見出し画像

閉経していく日本テレビには多分明確に未来がないんだな、と思いつつ。それまでの日テレを培ってきた現場の人達の本が写経ノートに記されていたから、たまにはそのあたりから「歴史的な反省と箴言」くらいは拾って見ようかなと。

少し余裕時分で動いていた新聞のSCRAPも総仕上げに向かう
頃合いだ。この水木でなんとか仕上げ切って切り出し終えられるといい調子なの、だが。

 まあ、それまでの日テレを廻してきたものが次々と閉経
していってもなお嫌がる市来アナにへばりつくラルフ鈴木が
咎められないワールドを作ってる日本テレビには多分明確に
未来がないんだな、と思いつつ。

「思い込みの二項対立」は虚しく壊れた人間しかドラッグ&ドロップできない。「デリカシーのない人」しか生み出せないから。|torov

こういうときこそよしなしごと、って括りが有効で活用すべき時期なのか。なんだか一寝入りはしたのだけど、記事がなかなか纏まってくれないので。|torov

 まあたまたまそれまでの日本テレビを形成してきたテレビマン達の
証言は3冊くらい写経ノートに揃ってたから、そのあたりから
「歴史的な反省と箴言」くらいは、拾って見ようかなと。


 悩んだ揚げ句の結論は「言ってしまったものは仕方がねぇ」
そうだ。給料もらって、遊ばせてくれて、時間がいっぱい
あるんだったら、勉強するしかないじゃないか。
 ベテランアナウンサーの持っている知識の広さを勉強し、
一流のタレントが持っている表現能力も盗もうぜ。言って
みれば両方のいいところを身につけてしまえ、今こそその時だと。

福留功男『葬らん!』(A.G.出版,1997.07)p69

やっぱり福留功男にも舌禍事件の頃があり、そんな充電期間
に範にとったのが当時の(吹き替え中心の)声優にあった、
といふのが思えば今の価値観からしても面白いあたり。

 当時、声優で、トップを走っていたのはなんと言っても
外国テレビ映画の吹きかえやナレーターもしていた矢島正明、
山田康雄、野沢那智といった人達でした。彼らは本当に
うまい。我々アナウンサーのように規格品ではなく、非常に
豊かな表現力があり、引き出しをたくさん持っている。
 干された一年間は、彼らの語り口を片っ端から口真似で
勉強したり、新聞をすみずみまで読んだり、また、つとめて
本を読むようにしていました。

福留功男『葬らん!』(A.G.出版,1997.07)p69-70

 それが長嶋茂雄の引退セレモニーの際に見い出されて、
越智正典の最後のアナウンスと入れ替わりにルーキーとして
出てくることとなる、か。

こいつ、ただの鼠じゃねぇな、と思った。福留功男だった。
のちに彼とは『アメリカ横断ウルトラクイズ』を作ることに
なる。今日、越智正典が生涯最後のアナウンスなら、その
うしろからダーッと踊り出してきたルーキーもいた。

佐藤孝吉『僕がテレビ屋サトーです』(文藝春秋,2004.01)p166


ちゃんとこの本には『木曜スペシャル』の成り立ちと発想から、
『アメリカ横断ウルトラクイズ』羽田のジャンケン対決誕生の経緯まで
公開されている。

後藤さんが言った。
「この番組は、毎週、特番をやろう」
毎週、特番をやる。『木曜スペシャル』は、そういう発想で始まった。
 プロデューサーは石川一彦。

佐藤孝吉『僕がテレビ屋サトーです』
(文藝春秋,2004.01)p145

「羽田空港出発直前のクイズさ、あれ、やめよう」
迷っていた選抜方法は、その夜、即決した。
《ジャンケン》にする。1対1で、先に4回勝った方が勝ち。
ひと昔前なら、人を馬鹿にするなと非難を浴びる暴挙が、
真剣に検討され、真面目に採用された。

佐藤孝吉『僕がテレビ屋サトーです』
(文藝春秋,2004.01)p257



 で、一方音楽畑から入り、最近だと博多大吉や東野幸治、
はたまた大泉洋が身につけたとも言われているフロアマネージャー
としての才能。
 その元祖とも言われる現場指揮官としてのフロア・マネージャー
として知られたのが井原高忠門下の「ギニョさん」と
呼ばれた斎藤太朗(たかお)。

