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映画感想 カラー・アウト・オブ・スペース-遭遇-

 それはアーカムの片田舎で起きた出来事だった……。
 ネイサン・ガードナー一家は小さな農場を経営していた。農場では数頭のアルパカを育てていて、犬も馬もいる穏やかで賑やかな農場だった。妻のテレサ・ガードナーはオンラインで顧客に株取引のアドバイスをする仕事をしていて、2人の息子は健やかに育ち、娘はやや反抗期でおかしな黒魔術に魅了されているが、それはそこまで家族関係をこじらせるものではなかった。
 どこにでもある、静かで美しい農場だった。
 そこに一撃の隕石が落ちてくる。隕石と共に農場は奇怪な“色”に彩られるようになっていく。隕石が落ちてきた日を境に、農場は崩壊し、ガードナー一家も崩壊していく……。

 『カラー・アウト・オブ・スペース-遭遇-』はH・P・ラブクラフトの原作『宇宙からの色』を映像化した作品である。制作は2019年。主演は今やすっかり“B級映画の顔”ニコラス・ケイジ。
 監督・脚本を務めたリチャード・スタンリーはWikipediaにも特に詳細が記されていない。どうやら短編映画やインディーズ映画の監督を務めた作家のようだ。『カラー・アウト・オブ・スペース』によって「メインストリームに復帰した」という記述が見られるから、その筋ではどうやら知られた人のようだ。

 『カラー・アウト・オブ・スペース』こと『宇宙からの色』はとあるのどかな農園に一発の隕石が落ち、それによって一家の生活が荒廃していく様子が描かれていく。農場周辺には奇妙な“色”をした草花が咲くようになり、周辺の野生動物も奇怪な怪物に変貌していき、農場は恐怖に囚われていく。
 作品はその“奇怪”な状態をまず“色”で示している。
 原作にはこう書かれている。

 スティーヴァン・ライスが朝にガードナー家の農場を通りかかり、道の反対側にある林のそばの泥濘に、ミズバショウが生えているのに気づいたのだった。これまで見たこともないような大きさで、言葉ではあらわせない不思議な色をしていた。形はばけものじみていて、まったく前代未聞の臭に馬がいなないた

 原作では「不思議な色」としか表現していない。ラブ・クラフトの小説にはよくあることで、作中におけるもっとも重要と思えるディテールに関して、あえて描写しない……ということをよくやっている。「悍ましい何かを見た」「名状しがたい音を聞いた」……ラブクラフトの小説は基本的には論理的に細かな描写を掘り下げ積み上げていく作家だが、このもっとも重要な「恐怖の核」となる部分だけは描写しない。そこだけがすっと文章に影が落ちたようになっている。そこで、読み手は「いったい何だろう」と想像し、勝手に自分が思う「もっとも不気味なもの」を当てはめて読んでしまう。
 『カラー・アウト・オブ・スペース』の原作『宇宙からの色』において描写されない恐怖の核が「色」。これが映像化する時の悩みの種である。小説の技法的には「あえて描写しない」というテクニックが通用するが、映像作品においては絶対に明言しなければならないところである。
 映画『カラー・アウト・オブ・スペース』はどうしたかというと、「ピンク」。しかもかなりギラつき感のあるピンクだ。
 絵描きならわかるが、ピンクは扱い方によっては「落ち着きあるピンク」にもなるし、「ギラギラした毒々しいピンク」にもなる。配色の組み合わせや、明度・彩度のコントロールによって、優しくもなり、毒々しくもなるのがピンクだ。このピンクを映画では前面に押し出している。
 どうしてピンクなのかというと、まず農場にない色だから。舞台は農場であるから、その中で絶対にあり得ない色がピンク。かつピンクはどぎつく表現すると、やたらと毒々しくもギラギラする色だ。その毒々しいピンクを農場の風景にぶつける……ということをやっている。

