめたらいい。今日はこんな話がしたいから部屋を暗くしよう、音楽はこれをかけよう、今日は散歩しながら話そう、あえて顔を見ずに電話で話そう、こんな空気をつくりたいから椅子の向きをこうしよう…なんて。
映画『Before Sunrise』や『Before Sunset』のように本当の気持ちを話しやすい設定づくりを一緒に考えたり。

『Before Sunrise』では、親友への電話を演じて相手への気持ちを伝え合ったり。
『Before Sunset』では「明日もし最期を迎えるなら何を話す?」と互いの気持ちを切り出したり。

子どもがいる生活になったらプチ旅行。
家族みんなで出かける日と、僕と子どもだけで出かける日。
僕と子どもだけの旅行は、子どもとゆっくり関わる時間ができるし、パートナーさんには一人になれる時間を渡せる。
旅行の時は子どもに1.5万円を渡して「一泊二日の全予算」として運用を任せてみたら面白そう。交通費と宿泊費だけ僕が払っておく。そして食費やお土産、遊ぶお金は子どもに1.5万円の遣い道を手渡してみて。

流れていてほしいのはゆったりした時間
だからフルタイムの勤務はもうしないのだと思う。リモートワークだったり、夕方からの仕事だったり。そういう方が合う。
子どもが公園でもう少し遊びたいとき、パートナーさんと何か話をしたいとき、あるいは落ち着ける時間を手渡したいとき。僕にゆったりした時間が流れていることが最低条件。
見逃したくない一瞬を、他のことに追い立てられて過ぎ去らせてしまうのはもったいない。
収入はおそらく多くない。でもきっと日々に良い時間が流れている。
自由なお金はそれほどない。でもきっと豊かな暮らしを送っている。

家族作戦会議。
お金の面とかあの時こう思ったとか、そんな真面目な話。あと、今とかこれからとかワクワクの話。
あの時は本当はこうだったって、伝え直せたり、話を蒸し返したりする機会が約束されていること。この前と気持ちが変わったよって、こんな風に今日は思うよって言えるタイミングがあること。
そういう積み重ねで「今」ができていって、たくさんの選ばれなかったものがあって「今」ができていって、そういう分厚さを伴って「今」を感じられること。
そうなれるように、時間を重ねること。

いつかの空。世界の優しさ美しさ。こういうのを見逃すことなく生きていけたら良い。


「都会」も「便利」も、もういいと思っている

久しぶりに都会へ行くと、ほしいものが特段なくて驚く。むしろ「ここに住んでも家賃は高いし野菜の直売所もないしなあ…」なんて思う。

じわじわと、でも確かに変わってきた自分。
僕がほしくて好きなものは、空や風や時間なのだと思う。

その意味では別にどこでも良いのだけれど、都会すぎたり便利すぎたりすると大切にしたいものが侵されていく感覚もあるから、適度に距離をとっていたい。

今の自分が吸い込んでいたい空気ってある。近ごろはそのことに敏感になってきた。

僕はひとまず、窓辺で風に当たってボーっとする時間と、変わりゆく夕暮れを時間に追い立てられず見ていられたら幸せです。今のところ。


僕の中で無理なくイメージできるから、きっとこの方向に向けて人生の形が整っていくのだと思う。ゆっくりと、少しずつ。

猫のような素直さで。


ここに書いたこと、主張と呼ぶほど広めたいわけじゃない。宣言と言うほど強いわけでもない。
炭に火が点いたと見届けるような静かさで、今日もここにあると確かめるような手触りで、僕は今こうであると書いておきたいだけ。

だから自分はこうだと表明する一方で、ここに書いたことすら捨てられる自分でもいたい。それが目の前の人と一緒に良いものを築くためになら。

多くの人が僕をスナフキンみたいと言うから、きっと僕はそうなのでしょう。昔は何かになろうとしていたけど、人からの言葉で自分を形づくる、それもまたよし。

今日も、これからも、こうして幸せ上手でいよう。
年齢を重ねて、人生がどんどん自由になってきている。


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