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大河「いだてん」の分析【最終回の感想】 1964東京オリンピックは絶品!

第47話にあたる今回がついに最終回だ。
“全話の感想”もこれで完走となる。
最終回はもちろん1964年東京オリンピックである。

〜あらすじ〜
1964年10月10日。念願の東京オリンピック開会式当日。田畑(阿部サダヲ)は国立競技場のスタンドに一人、感慨無量で立っていた。そこへ足袋を履いた金栗(中村勘九郎)が現れ、聖火リレーへの未練をにじませる。最終走者の坂井(井之脇 海)はプレッシャーの大きさに耐えかねていた。ゲートが開き、日本のオリンピックの歩みを支えた懐かしい面々が集まってくる。そのころ志ん生(ビートたけし)は高座で『富久』を熱演していた──。


1、“大雨”の国立、“秋晴れ”の国立

金栗四三と田畑政治はドラマの中で何度対面しただろう。
じっくりとふたりきりで対話したシーンとなると2度ほどしか思い出せない。
そのふたりが、つまり大河の主人公であったふたりが、東京オリンピック当日の早朝、誰もいない国立競技場に一番乗りをしてふたりきりで出会い、会話をする。最終回の、一番最初のシーンだ。とても良く晴れた秋晴れの国立競技場。
感慨深い。
このふたりがいたからこそ、今日の晴れ舞台があるのだから。

午後1時20分、国旗掲揚。午後1時58分、天皇陛下御臨席。そして、各国選手団の入場行進開始。

「晴れてよかった、あの時は、大雨だったから」
日本選手団の行進がはじまると、観客席に座る長老たちが口々にそうつぶやく。
“あの時”というのは「学徒出陣の日」の事だ。
1943年、学徒出陣。今日と同じ国立競技場の場所から、2万5千人の学生が戦場へと出陣したセレモニー。いだてんだとそれは第38話で描かれた。

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その会場には、金栗、田畑、東、河野、たくさんの観衆がいて、大雨の中、涙を流しながら万歳を繰り返した。

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田畑はその時に誓った。この同じ場所で必ずオリンピックを開催してやる、と。
そして夢を叶えた。
金栗が、田畑が、東が、河野が、あの日のように自然と万歳をはじめる。しかし“あの日”とはまったく異なる気持ちで。誇らしく、愛おしい感情で。
決して歴史は消せはしないけれど、上塗りできるものならばと願いながら、精一杯に声高らかに、万歳、万歳、万歳、万歳、と。

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2、金栗四三の“目の光り”に感動する

ところで気のせいかもしれないが、金栗四三は前話の第46話までヨボヨボのじいさんに描かれていたように思うが、この日の四三は、顔のシワや動きこそ高齢者だが、目の光りや、声や、セリフには、往年の四三を彷彿とさせるシーンがいくつもあり、そのことに泣けた。
特に、聖火の最終ランナー坂井義則君を元気づけようと、控え室へ声をかけに行く四三のシーンは印象的だ。

「金栗先生はなぜ走るのですか」
「それな、いままでなーんべんも聞かれたばってん、いっちょーわからん」

このあっけらかんとした感じ。必要なこと以外は気にもとめないようなおおらかさ。坂井君はぶるぶる震えている。なぜ自分が走らないといけないのかと今にも逃げだしたい気持ちと戦っている。「ただ原爆の日に生まれたというだけで僕なんか“何者でもない”のに…なぜ僕が走るんですか…?」しぼりだすように、震えながら、愚痴をこぼす坂井君。

“何者でもない”

四三はそれを聞いてすっと立ち上がり台所を借りて戻ってきたかと思うと、突然坂井君の頭の上からバケツいっぱいの水道水を容赦なくぶっかける。
「冷水浴たい、どぎゃんね、落ち着いた?」
そして、坂井君の目をグッと見る。笑顔でも怒りでもない。強く、あたたかい目で。

