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映画感想 ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険

 ドラえもん映画2本目。2017年公開シリーズ通算37作目。『映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』。
 監督はジブリ出身の高橋敦史。『千と千尋の神隠し』で演出助手を務めたあと、マッドハウスに移り、『はじめの一歩』『妄想代理人』『茄子 アンダルシアの夏』などの演出・絵コンテなどを務め、2009年『RIDEBACK -ライドバック-』にて監督デビュー。本作で監督として4本目の作品となる。本作の後には『ゴジラ S.P』がある。
 興行収入は44億円に達し、現在の映画シリーズの中でも歴代3位の成績を叩き出した。藤子不二雄原作ではない『ドラえもん』映画の中でも評価は非常に高い。
 本作において、公開直後から批評家からよく言われていたことの1つに、「これはラブクラフトの『恐怖の山脈』が元ネタではないのか」。いやいや、まさか……と思って見てみたのだが、想像以上にラブクラフトの『恐怖の山脈』だった。南極にかつて人類とは別の文明があった、という設定や、そこに舞い降りてくる巨大なタコの怪物……といえばラブクラフトの『恐怖の山脈』だ。
 しかしなにもかもがラブクラフトというわけではなく、最終的な味付けは『ドラえもん』。ホラーではなく、子供向けな明るい冒険物語として、着地させている。そういうところから本作を見てみるのもきっと面白いだろう。

 では前半のストーリーを見てみよう。


 夏。関東地方は猛暑で、のび太が住んでいる住宅地でも35度。都心部へいくと45度という猛烈な暑さに見舞われていた。
 暑い。暑すぎる……。暑くてどうにもならない。ドラえもん、いくらでもかき氷が食べられる道具ってないの?
 そんなのはないけれど、いくらでもかき氷が食べられる場所ならある。というのも先月、巨大氷山が流れ着いてきた、という新聞記事が載ったからだ。その氷山へ行けば、かき氷くらい、いくらでも……。
 どこでもドアで件の氷山をあっという間に見付けると、のび太とドラえもんは氷山での一時を目一杯楽しむ。
「そうだ、ここに氷でできた遊園地を作ろうよ!」
 思いつきを口にするのび太に、ドラえもんも「それは面白そうだ」と乗る。のび太とドラえもんは、秘密道具【氷ざいくごて】と【ふかふかスプレー】で氷山の上に遊園地を作るのだった。
 それからしずかちゃん、ジャイアンとスネ夫を招いて、みんなで氷の遊園地を楽しむ。
 しかしジェットコースターに乗った時、意図しないところで減速して止まってしまった。それどころか、レールが決壊。ドラえもん達は氷山の底の方へ真っ逆さま落下していく。
 迫り来る地面に【ふかふかスプレー】を吹き付けてどうにか難を逃れたのび太達だったが、ジャイアン達の興奮は収まらず、怒鳴り始める。
 一方ののび太は、ジェットコースターのレールをさらに進んだ奥の方に何か物音がするのに気付く。それを辿っていくと、氷の中に謎のリングが埋まっているのに気付く。のび太は【氷ざいくごて】でリングを引っ張り出すが、その直後、突如氷山が崩壊する。
 そのリングはいったいどこからやってきた物なのか?
 リングを封じていた氷を【氷年代測定器】に当ててみると10万年前という数字が出てきた。南極大陸が発見されたのは200年前、10万年前は旧石器時代。その頃の人類に、こんな精巧なリングを作るなんて不可能だ。
 あの氷山がやってきた南極に、人類がまだ発見していない文明があって、それこそがかのアトランティスじゃないのか?
 そんなロマンに冒険心を燃やすのび太達は、南極冒険を開始する。


