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映画感想 M3GAN/ミーガン

 人間がロボットに依存するかも知れない……その危機を描いた作品。

 2022年公開で話題になったホラーといえば本作『M3GAN/ミーガン』だ。製作はホラー専門映画スタジオ・ブラムハウス、プロデューサーはジェームズ・ワン。この2つの名前を聞いただけで、もう信頼が置ける。
 米国では2022年12月に公開され、スマッシュヒットを記録。当時は歴代興行収入第3位を記録することになる『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』が公開中だったが、『M3GAN/ミーガン』はその真後ろに迫り、週末だけで予想を上回る40億円を稼ぎ出した。制作費1200万ドルに対し、世界興行収入1億81134万ドルを稼ぐヒット映画となった。
 評価も良好で、映画批評集積サイトRotten tomatoでは批評家によるレビューが316件あるが、肯定評価が93%。オーディエンススコアが78%とかなりの高評価。第6回ハリウッド批評家協会ミッドシーズン映画賞で最優秀ホラー賞受賞。MTVムービー&テレビアワードでは最優秀悪役賞(M3GAN)でノミネート。他にもこの年のいくつかのベストホラー賞などにノミネートされている。
 興行的にも批評的にも大当たりな本作。特にある種の主人公であるM3GANは新しいホラーアイコンであると称賛され、続編の計画が持ち上がっている。

 では前半のあらすじを見ていこう。


 車の外は大雪……間もなく吹雪に変わろうとしていた。
 ケイディは後部座席で新型のおもちゃ・ペッツで遊んでいたけれど、その姿に母親は苛立ちを募らせる。
「1日30分のルールよ!」
 それでもケイディはおもちゃで遊び続ける。母親は苛立ち、夫に怒りをぶつけ始める。やがて口論になる。
 外では猛吹雪が吹き始め、とうとう車の外は雪で真っ白になってしまう。
 外は一歩を見通せない雪で、走ろうとするとタイヤがスリップする。除雪車が来るまでしばらく待とう……突如光が迫る。除雪車だ。気付いたときには車が吹っ飛び、ガラスの破片が飛び散っていた。

 玩具会社ファンキに勤めるジェマは難題に直面していた。ペッツは大ヒット商品だったが、二番煎じのコピー品にシェアを奪われようとしていた。会社はペッツの低価格版をジェマに指示していた。しかしジェマが制作したいのはもっと高度な玩具――人間そっくりな見た目で、こちらの言うことを聞いて理性的な返事をしてくれるロボット・M3GANだった。
 そんな時、ジェマに姉の死が伝えられる。姉の娘であるケイディが一人取り残されてしまった。ジェマはケイディの様子を見て、一人にしておく訳にはいかない……と引き取るのだった。
 しかしジェマには育児の経験はないし、ジェマの住む家には子供の気を引きそうな物は何もない。事故で母親を死なせたばかりのケイディは心を閉ざしていくのだった。
 そんなある夜、ジェマが自宅の仕事場にこもっていると、ケイディが入ってきた。ケイディは部屋の中に置かれている1体のロボットに興味を持つ。それはジェマが大学生時代に制作したロボットだった。
「こんな玩具があったら、他の玩具は一生いらないのに……」
 その一言に、ジェマはハッとする。やはりM3GANは完成させるべきだ。ジェマは仕事仲間を自宅に呼び、M3GANの制作を進めるのだった。


 ここまででだいたい23分。この後、上司であるデヴィッドにM3GANをプレゼンする場面までが前半25分。25分前後くらいで区切りが来るように作られている。
 では細かいところを掘り下げていきましょう。

 本作のある種の主人公はこのロボット・M3GAN。パッと見たところ、映画中のM3GANは3体いる。
 まず1体目は“ただの人形”のM3GAN。だらんと力なく座ったり寝ていたりする場面では、人形のM3GANが使われている。

 画面がブレてわかりづらいが、犬に首を食いつかれ、引っ張られている場面。アニマトロニクスの人形は重いし高価なので、こういう場面では“ただの人形のM3GAN”が使われている。

 もう一つがアニマトロニクスのM3GAN。リモコン式で顔の向きや表情が変わるロボットで、立って芝居するシーンや、座って芝居するシーンなどはこのロボット仕掛けのM3GANが活躍している。
 たぶん、みんなが思っている以上に、CGの手を借りずアナログで制作されているんじゃないだろうか。

