自閉症(発達障害)の息子が保育園を卒園して、パパとして思うこと
先日、息子が通っている保育園で卒園式があった。息子は卒業生だ。
両親へメッセージを伝える場面で、息子は「パパとママの子供で良かった」とスピーチしてくれて、いろいろと胸にこみ上げるものがあったのだが。
自分はそれよりも、息子が卒業式の間、きちんと座っておとなしく待機していることに、もっとも成長を感じていた。
息子は5年間、同じ保育園に通った。
5年間を通して、保育園の朝の送りはパパである自分がずっと担当した。
最初の1年間(1歳〜2歳)はベビーカーで、その後の4年間(2歳〜6歳)は徒歩で通った。
徒歩といっても、何の苦労もなく息子と歩いて登園できるようになったのは、最後の1年ぐらいだ。
3歳のイヤイヤ期というものを、よく聞くわけが。
うちの息子は自閉症なので、規模が違う。
一般的なイヤイヤ期の何十倍も大変であろうものが、つい最近まであったと考えてもらえれば良いかなと。
その辛かったときの内容を、この記事にズラーっと書き進めていたのだが・・・
ざっくり消した。それを書くと、どうしてもどこか被害者意識みたいな内容になってしまうので。
そういうツライ日々を掘り起こしたくて、この記事を書いてるわけじゃないなと。
ちなみに、自閉症に関するツライ日々を凝縮した話は、「100人で書いた本〜場所篇〜」に載せているので、その話を探して読んでもらえたらな〜と。
さて、自分は半年ほど前に、VALUである宣言をしてたんですよ。
息子の保育園生活が終わって、朝の送りが無くなったら家から出て行こうと。
そして、いま思うのは・・・
出て行きたい気持ち自体は変わらないw
でも、出て行くのは止めます。まあ、当たり前の結論ではあるんだが。
というのも、最近はむしろ自分が、息子に助けられてるという思いが強くなってまして。
前にも書いてるのですが、自分と息子って似てるんですよね。
息子が発達障害なら、自分も発達障害だろうなって。
自分の場合は、診断を特に受けてるわけではないので、発達障害という認定自体はされていないのですが。
まあ、息子と同じような自閉症なんだろうなと。
明らかに発達障害特有の「生きづらさ」を、現在進行形で感じてるわけで。で、自分が息子と接するにあたって、自分の子供時代を思い起こしてそれを軸にしていることが多いんですよね。
療育に関しては、一般的なことは施設でやってくれるだろうから、自分は遺伝的に似通ってるからこそわかる部分をもとに接していこうと。
ただ、自分の子供時代は「発達障害」という言葉がまだ無い世界だった。
言葉がないからこそ区分けをされずに、自分は普通の子としての子供時代を過ごせたような気がしてまして。
いまは、「発達障害」という言葉があって、認知されている世界。
自分とよく似た特性を持つ息子が、子供時代を違う世界線で戦ってるような感覚だったり。
そして、いまいる「発達障害」という言葉がある世界を、息子と共に自分も攻略したいなと。
とりあえず、ここ5年間ほどは先のことが全く見えない状態で、目の前のことをこなしていくだけで自分自身も精一杯だったなと。
環境のせいにしたくないけど、環境のせいにせざるを得ない部分があまりに多すぎた。
でも、息子が小学校に上がるにあたって、やっと自分自身がいろいろなものから解放された感じでして。
それと同時に、もう環境による言い訳は通用しない。
30代は本当に苦しいことだらけだったけど、40代でやっと自分自身の人生を楽しめる状況になったなと。
これからの激変の時代を攻略して、生き抜いて行くぞ!