 ここまでが前半20分。

 映画の展開が20分刻みで展開している。『新・のび太の日本誕生』よりももう少しゆったりめのペース(ただし『のび太の日本誕生』よりも上映時間は短い)。
 プロローグとして語られるのは10万年前のお話。『新・のび太の日本誕生』が7万年前なので、それよりさらに前。人類が古里であるアフリカを脱するかどうか、という時代だ。そんな時代に、南極に巨大文明を築いていた……という物語が大きなミステリーになっている。
 ラブクラフトの『恐怖の山脈』によれば、地球の地軸が今とは少しズレていて、南極に氷が張られていなかった時代がある……みたいに語られるが、それは数千年前の話。『恐怖の山脈』の先史文明は人類どころか地球上の生命が生まれるかどうか……という時代の話をしている。
 南極に氷が作られ始めたのは今から4000万年前と言われている。雪が氷になり、氷は次第に大きくなって氷床(ひょうしょう)と呼ばれる氷の運河になる。氷は重みで水飴のように高いところから低いところへ移動するから、やがて海の上へ、波で攪拌されて千切れ、この千切れた物が「氷山」となる。
 ……と、映画の中で説明される。こういう雑学が披露されるのが『映画ドラえもん』の面白さ。こういうところで、物語中世界観に真実味を与えている。
 しかし、件の南極文明は、すでに南極が氷で貼られていた頃に作られたもの。「あり得ない物が存在している」ということが世界観に神秘を与えている。

 さて、この前半パートだけど、演出に抑制が効いている。
 というのも『映画ドラえもん』は基本的には子供映画なので、音楽の扱いはもっとわかりやすい。事件が起きたら低い音色で「ドーン」と音を鳴らすし、新しい発見があると「じゃーん」と大袈裟に音を鳴らす。メロディを聴かせる感じではなく、「伴奏」の感覚に近い。
 ところが『のび太の南極カチコチ大冒険』では氷山を見付ける瞬間も、音楽はなし。画面全体を霧で覆い、のび太が後ろを振り向いた瞬間、すっと画面の中に現れるという、という感じだ。
 氷山の天辺に登り、氷で遊び始めるところでも、音楽は控えめ。キャラクターの動きを一つ一つ丁寧に描写している。そこで起きていることの一つ一つを、丁寧にすくい取っている感じがある。
 事象を取り上げる時も、俯瞰構図と音楽で一気に……ではなく感情の波がじわじわと動いているところを見せてくれている。キャラクターを見ているものを中心に描いている。映画演出として非常にしっかりしている。

 キャラクターの動きが非常に良い。見ていると「おっ」という感じの動きは多い。
 例えばドラえもんがソリを出すシーンは、ソリが大きいからドラえもんの体が反り返り、地面に置く時、ソリと一緒にパタンと倒れている。続いてソリの上へ乗るのだけど、ドラえもんは足が短いのでソリの上にパタンと倒れ込んで、それから身を起こして座る。そういう所作を丁寧に作画して、キャラクターの身体感覚を表現している(ソリ上端のランプを点ける時は、普通にソリの上に乗っていたけど)。キャラクターの所作を省略せず、丁寧に描き起こしてくれているところが良い。
 南極は寒いので食べ物がやたらと凍る。カップラーメンはお湯を入れて待っている間に凍るし、【翻訳コンニャク】も凍ってしまう(ここでは「凍ったカップ麺」が伏線になっている)。それで【翻訳コンニャク】を食べるために、わざわざ鍋を持ってきてその他の具材と一緒に放り込んで煮込み、それから食べる……というシーンがある。本当なら鍋を持ち出す必要も、そこにコンニャク以外の具材を入れる理由もないので、完全なるギャグだ。  その【翻訳コンニャク】を食べようとするのび太は、鼻水を垂らしながらハフハフ息を吐きながら、どうにかコンニャクを食べようとする。完全に「ダチョウ倶楽部」のおでんコントのノリだ。こういう、一見すると見落としそうなギャグを、「なぜそこまで」というくらい丁寧に描き起こしている。
 とにかくも動きで見せる、動きでキャラクターを表現する、ということに徹している。きちんと絵が描ける人が演出をやっているな、というのがわかる作り方になっている。「ドラえもん映画」という前に、アニメーション映画として楽しい作品になっている。