 人形+CGもある。最初にM3GANが出てくるシーン、人形は本物、表情がCG。

 3体目のM3GANが、子役がマスクを付けて芝居をするM3GAN。最近のアニマトロニクスは非常に精巧なのだけど、だからといって自立二足歩行できるわけではない。というわけで、「歩く」以上の動きのある芝居が入るシーンなどは子役がマスクを付けて演じている(この上に、人形っぽく見せるために、あえて顔をCG合成してリアリティを感じなくさせている)。
 M3GAN役を演じたのは撮影当時13歳だったエイミー・ドナルド。間違いなく本作における最大の功労者だ。
 こちらの子だ↓

 マスク無しの素顔のほうが圧倒的に可愛い♥
 エイミー・ドナルドの女優としての履歴は浅く、映画出演は本作が初めて。ニュージーランド出身で、2019年に開催されたダンスワールドカップでソロダンス・ジャズ部門で銀メダル受賞(当時9歳)ちなみにダンスワールドカップは4~25歳が参加のレベルの高いダンス大会。この中でわずか9歳で銀メダル受賞というとんでもない天才少女だ。

 作中でもMPを吸い取られそうなダンスシーンがあるが、映画を見ている人の半分くらいはCGだと思ったことだろう(顔の部分は人形っぽくするためにCG合成されている)。実際にはエイミー・ドナルドの身体技が炸裂したシーン。
 YouTubeに公開されたメイキングシーンがこちら。

 やっぱり素顔のほうが可愛い♥
 こちらのダンスは予告編でも採用され、YouTube、TikTokなどでヒットし、このシーンを見たい……ということでさらに映画興行的なヒットとなった。

 M3GANのルックスについてだけど、たぶんこれ『GHOST IN THE SHELL』の人形遣いに影響されたんじゃないかな……。こういう作品のマスターキーだから、まあ影響はあるでしょう。

 次に物語を見ていきましょう。
 1時間半の作品なので、お話しの区切りがだいだい25分おきくらいに来ている。
 前半パートが最初に書いたように、ケイディが両親を喪う。叔母のジェマがケイディを受け入れるのだけど、子供の相手の仕方がわからない。そんなケイディの一言でジェマはM3GANの制作を強引に推し進め、上司からの承認を得る。
 次の25分でM3GANが家にやってきて、ケイディの面倒を見るようになり、次第にM3GANに依存するようになってくる。ジェマはそのことに引っかかりつつも、今はM3GANが会社から承認されることのほうが先だ……と仕事優先の日々を推し進めていく。
 そんな最中、とある学校のイベントにM3GANを連れて行ったところ、惨劇が起きてしまう……。
 前半パートでM3GANが制作されるまでが描かれる。物語の感情はスタート地点から緩やかに上がっていくように描かれている。次の中盤前半はM3GANが家庭にやってくるけど、そこで起きる緩やかな”ひずみ”を描いている。ここからじわじわとホラーらしいトーンに移り変わっていく。
 前半1時間くらいは、「ホラー」の気配はない。むしろジェマとケイディの関係性、その中に介入してくるM3GANという存在を軸に描いている。ここまでの展開が非常にうまくいっている。しかしなぜ上手くいっているのか? 作り手がどのように意図して設計しているのか読み取っていこう。

 まずケイディのお母さんがどういう人物なのか、を見ていこう。
 冒頭数分の車のシーンでわかるのは、この人は娘を自分の思うようにコントロールしたい……と思っていること。だから玩具で遊ぶにしても、きっちりルールを守らせる。守ってくれないと苛立つ。後でわかる話だが、学校に通わせず、家庭教師から学ばせていた……というところも、自分の思うようにコントロールしたい……という考え方が浮かび上がってくる。
 それでケイディは母親の愛情を感じられず、玩具での遊びに依存しがちになっていく。母親は玩具の存在が気に食わないから、娘との関係性は悪化していく。

 そんなお母さんの妹が、主人公ジェマだ。そこはかとなく『トイ・ストーリー』のウッディを思わせる顔立ちだが、姉妹というだけあって、気質が似ている。

 まず部屋の様子を見てみよう。非常に綺麗で整っている。この人もまた、自分の周囲の物を自分の思い通りにコントロールしたい……という考え方を持っている。棚に飾ってある玩具にしても、玩具として扱わず、コレクションアイテムとして箱に入れたまま飾っている。それでルーズなお隣さんにストレスを溜めている。客観的に見て、このお隣さんはごく普通の価値観の人……なのだが、そういう“コントロールできない他人”ですら許容できない……というのが主人公ジェマだ。
 姉妹そろって「部外者を受け入れることを良しとしない」性格だったから、お互いのことが受け入れられず、疎遠になってしまった……というところだろう。
 しかしジェマにも人情はあり、一人取り残された姪の姿を見て、同情心から引き受けてしまう。