「なーんも、考えんと、走ればよか!!」

坂井君の震えがやがて止まる。
なんて金栗らしいセリフだろう。

みんな、“何者でもなかった”のだ。
金栗は熊本のなかでも田舎村の8人兄弟の7番目に産まれて走る事だけが得意のそのへんにいるガキだったし、田畑だって、浜松に生まれて浜名湖では日本泳法が活発だったのに病弱で泳ぎを禁止された口が達者なだけのただのカッパだった。
他の選手たち、登場人物たちも、みんなそうで、“何者でもない”人たちの集まりだった。だから坂井君も、気負うことなどなにもない。誰しもが“何者でもなく”、ただやれることを精一杯やるだけなのだ。四三はいつもそれを伝えてまわる。いつもそうだった。困った人がいれば走って救いにいく。それが“韋駄天”なのだ。

3、“五りんの富久”も絶品である

続いて五りんについて。
師匠の志ん生をしくじって出入り禁止になっている五りんが、落語協会枠の聖火ランナーとして走ることを決意する。五りんには、走りたくても走れなかった家族たちがいる。走れるチャンスがあるのに走らないわけにはいかないと、祖母や父の夢を背負い、五りんは走る。

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それだけではない。
五りんと志ん生の出会いは「富久」だった。富久がふたりを繋いだ。志ん生の富久を「浅草から芝」まで延ばした原因は五りんの父親の小松勝で、小松勝の師匠は金栗四三だ。小松勝は戦争でオリンピックが中止になり出場する事ができずじまいに亡くなってしまった。四三はそのことに胸を痛めている。四三自身も念願だった聖火ランナーとして走る事は叶わなかった。
その最終聖火ランナーを四三ではなく坂井君で推薦したのは田畑政治だ。たくさんの人々が全国でリレーする聖火バトンリレー方式にこだわったのも、田畑の夢だった。
五りんはその聖火ランナーとして走る。
五りんはたくさんの仲間たちの思いをのせて、走るのである。「火事だ、火事だ、火事だー」

聖火リレーを終えたあと、千駄ヶ谷の国立競技場から芝公園へ走る。「火事だ、火事だ、火事だー」
スッスッハッハッ

芝公園で、師匠に出入りを許してもらえて感動していたら、浅草の病院から電話が鳴る。「五りん急いで、知恵ちゃん、産まれるって!」
芝公園から浅草へ走る。「火事だ、火事だ、火事だー」
スッスッハッハッ

五りんは自らのカラダで、富久を演じてみせたのだ。“五りんの富久”も「絶品」だった!

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余談だけど、たしかに前話から、
「出産予定日はオリンピックの開会式と同じ日だ」と伏線ははられていた。だから聖火リレーに出場するのは難しいと五りんは言った。そう五りんがつぶやいたせいで、それ以上その同日性の意味には気にもとめていなかった。
それがまさか最後、富久の“浅草へとんぼ返り”に繋がるなんて!思いもしなかった。「富久は片道だけでは終わらない」。構成力が素晴らしすぎてまた泣けた。宮藤官九郎は天才だなと思った。

4、ごちゃまぜの理想郷、田畑の夢

さあ、最後の話題に触れよう。
10月24日、閉会式。
理路整然と美しく統制された行進の開会式とは異なり、「閉会式」は、選手たちが高揚し、整列の言うことを聞かず、スタジアムに溢れ出るようにしてはじまった。あとは画面画像を引用しよう。

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めちゃくちゃだ。

でもみんな、楽しそうだ。

これは、田畑が目指した理想郷の実現なんだとわかった。

当ブログでは、第41話の項に詳しくまとめている。あらためて引用しよう。

共産主義、資本主義、先進国、途上国、黒人、白人、黄色人種。
ぐちゃぐちゃに混ざり合ってさ、純粋にスポーツだけで勝負するんだ。
終わったら選手村でたたえ合うんだよ。
そういうオリンピックを東京でやりたい。

たくさんの戦争も、
仲間の死も、
政治の嫌な側面も、
国同士のいがみ合いも、
お金の問題も、
いだてんは真正面から描いてきた。
綺麗事だけではなく、そういう諸問題の存在もきちんと受けとめながらも、それでもなお、

人間と人間が生身のカラダだけをつかって競い合うことで交流する“平和のためだけの祭典”が、「4年に一度開催される」という事実は、我々世界中の人類にとって“大きな希望”ではなかろうか。

この閉会式のシーン、エンディングシーンには、その人類の希望がこめられている。

(おわり)
※他の回の感想や分析はこちら↓


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