 では次の20分を見てみよう。


 南極へやってきたのび太達はソリに乗っての旅を始める。しばらく旅が続くが、ブリザードに遭遇し、仕方なく氷の中に穴を開けて、難を逃れることにする。そうしているうちにのび太が持っている【ここほれワイヤー】が反応した。ごく近くの地面を指し、さらにワイヤーは巨大都市のシルエットを描き始める。
 この下に何かある。ドラえもん達は氷底探検車に乗り込んで、氷の下を掘り進めていく。
 しかしそんなに掘り進める間もなく、空洞に出た。かなり広い空間だ。氷底探検車から出て辺りを探索すると、巨大な塔が氷から突き出ている光景が現れる。さらに氷の下に巨大都市の影がおぼろげに見える。巨大な塔は氷の遙か下まで続いていた。古代都市アトランティスに違いない!
 【氷ざいくごて】を使って氷の中へ入っていき、謎建造物の中へと入っていく。するとその中に、凍り漬けになった謎の生き物を発見する。とりあえず氷を溶かしてみると、謎の生き物は蘇生した。どうやら氷漬けになっていても生きている生き物らしい。その生き物を、「モフスケ」と呼ぶことにする。モフスケはのび太とドラえもんによく懐いていて、のび太に鞄を差し出すのだった。
 さらに底の方へ降りていくと、氷漬けになった石のドラえもんを発見する。
 なぜこんな場所にドラえもんが……? とりあえず溶かしてみることに。すると石のドラえもんはペンギンの怪物になり、襲ってきた。どうにか【急速冷灯】を使って氷の中に封じるのだった。
 この辺りの氷も10万年前のものだ。ここで何かが起きたに違いない……。のび太たちは【タイムベルト】を使ってその場で10万年前の過去に移動し、そこで何が起きたのか確かめに行く。
 するとそこにいたのは、巨大なタコの怪物と、それに追われる赤毛の女の子だった……。


 ここまでで40分。

 南極にやってきたのび太たち。ここからソリに乗っての旅が始まるのだが、この旅のシーン、ほぼ台詞なしのシーンが5分にわたって続く。ずいぶん余裕のある見せ方だ。こういう旅の光景は、子供のお客さんは飽きてしまうところだけど、躊躇わず描いている。ここが良い。
 ソリもドラえもんの秘密道具なのだけど、道具を出した時、いつものように道具の名前を呼び上げるカットがない。名称不明。秘密道具を出して、秘密道具の名前を高らかに読み上げるシーンは、『ドラえもん』の定番なのだけど、通俗的になりやすい。『ドラえもん』特有の「ダサさ」を回避している。こういうところも、映画らしい空気を途切れさせない工夫になっている。その後の氷底探検車を出した時も、名前は読み上げていない。
 そのソリでの旅のシーンだけど、「犬」が紐で描かれている。紐だから、紐をなめ込んでキャラクターを正面から描くことができる。普通の犬ぞりだと、手前に犬が来るから、あんな構図は描けない。『ドラえもん』ならではのちょっと面白い構図になっている。

 ブリザードに遭遇して、氷の中に逃げ込むのだが、その直後にはブリザードがやんでいる……。さっき「ブリザードがやんだら……」という話をしていたはずなんだけど……そこは見逃すとしよう。
 【ここほれワイヤー】が巨大都市のシルエットを作るシーンには見覚えがある。検索してみると、原作第5巻『地底の国探検』というエピソードの中で描かれていたそうだ。原作エピソードをうまくはめ込んでいる。

 間もなく地底世界へ潜っていき、そこで謎の都市を発見する。さらに赤毛の美少女、カーラと出会い……。
 ここから後半戦へと入っていく。いよいよ冒険の最深部へ。カーラと出会い、そこで何が起きているのか、カーラ達の目的がなんなのか……その説明が入り、打倒ブリザーガ戦に向けた冒険が始まる。

 いよいよ映画のクライマックスへと突き進んでいくパートだが、不思議なことに、ここで物語は失速する。
 まずカーラのキャラクター像。見た目は非常に可愛い。藤子不二雄センスでは絶対あり得ない洗練されたデザイン、釘宮理恵のボイスも可愛らしい。冒頭からかなり激しいアクションを見せてくれる。魅力的なキャラクターだ。
 しかし、それ以上のキャラクター観がどういうわけか見えてこない。どういう苦悩を背負っているのか、物語全体を通して、何を達成したいのか――カーラのパーソナルな部分が見えてこない。そこでどうにもキャラクターの魅力を発揮し切れていない感じが残る。
 『新・のび太の日本誕生』では、ククルはかつて狼を飼っていたことを語り、その時に持っていた犬笛がキーアイテムとなって後々効果を発揮する。ククルのパーソナルが見える部分だし、そのククルの持っていたアイテムが後の展開を作る、いい展開だ。
 だがカーラの個人としての来歴や葛藤が描かれていない。カーラの幼少時代のエピソードは描かれているが、それが後の物語としての関連が見えてこない。こういうゲストキャラクターの葛藤がいかに解消されるか……が映画の感動ポイントになるはずなのだけど、そういう感動を作らないキャラクターだ。
 見た目は可愛いのだけど、その見た目以上の魅力を発揮し切れていないところが惜しいキャラクターだ。
(むしろヒャッコイ博士のほうがキャラクター観が見えてくる。のび太達にヒョーガヒョーガ星の解説をした後、「こっちの人形は目が光るぞ」と子供たちを楽しませてくれる。こういう姿にヒャッコイ博士のパーソナルな部分が見えてくる)

