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10月17日 台湾のあまりにもドス黒い強姦事件 映画『無聲』が暴く闇

 今回紹介する映画は、2020年の台湾映画『無聲 The Silent Forest』。台湾の聾学校で実際に起きた凄惨な性的虐待事件をもとにした映画だ。監督はコー・チェンニエン。台湾出身の女性映画監督で、作品が日本ではあまり紹介されていないが、これまで社会派ドラマを手掛けてきたようだ。映画の制作は『無聲』が初挑戦で、この作品は台湾主催の映画賞である第57回金馬において新人監督賞とオリジナル脚本賞にノミネートされた。ここでは惜しくも賞を逃すが、最優秀新人男優賞受賞、最優秀サウンド賞受賞。他にもインド国際映画祭、アジア・フィルム・アワードでも話題に上がり、主演男優賞を獲得している。

 お話しは聴覚障害者のチャンがとある聾学校へ転校するところから始まる。チャンはこれまで普通の聴者学校に通っていたけれど、そこでの環境が合わず、聾学校に移ってきたのだった。
 聾学校での初日はとくになんともなく過ぎていったのだけど――チャンは同じクラスのベイベイという女の子に心惹かれる。
 その翌日、昨日と同じようにスクールバスに乗り込むのだが、ベイベイの姿が見当たらない。ふとバスの後ろを見ると、いくつものジャージが吊り下げられている。なんだろう……とジャージの向こう側を覗き込むと、ベイベイが男子生徒に押さえつけられて、レイプされていた。

 と、こんなお話しからはじまる。通学バスのなかで、みんなが周囲にいるという状況で、白昼堂々とレイプ――そんなお話しから物語がはじまる。「そんなバカな」と言いたくなるが、これ、実話。通学バスの中でのレイプだから、当然ながらみんな周囲で見ている。大人も同席して見ている。でもみんな見て見ぬ振り。
 転校生のチャンはあまりの状況に驚き、信頼のおける先生に相談し、ようやく学校内で調査が始まる。学校内のレイプは一人の問題生徒を中心に起きており、その被害人数は127人にものぼる。この人数はこの時の調査で発覚した人数であって、掘り下げるとまださらに出てくるのではないか。
 被害を受けていた生徒はどうして名乗り上げなかったのか……実は声を上げていたけれど、教師達が学校の評判が落ちることを気にして黙殺していた。被害を訴える生徒に対しては「あれは遊びでしょ。大騒ぎしないで」と無視し、我慢するように指示していた。それに、もしも話を聞いてくれたとしても、転校させられるのは被害者のほう……。聴者学校へ行けば凄惨ないじめと孤独が待っている。それを考えると、毎日のように強姦されていたとしても、聾学校にいたほうがいい。聾者という立場がいかに低いかを物語っている。
 映画の冒頭、チャンは老人のスリに遭っていたのだけど、その被害を訴えても、聴者はまともに取り合ってくれない。聴覚障害者というだけで無意識に低い立場に置かれる。この最初の事件が、これから起きる大きな事件の予兆として機能している。「被害を訴えても、聴者はまともに取り合ってくれない」。聴者による無意識の差別が通底に描かれている。

 この事件の最大の被害者はヒロインのベイベイだ。
 ベイベイは授業中「息を止める練習」をしている不思議少女だが、なぜ息を止めるのか、というと「泳ぎがうまくなりたい」とかではなく、「強姦に耐えるため」だった。
 嫌なことがあってもとにかく我慢する。息を止めてその時が過ぎるのを待つ。声を上げても聞いてくれないし、聞いてくれたとしても転校させられるのは自分のほう……。いじめと孤独の毎日が来るならレイプされていたほうがマシ……。被害者の心理もどこか歪んでしまっている。それにベイベイは加害者であるユングアンについて「普段は優しいから」と、ストックホルム依存症みたいな心理にもなっている。そうやってレイプの苦痛を自分で薄めようとしていた。