グラスを必ずコースターに置かせる……こういう描写からも神経質な性格が表れている。

 ものの考え方も理性的だが、こういう理性的な性格の人間が陥りがちなのは、「理性で考えてわからないものは無視する」という考え方だ。あるいは「価値がない」と見なす。ジェマは子供の考え方や感性といったものがよく理解できない。理解できないものは考えない。M3GANを与えて、表面的に幸せそうに見えるなら、それで問題ないじゃない……と考えてしまう。姪の心理的な問題がどうこうより、今は自分が会社で成功することのほうが大切だ、という考え方に捕らわれている。
 機械論的なものの考え方をするから、ロボットを作っている……という動機もうまく機能している。ただしロボットを作るのは子供達のため、ではなく、自分の自己実現のため、としてしまっている。論理的で頭もいいが、視野が狭い……という人間として描かれている。

「愛着理論を知ってる? 親を亡くした子は次に会った人に愛着を持つ。その人は愛を与え、支えることで模範となるの。普通の状況なら、この役目はあなたよね。ケイディは彼女(M3GAN)をおもちゃではなく、保護者とみなすわ。私にはこの先が見えないわ。手放せないおもちゃを与えて、子供に成長しろと?」

 ……そんなこと言われても、私、“親”じゃないし……。

 ケイディとM3GANの関係性を放置しているうちに、ケイディは次第にM3GANとの愛情を深めていき、ジェマをはじめとする周りの大人に敵意や不信感を持つようになっていく。そうなってしまっている……と気付いたときにはすでに遅かった。ジェマとケイディの関係性は修復不能。ケイディはM3GANに依存してしまう。

 ここまでが前半1時間の物語。作り手が登場人物の心理を客観的に描けていることがわかる。ジェマ姉妹は理性的に物事を考える性格だけど、その性格ゆえに周囲を思い通りにコントロールしたい、娘についても思うとおりにコントロールしたい、という考え方を持っている。すると娘のケイディは親や大人ではなく、玩具に依存していくようになる。
 冒頭の車のシーンで、母親と娘の不和、ケイディが玩具に依存している様子が描かれているが、ジェマに引き取られた後もやっぱり同じことを繰り返し、ケイディが玩具に依存するようになっていく。この心理的過程がきちんと描かれているから、お話しに説得力が出てくる。
 またこういう描写が「風刺」としても機能している。子育てを放棄し、スマートフォンを与えるとケイディのようになるよ……という警告を入れている。

 一方のM3GANも「主人を守る」ということを忠実に守ろうとして、「ロボット三原則」を破って人を殺すようになっていく。
 ロボット三原則とは「ロボットは人間に危害を与えてはならない」「ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない」「ロボットは第1条第2条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない」――とする原則であるが、人間の社会は矛盾に満ちあふれている。主人を守ろうとすると、この原則はどこかで無理が生じる。という物語は『DETROIT: BECOME HUMAN』という傑作ゲームでも描かれたこと。ロボットものを描く上での普遍的命題となりやすい。M3GANも同じ理由で、あくまでも主人とするケイディを守るために、次々と殺害していくようになる。
 ただこの作品のツッコミどころは、「主人を守る」という名目のために、過剰防衛しちゃっている……ということ。殺す必要はなかったんじゃない? ……これを言っちゃ、ホラーにはならないんだけど。

 映画前半パートは「お、よくできているな」となかなか感心するところがあるのだけど、後半に入って作りが雑になっていく。
 後半、いよいよホラーとしての本領を発揮し、M3GANはキルスコアを伸ばしていくが……しかし「殺す必要ある?」という引っかかりをずっと引きずる。前半パートはまだ合理的理由はあったものの、後半パートに入ると殺人に理由がなくなっていく。ロボットなのに「ロボット三原則」的な迷いすら描かれない。もはやホラーというジャンルだから殺戮する……という感じだ。
 まあホラーだからそれでもいいか……とスルーしても、問題なのは大して盛り上がらないこと。M3GANが次々と惨劇を引き起こすのだけど、物語は大きな波風が立つこともない。混乱も起きない。静かに粛々と事態だけが進行していく。
 それに、描写に無理がある。一つ一つのシーンに「いや、そんなふうに吹っ飛ぶなんてあり得ないだろう」「そんな簡単に人間は死なんだろう」とツッコミたくなってしまう。あまりに無理矢理なので、人間の側が勝手に殺されにいった……みたいに見えてしまう。