 引っ掛かりは遺跡を守る石像達。遺跡を守る石像は、オクトゴン、ヤミテム、石コウモリの3種。
 オクトゴンはいい。わかりやすいキャラクターだ。明らかにいって『恐怖の山脈』から引用されたキャラクターだ。
 引っ掛かりのその1は石コウモリ。石コウモリはのび太が持っているリングを奪って逃走するが、それきり出てこない。どうやって石コウモリを退けたのか……というエピソードがないと、「なぜ石コウモリは姿を消したのか?」という引っ掛かりを残す。
 引っ掛かりその2は、「ヤミテム」のキャラクターの意義。ヤミテムは非常に知能が高く、ドラえもん達を欺くのだけど、どうしてこういう設計にしたのか……というとドラえもんとのび太の友情を見せるため。こういう物語であまりにもありきたり。あらゆる物語で繰り返し描かれてきたパターンだ。
 それでどうしてのび太は、本物のドラえもんを言い当てられたのか。ここで、それまでのストーリーに関連した何かがあれば「おお!」という驚きになるのだが、のび太の回答は「なんとなく」。妙に薄らぼんやりしている。
 ありきたりな展開な上に、物語上の驚きもない。これだと「なんのためにこのシーンを作ったんだ」となる。このワンシーンで結構な物語尺を使い、完全にシーンの流れは停滞してしまう。
 しかもヤミテムを氷付けにした後「歴史が変わってしまう」と破壊せずに放置する。しかし10万年後のシーン、ヤミテムは氷漬け状態から解放されてのび太達を襲う……というだけで、何か重要な事件に干渉するわけではない。10万年前の時点で破壊してしまってもよかったのだ。

 遺跡を守る石像達の戦いが、ブリザーガ戦に向けた前哨戦としてどうにも盛り上がらない。盛り上がらない理由は、石像達のエピソードがカーラの物語に繋がっていないから。特にヤミテムは「ドラえもんとのび太の友情」を描くためのキャラクターになっている。カーラのキャラクターを浮かび上がらせる役割を持っていない。
 この設計ミスが深刻で、もしもヤミテムのエピソードがカーラを掘り下げるためのものだったら、その次のブリザーガ戦のドラマが大きく変わっていたはず。もしもあそこでカーラの葛藤を掘り下げるエピソードだったら……。しかし、ドラえもんとのび太の友情物語を描くために使ってしまった。そこで映画のクライマックスがぼやけてしまった。
 映画の最後の最後で、展開がぼやけてしまったのは惜しい。というのも、それ以外のほとんどのシーンは不満のほぼない、かなりしっかり作られた冒険映画だったのだ。後半戦のカット構造もかなりいい。エピローグもいい。だが後半に向けたヤミテムのエピソードで映画がぼやけてしまった。それ以外のほぼ全ては満足いく内容だったのに、あまりにも惜しい間違いだった。

 映画が始まって、すぐに「お、いつものドラえもん映画じゃないぞ」という匂いを全体に放っていた『のび太の南極カチコチ大冒険』。間違いなくラブクラフトの『狂気の山脈』を下敷きにしているが、ラブクラフトに引っ張られることなく、『ドラえもん』らしいオリジナルストーリーに仕上げている。映画として、アニメーションとして、間違いなく楽しめる一作。
 ただクライマックスに向かう階段を1つ踏み間違えている失敗を犯している。ここだけが惜しい。それ以外は小さな引っ掛かりはあるものの、充分満足できる作品。まだ見ていない人はオススメの一本だ


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