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十和田湖を小坂町から観たときはまだ十和田湖の境界に未定地があった時代だったんだよな。ポイントである鹿角の特性は小坂鉱山と田中正造(鹿角県時代の役人)ときりたんぽ(鹿角発祥で佐竹藩強めな秋田は実はだまっこ文化)で覚える、だっけ。

話のラインとしてはここの延長線上、とも言えるのかなあ。

北海道から冷徹に眺めてみると、特に東北に
おいては青森、山形、福島のユナイテッド
ぶりがいろいろ粗になって見えてくるもの
だから。〜その1・青森編。|torov|note

確か十和田湖を展望台から観たのはここからだったような。

鹿角の特性は小坂鉱山と田中正造(鹿角県時代の役人)と
きりたんぽ(鹿角発祥で佐竹藩強めな秋田は実はだまっこ
文化)で覚える、だっけ。


小坂鉱山が栄えてたから旅客もやるほど鉄道文化が花開いて
いたとも言えるし、それ附随した問題も抱えていたと。

江刺県花輪支庁に務めたが投獄とかされて、後に「公害」
一号事件として数えられる「足尾鉱毒事件」の告発者に
なった経緯もあるが、江刺県的な部分も含めて石川啄木と
絡める事象もあるのね。

あこ
@akpd850y

今の県境と江戸期の藩境は全然違う事が多いようです
親は両親共に鹿角産ですが佐竹藩の意識は薄め…
元々南部藩なので秋田市との連帯意識が薄いというか…
親近感は盛岡の方があります、なんと言っても近い

お借りした画像ですがこんな感じ、ニョキっと秋田にくい込んでる辺りが鹿角なんすわモロに

2024-09-16 2:13:10

この経緯もあって、旧南部藩の領域が青森県と秋田県に
分割されたため、長い間十和田湖の境界未定地が問題になっていたけど、
ここは解消されたのよね。

端緒は廃藩置県にまで遡り、1871(明治4)年の11月に鹿角郡が
秋田県に編入。

9784408107127

この本が出た頃まではまだ境界未定地が残ってた。


 以降トラブルに至ったのは、さかなクンの研究でも知られた
ヒメマス(に関連した漁業問題)と、地方交付金を巡る
一連の話で揉めて、解決は2015年まで結論を見なかったのよね。

で、話題になったのは田沢湖で絶滅した、と云われてたクニマスが西湖で、だったか。

ヒメマスは現在、東日本のあちこちの湖に移植され、釣りや
漁業の対象になっていますが、もともとは阿寒湖と、その近く
のチミケップ湖原産の、湖沼陸封型ベニザケなのです。
青森・秋田県境に広がる十和田湖のヒメマスもまた、阿寒湖
→支笏湖→十和田湖という経路で、十九世紀末に十和田湖に移植されたものです。
(支笏湖経由でのヒメマス移植は、十和田湖が
最初だそうです。)

十和田湖は、田沢湖と同じくカルデラ湖なのですが、
十和田湖に流れ込む河川はなく、しかも十和田湖から流れ
出る奥入瀬渓流は、大滝という、文字通り大きな滝がある
せいで、魚が遡上できないんですよ。そのため、ヒメマスが
移植されるまで、十和田湖は魚のいない湖でした(大きな雨
水溜まりですね)。ヒメマス移植に成功したおかげで、
現在、十和田湖を訪れた人は、そのあたりのレストランや
旅館でヒメマス料理を味わうことができます。


で、「きりたんぽ」は鹿角発祥の食文化。

鹿角の「きりたんぽ」とお隣である大館の「比内地鶏のスープ」がセットでこそ「きりたんぽ鍋」の味のスペックは高くなる、ってものなんだし。

 逆に「挽き割り納豆発祥の地」でもある佐竹藩が治めた
地域の秋田は「だまっこ(だまこ)鍋」の地域、って違いは
食文化としてものこってる。

鹿角を中心にしたこの地域の特性は大体このあたりを一纏めに覚えて
おくのがいいとは思うのだけど。
(そしてこの地域の特異点スーパーITOKU(いとく)
には寄っておきたかったけど、強権振りかざしていた伯父がイオンと
道の駅にしか寄らない横暴な人だったので、未だにそこは後悔していたり)




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