 もう一つ、解せないのはこの作品の「ホラー・コメディ」の「コメディ」の部分。確かにこの映画、時々変な笑いがこみ上げてくる場面がある。そこが評価された部分でもあるが……。
 いや、コメディがダメというわけではない。「狙ってやったコメディか?」と問いたい。もしも、はじめから狙っていたのなら問題ない。でもこの作品の場合、撮影して、編集で繋いでみたら、「あれ? なんか笑えるぞ」という感じではないか。
 どうして笑えてしまうのか……というとトーンの不一致。トーンは重めなのに、作劇は妙に軽い。このギャップに、不思議な笑いが起きてしまう。でもこの作品の場合……狙ってやってたわけじゃないのではないか。
 狙ってやったギャグなら、そういうものとして評価できる。でも偶発的に生まれてしまったギャグは、コメディとして評価すべきではない。

 前半はきちんとしているけど、後半は作りが雑。例えばこのシーン。これはとある社員がM3GANのデータを盗み、コピーを取っている場面(そのコピーが数秒で終わってしまう。M3GANのデータ軽すぎじゃないか?)。
 この伏線、どこかでなにかが起きる予兆かな……と思ったが、特に何もなし。一応、M3GANがこの社員を殺すための口実になるのだけど、だとしても動機が弱い。

 予告編でも採用されて、ネット上でミーム化しただけではなく、観客動員数アップにも貢献したこのダンスだけど……実は特に意味がない。なぜこの場面で踊る必要があった? もしも相手を油断させるため……という理屈があるなら、その理屈を物語の中で示さなくちゃいけない。でもそういう前提は作っていない。
 これはM3GANを演じたエイミー・ドナルドがダンサーだから、その身体技を見せよう……と。そのために無理矢理作ったシーンだ。エイミー・ドナルドのパフォーマンスありきのシーンになってしまう。
 確かに、いきなり殺しにかかるよりも、ダンスを一つ入れるだけでこの場面が「映えるシーン」になったのは確かだけど。しかし場面として浮いてしまっている。

 いくつもの引っかかりはあるものの、アメリカではこのキャラクターが「新しいホラーアイコン」として称賛される。ジェイソン、マイケル・マイヤーズ、フレディ、チャッキー……ホラー映画の世界には伝説的なホラーアイコンがたくさんいるが、M3GANはその一人に名を連ねるかも知れない。アメリカではそれくらいのヒットを飛ばした。
 よく言われる話だが、アメリカはキリスト教国だ。いまだに進化論は認められていない。キリスト教の世界では、人間は神が作りたもうたもので、人間自身が人間を作ってはいけない。それは神になろうとしていることと同義だ――という考え方がある。人造人間を作ることは禁忌だ。人造人間を作る博士が悪魔的なイメージで描かれがちなのは、こういう思想からきている。
 というのも昔の話。現代ではそこまで「人造人間の製造」は宗教的タブーにされなくなっている。というのも、これまでフィクションの中で人造人間は一杯作られてきたし、それにそうしたタブーを持たない日本から、人造人間を題材にした作品が山ほどやってきて、今時のアメリカ人のだいたいはそういうのを見て育った。『鉄腕アトム』から始まる様々なアニメたちだ。
 それでも根底にタブーがあったアメリカだから、M3GANは画期的に映ったのだろう。でも、日本からこの作品を見ると正直なところ……そんなに魅力的ではない。よくあるな、こういうの……という感じ。日本はアニメ市場を見ればロボットヒロインだらけだもの。それらと並ぶ存在感を持っているとは思えない。
 正直な感想として、人間の俳優を押しのけるほどの魅力をM3GANから感じない。あちらでは珍しいのかな……という感じ。
 それに、やっぱり引っかかるのは後半の展開の雑さ。M3GANはロボットであるから、確かな動機付けがなければ殺人するはずがない。でも後半、特に理由もなく次々に殺戮を繰り広げ始める。そこで「ちょっと待て」となる。
 その殺戮描写もやっぱり「ちょっと待て」だ。例えばM3GANに追われて、逃げるシーンがある。M3GANはどうにか自立二足歩行は可能だけど、走ったりはできない。一方、人間は走って逃げている。……逃げ切れるだろ。ところがなぜか追いつかれ、殺されてしまう。こういう「無理矢理な殺戮シーン」が展開していく。こういうところもマイナスポイントだ。

 そうはいっても、M3GANのようなキャラクターは今までハリウッド映画の歴史になかったのは確かだ。まったくのオリジナルキャラクターだ。だからこそ、こうやって受け入れられた。
 引っかかりはあるけれども、前半の心理描写は非常によくできている。ちゃんと人間のドラマとして機能している。後半の雑さは……まあ愛嬌のようなものだ。すでに続編制作が決定し、脚本制作に入っているらしい。シリーズを積み上げていく過程で磨き上げていけば、M3GANはより魅力的なホラーアイコンになるかもしれない。ロボットが人を殺す、ということにもっと深い意味を持たせられれば。シリーズの展開に期待しよう。


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