 さて、この「ピンク色」という解釈だが、正解かといえば――正解でもあり、不正解でもある。こういうところが小説の映像化の難しいところ。人によっては「納得の色」である一方、人によっては「何だこれは?」となる。
 私の印象はというと……「まあ妥当かな」というところ。なにしろ、この世に「言葉で言い表せない色」なんて色は存在しない。小説なら「言い表せない色」という言葉が通用するが、映像作品でこれを明言しないわけには行かない。まさかいきなりモノクロ映画にするわけにもいくまい。
 ピンクなら確かに農場にない色だから、まあアリと言っちゃありだけど……。うーん、ピンクかぁ……と思ったことも確かで……。

 では次に、ガードナー一家に何が起こったのか?
 まず隕石だが、そこには未知の生態系が保存されていた。隕石に菌類が付着していたか、あるいは隕石の中に潜んでいたか……。そのどちらかで、地上に落下したことによって、農場の自然に移り、繁殖し、猛烈な勢いで生態系を塗り替えていった。水が汚染され、水が汚染されると植物が奇怪な形、奇怪な色に変わり、その水を飲んだ野生動物も奇怪な生物へと変わっていく。これもすべて生態系が未知の何かに塗り替えられてしまったから。
 というわけで、宇宙から飛来した“何か”によって壊滅的な被害を受けてしまうのだが、「宇宙人による侵略」というものではなく、「生態系が塗り替えられてしまう」という話。「宇宙生物の侵略」話だけど、それは細菌レベルだった……というのがこの作品の面白いところ。この「細菌レベルの侵略」によって恐怖のどん底に突き落とされていく……という描写が映画版の恐怖の核となっている。

 生態系の塗り替えにガードナー一家も例外ではなく、次第にガードナー一家は神経質になり、奇怪な行動を取るようになっていく。明らかにおかしな状況、おかしな心理状況に陥っているのに、誰ひとり農場から離れようとしないのは、微生物に犯されてしまっているから。
 なぜか車が動かなくなり、携帯電話が通じなくなるという、強力な電波障害が隕石のインパクによって起きている……という理屈も付けているが、「離れる意思がなかなか起きない」のは寄生虫に犯されているため。しかし「寄生虫に思考も犯されているから」ということに全ての観客が気づくわけではないから、さらに外部要因として「外に出られなくなってしまう」理由をつくり、理屈としても補強している。このあたりは上手い設定作りだ。
(ただ、後半に入り、警官のパトカーがやってくるが、そちらは普通に動くし通信もできる。「後から来た」から電波障害の干渉を受けてない……ということだが、見ていると「あれ? 車動くの? 通信繋がるの?」と疑問に感じてしまう)
 ある昆虫は寄生虫に寄生されてしまうと、自ら鳥の前に行き、食べられに行く……という。これが寄生虫の生存戦略で、昆虫から鳥に寄生の宿主を変えていき、色んな場所へ移り子孫を繁栄していくのだ。寄生虫に犯された昆虫が自ら鳥に食べられに行ってしまうように、ガードナー一家もおかしな状況になっているのに、まともな思考ができない、農場から離れようとしない、奇妙な色を浮かべる水を飲み続けてしまうのはそのため。誰ひとり自制ができない状況に陥ってしまう……というのが作品の怖いところ。
 もともとは穏やかだった農場の住人達はちょっとしたことでイライラして、怒鳴り合うようになっていく……。
 ただ、この展開で主演がニコラス・ケイジというのがちょっと引っ掛かりポイント。他の俳優達は恐慌状態に陥っていく怖さを表現できているのだが、ニコラス・ケイジだけは「ああ、いつものニコラス・ケイジだ……」みたいになっていく。ニコラス・ケイジのブチ切れ演技はまあ「よく見るもの」で、彼がブチ切れて暴れ回っている様子は、見慣れているせいでどうにもコミカルな気がしてしまう。

 この設定に一つツッコミどころをいれるとしたら、娘のラヴィニアで、黒魔術に傾倒しているちょっと反抗期の入った少女として描かれる。中二病少年・少女必読の書「ネクロミコン」を愛読しているが、ご存じの通り、「ネクロミコン」はラブクラフト作品の中に登場する黒魔術書。ラブクラフトファンに向けた目配せと行ったところだろう。
 この設定がちょっと引っ掛かったのは、これから農場が崩壊していく物語なので、最初はもうちょっと「いい子」からスタートした方が、インパクトがあったんじゃないかな……という気がする。最初から「反抗期で黒魔術の傾倒している子」だったら、後半の変化が緩やかだし「おかしくなっていく家族」を目撃していく語り手として印象が弱くなってしまう。