 問題の中心にいるのはユングアンという少年。この少年が中心になって、ジャイアンタイプの少年たちが集まり、生徒達を次々と強姦して回っていた。どこの社会に行ってもこういう「暴力が基本行動」の人々はいて、そういう人々が社会の規律を崩壊させていく。
 それじゃこのユングアンという少年を取り除けばいいのではないか……しかし事件を掘り下げていくと、さらなるドス黒い「真実」が明かされていくのだった。

 前回『コーダ あいのうた』を視聴して、おなじ「聾者」というテーマの作品ということで見ようとしたのだけど、あまりにも事件内容がドス黒くて、「映画感想文」として取り上げられなかった作品。映画感想文を書くときは、内容の確認で2~3回観るのだけど、この作品は1回でもキツかったので、無理と判断。見ている間は胃がムカムカするし頭痛はするし……繰り返して観ようという気にならないし、人にお勧めもできない。同じテーマのフィクションドラマでもこんなものはない。観る時は精神的に健康な時に限った方がいい。

 私が観ている間に思っていたのは「社会観の崩壊」。スクールバスの様子を見ていても、落ち着きがまったくないんだ。事件が解決した後もスクールバスの中は騒々しく、「台湾ってこんな感じなの?」と驚き(運転中は座れ! 危ないだろ!)。そこに問題生徒であるユングアンが介入すると騒々しさはより激しくなっていき、その騒動のなかでレイプが始まるのだけど、主人公のチャンははじめは気付かなかったほど。事件の前にスクールバスの中の秩序が壊れてしまっている。
 事件の中心人物であるユングアンは社会観が完全崩壊している。規律には従わないし、道徳観も崩壊している。そんなユングアンが中心になって、まわりの生徒達もつられて社会観が崩壊していく。それで目を付けた生徒に対し暴力を振るい、レイプする、ということが彼らのなかで一種の“ゲーム”になっていく。“自分のルール”だけがある状態だ。
 こうした社会観の崩壊が、普通社会との接点の弱い人の間で起きていく現象なのかどうかまではわからない。とにかくも、どうにもこの物語中の風景を見ると、もともと社会観が危うい状態だったように感じられる。
 ――ぜんぶ私の感想だけども。

 生徒達の間で大問題になっている強姦事件。教師達が知らないはず、気付かないはずもない。ところが教師達は、問題が外部に漏れることを恐れて、初期の頃から「見て見ぬ振り」を決めてしまう。スクールバスの中では大人も同席していて、ちらっと見ているのだけど、そっと目を逸らして気付かないフリをする。大人も「それを見ない」と決めたら、それが目の前で起きていることでも見えなくなる。信じ込めば神が見えるようになると同じで、“見えない”と心に決めたら見えなくなるのだ。
 大人もまた社会観が崩壊している。普通に考えれば、スクールバスの中で強姦が始まったら、止めるのが当たり前の社会道徳だ。そういった道徳観すらも崩壊しちゃっている。
 大人も子供も社会観が崩壊している。するとユングアンという“自分のルール”しか持ち得ない悪童のルールだけがその社会の中に蔓延していく……。

 こうして被害者を放置すると、被害の連鎖はどこまでも広がっていく。一度社会観が崩壊しちゃったら、その崩壊はどんどん周囲の社会観を侵食していく。この事件の中心人物はユングアンだけど、次第にユングアンの周辺にも広がっていく。
 映画の最後、一見して事件が解決したように思えても、被害者の“心理”的な救済をせずに放置すると、崩壊した社会観は同じ事件を引き起こそうと作動しはじめてしまう。事なかれ主義は、「放置すれば問題は過ぎ去っていく」のではなく、事件を拡大させていく原因にしかならない(社会的な勝者はいつも「自己責任だ!」と放置するが、そうやって放置するとやがて自分のところにも問題はやってくる)。
 さて、この凄惨な事件は現時点で本当に解決したのか……。

 途中にも書いたけれども、事件内容があまりにも凄惨なので、気軽にオススメできないし、気軽に視聴できる映画ではない。私も途中で見るのを辞めようかと思ったくらい、吐き気のするくらいの事件。しかし実話だ。今年見た映画の中でも確実に1番の胸クソ事件を描いた作品。見る時は気をしっかり持って見てほしい。


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