 いずれにせよ、仕事は自分で作るものだ。そこにいて、
何でもかんでもできることをやっていると、そのうちに、
そこにいなきゃいけない奴になってしまう。

斎藤太朗『ディレクターにズームイン!!』(日本テレビ,2000.02)p129

 リハーサルから全部立ち会って、フロマネという職種を
作り上げようとした。そうしないと、絶対にこの仕事は
面白くないと思ったからだ。
 これを作り上げられれば、日本一に決まっている。僕の
ほかに専門のフロマネなんて、誰もいないんだから。
サブコン(サブコンソール=副調整室)が中枢司令部だと
すると、フロア・マネージャーは現場の司令官だ。

僕は戦闘場面の司令官になると決めた。

斎藤太朗『ディレクターにズームイン!!』(日本テレビ,2000.02)p131


 ま、斎藤太朗は『カリキュラマシーン』なんかで出役にも
なり、演出の幅が広がったと証言してるから、佐久間宣行P
にも読み込んでおいて欲しい本の一つだけどね。
(まあ半ば年1のnobrocktvで東野幸治から吸収している、
とも見えはするけど)

 僕は出演者になってみて、現在どういうことが行われていて
あとどのくらいかかりそうとか、「少し楽にしててください」
とかいうインフォメーションがあれば、ずいぶん違うという
ことがわかった。
 たから、それ以降は、できるだけ出演者に現在の状態を
説明したり、トークバックをわざと押しっぱなしにして打ち
合わせをやったりするようになった。
 キューサインの見やすさにも気配りするようになった。

斎藤太朗『ディレクターにズームイン!!』(日本テレビ,2000.02)p228


『ズームイン!!朝!』は斎藤太朗は立ち上げから徳光時代が
大半なので、佐藤孝吉が持ってきた企画「カルガモの親子」は
この二人で縁があるけど、福留功男時代になるとみのもんた
お付きでスライドするからギニョさんと福留功男の接点は
あまりなかった印象だけど。

 先輩徳光和夫はムダを芸に変えてみせる男だが、
福留功男はムダをとことん削(そ)ぎ落す話術を目指している。

佐藤孝吉『僕がテレビ屋サトーです』
(文藝春秋,2004.01)p431

とも評されている福留功男の真骨頂はやはりインタビューする
際の姿勢と技術。

気持ちの整理ができ始めたかなと思って待っていると、負けた人が
自分から、しゃべり始める、その言葉が真実の言葉なのです。
 その瞬間を待つのが、インタビューする人間にとって最も
おいしい瞬間。

 自分からは、しゃべらない。いつも待つ。待って、待って、
待って、その気持ちをしっかりと受けとめる。悲しみやら、
悔しさやら、家族のことを思う心を素直に受けとめる。
その時に、司会者が発する言葉は、自然に決ってくるものです。

福留功男『葬らん!』(A.G.出版,1997.07)p87


まあ閉経しつつある日本テレビの現場としてはカメラマン
目線のコレをやらかそうとしているに過ぎない、とは思うけど、
を末尾にしてこの項を締めたいかと。

 やってやろうじゃないか、と手持ちのノウハウで敵情視察
してる現場の、真っ当な視点を取ることすらできないほど「空疎な結果」
しか追えない素人テレビマン報道に日テレも陥りそう、(美辞麗句に
酔いしれた箱根駅伝実況のように)と見立ててはいるのだけどねえ。

 NHKのブースでは、磯村(こないだ死んだ尚徳)さんが
カッコつけて小難しいことを喋っている。このオジさんは、
庶民の気持ちがわからない人。飾った言葉が、視聴者の頭の
上を通り過ぎていく。

 フジは両美人アナ(頼近美津子と田丸美寿々)が、無駄に
競い合っていた。

 TBSはゲストの顔を撮っている。馬鹿な。馬車があの
トラファルガー広場にさしかかってるって時に……。

佐藤孝吉『僕がテレビ屋サトーです』
(文藝春秋,2004.01)p316-317

まあこの各テレビのカメラ視点とズレ方は限りなくJリーグ
での「わかってない」カメラの振り方に酷似してるのが、
なんともはや。


NDCは699.6になってはるね。

こちらのNDCは699.39。
699の分類だと「放送事業」になるか。



#NDCは699
#元図書館司書
#私の仕事
#わかってないカメラの振り方に酷似
#素人テレビマン報道
#市来玲奈アナ
#福留功男
#佐藤孝吉
#斎藤太朗
#ギニョさん
#写経ノート
#アメリカ横断ウルトラクイズ
#木曜スペシャル
#フロアマネージャーとしての才能
#元祖フロア・マネージャー
#東野幸治
#nobrocktv
#インタビューする際の姿勢と技術
#好きな番組
#思いこみの二項対立
#つらい
#わたしの勉強法
#読書感想文

この記事が参加している募集

読書感想文

わたしの勉強法