 ツッコミどころというのは他にもあって、隕石のインパクトが弱い。映画始まって15分ほどで隕石落下シーンに入るのだが、隕石のクレーターが半径2メートルといったところ。あまりにも小さい。隕石落下シーンも映像的にさほど衝撃的ではなく、軽く家が揺れる程度。破壊音も小さい。
 映画制作側の事情を考えると、農場セットを一変させるほどのスケールの絵を用意できなかったのだろう。映画のスケールは予算と深い関係性を持つ。映画の予算的に考えると、できる画があのレベルだったのだろう。
 あの場面を擁護するとしたら、「隕石の落下は実は意外と低かった」説。つまり、宇宙から飛来してきたのではなく、別の次元からワープしてきてから落下したので、実は落下位置はさほど高くない。だから落下のインパクトも小さかった。
 ラストシーンを見ると、農場で熟成された奇怪な生き物たちは、空に開いた謎のゲートに吸い上げられてしまう。たぶん、異世界の何者かが目的を持って奇怪な生き物を「栽培」し、そして実りきったから吸い上げたのだと考えられる。ああいったゲートの存在があるということは、隕石の落下も低い位置からだった……と推測できる。

 映画的なツッコミはモンスターの登場場面があるのだが、途端に画角が狭くなり、怪物の各部パーツをチラチラみせる演出になっていく。B級映画によくありがちな描写だ。画角が狭くなり、カットスピードはやたらと速くなり、でも実はモンスターはさほど動いてない……という。モンスターに襲われているのに、なぜかラヴィニアは無事で生還するし。
 このあたりも「予算」問題かなぁ……。

 モンスターが出現する切っ掛けとして、ピンクの光がバババッと飛びつくシーンがあるのだが、あそこも安っぽい雰囲気になるし、お話をちょっと強引に進めちゃってるな……と引っ掛かるところ。

 それに、不用意な残酷描写はどうにかしてほしいところだ。テレサ・ガードナーが包丁で指をさっくり切断しちゃうシーンがあるのだが、あの描写は必要だったかなぁ……?

 農場の環境が崩壊し、そこに住んでいる人々も精神崩壊して奇怪な行動を取り始めるのだが、その中で、唯一正気を保っているの水調査でやってきたという若者。この若者が、奇怪な生物に毒されていく家族を「正気」の視点で見る……というところでより奇怪さが際だっていくという構造だ。
 が、この若者、映画の半ば一時的に姿を消してしまう。もうちょっとガードナー一家の近いところでその現象を見守り、一つ一つにリアクションを入れて、解明へと物語を進めて欲しかったかな……と思うところはある。あの若者が一時的に姿を消してしまったから、農場の状況がいかに奇怪なのか……が伝わりづらくなっている。

 引っ掛かりはあるものの、前半では美しかった農場が奇怪な生物に毒され、変貌していく様子はなかなかインパクトがあるし、不気味に描けている。精神的に病んでいく人々や、自然の生物が怪物に変貌していく描写もかなり不気味で、引き込まれるものがある。「怖い」と感じるポイントはたくさんある。
 恐怖表現と安っぽいB級表現のバランスの悪さ……というものもあるのだが、そこは予算的に仕方ない……と目をつむるとしよう。それはさておきとしても、ホラー映画としてはよく描けている。ありきたりなゴーストホラーでもないし、殺人鬼も登場しない。ラブクラフトという特異な才能によるストーリーをちゃんと映像化している。
 原作のエッセンスをよくひろい、2時間の映画に拡張している。奇怪な現象が一杯起きるのだが、ほとんどは原作に描かれている描写の通りに進んでいる。ラブクラフト原作の映像化として、きちんと作られた一作だと見なすことができる作品だ。


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