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そんなことで?腕を切る(日記19)──ミサイルが落ちてくる恐怖に怯えること

初めて腕を切ったのは中学1年生の秋だった。
その日、日が暮れるまで友達と下駄箱で話し込んで、積もる話に満足して帰って家の扉を開けたら、兄が「帰ってきた!!」と大声でリビングから飛び出してきた。
そのとき、日が暮れても帰ってこない娘を心配して母が血相を変えながら学校にも電話していたことを知った。

私は友達と積もる話をしてすっかり満足して帰ってきたものだから、そんなことになっているとは微塵も思っていなくて驚いて、娘の無事に心底安堵して、ちゃんと帰ってきなさいと叱ってきた母親との温度差に戸惑った記憶がある。

私にとっての18時と、母親にとっての18時という時刻に対する認識の違いがあったらしい。

そして「○○先生にも連絡しといたから」と担任の先生の名前を母親が出した次の瞬間から、私は“恐怖”の個体になった。

明日学校に行ったら、今日のことを怒られる!!

かわいい少女が考えそうなことである───けど、その私にとって当時怒られることは自分にとっての“終わり”で、最大の恐怖だった。
さっきJアラートが鳴ってミサイルが落ちてくることに不安になってたけど、よするにそれと同じことだったんだと思う。

その夜私は眠れなくて腕を切った。
【そんなことで?】腕を切った。
母親に対する恨みか、明日への恐怖か、漠然としたものを傷(漠然)に変えていく、そんな作業なのだと思う。


ミサイルが違う形で私の世界にも存在している



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