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ゲーム感想 ファイナルファンタジークリスタルクロニクル

 先日『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』をエンディングまで進めたので、ちょっとした感想文を書きます。
 バイトを終えてから寝るまでの間に、毎日少しずつ、1日1ステージくらいのゆっくりさで進めながら、最終的にはゲーム中の進行で5年目でクリア。クリアまで時間をかけたのは、何度も同じステージを繰り返して、アーティファクトを集めていたから。アーティファクトはラスボスに行き着くまでに結構集まった。ステージクリアしても「手に入るアーティファクトがないのでスキップします」が出ちゃうくらい。最終的には大抵の雑魚敵は3発くらいで倒せるようになっていた。
 クリアしてもまだ“2週目”があるので、もうしばらく楽しむつもりだ。『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』はまだ終わりではないが、今時点の感想を書いておこう。

プレイヤーの体験と思い出

 『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』の物語構成はちょっと特殊だ。一本道の物語がなく、ドラマの展開というべきものがない。ゲームが始まったらプレイヤーは馬車を引っ張って各ステージへ移動し、クリアを積み重ねていくだけ。ここだけを説明として聞くと、無味乾燥としたアクションゲームだ。
 ポイントとなるのは、要所要所に挿入される小さなエピソードだ。マップ画面はすごろく状の移動シーンになっていて、1マス1マス進めていくのだが、それぞれの場所でサブイベントのような物語が挿入される。それは、同じ旅をする人に会ったとか、盗賊に襲われたとか、それこそ1分~3分程度の小さなものばかりだ。一見すると、それぞれのエピソードに関連性もないようにすら感じられる。
 だが間もなくそんな小さなエピソードの中に重要と思われる人物やエピソードが挿入される。ただ、それらはあくまで小さく小分けされた断片でしかなく、よくあるRPGのようにドラマが始まった……という印象さえ感じさせない。

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 最初は「黒騎士という者の噂は聞いているかね?」といった内容だ。情報としてはそれだけで終わり、なんだろう? と小さなフックとしてプレイヤーの記憶に残ることになる。

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 黒騎士は己の道を究めるために旅をしているらしい。そういう話だったが、やがて黒騎士は狂人で危険な人物らしい話が出てくる。黒騎士は相当に強く、しかも見境なく人を襲うという。
 そんな噂話を少しずつ積み重ねながら、ある時、とうとう黒騎士本人に遭遇することになる。

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 目に見えない何かと戦っている、傍目から見ると一人で武器を振り回しているだけの狂人。だが何かしら事情がありそうな様子。
 バラバラに展開されていた小さな物語は次第に小さなドラマを組み立て始める。黒騎士に父親を奪われた少年の物語、仇討ちの物語が展開してきて、最終的にはその仇討ちは果たされるわけだが……。

 こういった物語が、その他の様々なエピソードを挟みながらじわじわと語られていく。それも、マップ上を移動していく最中、あたかもランダムイベントであるかのように装いながら描かれていく。『桃太郎電鉄』なんかでも止まったマスでランダムイベントが挿入されるが、一見するとあんな感じで、実は追いかけていくとひと連なりの物語でした……とそういう感じだ。『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』の挿入される物語は、発生のタイミングはおそらくランダムでプレイヤーごとに異なるのではないかと思われるが、実は一つ一つのエピソード全てに連なり、つまり“順番”が決められている。
 こうした小さく区切られた物語が少しずつ語られていくことによって、次第にプレイヤーの脳内でひと連なりの大きな“物語”として構築されていくことになる。人は経験してきたものや見てきた様々なものを脳内で一つにまとめ、物語にしていく性質を持っている。人間は得た経験を単なる情報として記憶するのではなく、“物語”の形にすることで記憶し、語り、残していく。これは人間固有の特徴である。
 『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』は明らかにこれを意識して、あえて物語を小さく小分けして、ゲームを進めていく最中に少しずつ体験するように描かれている。
 こう描く意図は、ゲームならではの物語体験を構築するためである。それ以外のメディア……漫画や映画や小説では絶対に一本道の物語となるから、このように描くことはなかなかできない。ゲームだから可能な語り方で、ほとんどゲームだからこその特権ともいえる。
(と、書いた後で同じような物語の語り方ができる形式が存在していることに気付いた。『ビックリマン』シールだ。『ビックリマン』シールは裏面に小さな物語が少しずつ書かれており、一つ一つは関連性はないが、全体としてみると一個の世界観を構築している……という作り方だった)

 このような物語構成にした意図は、おそらくプレイヤーによって少しずつ異なる物語体験にするためだろう。エピソードには実は順番があるのだが、それを体験するタイミングはプレイヤーごとに少しずつ異なる。マップを移動中、ランダムイベントとして発生するわけだから、同じ物語でも人によってはティパ村付近だったということもあれば、人によってはもっと奥地のファム大農場やルダの村だった……ということもあり得る。3年目でそのシーンを見た、という人もいれば、6年目で見た……という人もいるだろう。
 ちなみに私は黒騎士を目撃し、また黒騎士関連の物語の多くはティパ村近辺で見ることになった。えらく近場で起きたお話だったんだな……という印象として私の脳内で黒騎士の物語が残ることになった。
 こんなふうに同じ物語でも、人によっては印象やタイミングが異なる。こういった語り方ができるのはゲームでしかないから、だからこそこのような形式を取ったのだろう。
(またこのような形式にすれば、『ファイナルファンタジー』正式シリーズのように大予算をかけて、個々のシーンを作り込んでいかなくても奥行き感のある物語を作ることができる。予算/期間を勘案すると効率の良い作りをしているといえる)

思い出と物語

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 物語の半ばから、「記憶」や「思い出」がキーワードとして語られていくようになる。それは決して大きなものではない。街や村に行き、人に話しかけると「あれはなんだったかな」「忘れちゃったな」といった台詞がぽつぽつと見るようになってくる。
 ずっと残り続けていく思い出と忘れられていく思い出がある。人の記憶というものは確かにそういうもので、特に“印象”というものは最新のものにどんどん刷新されていく。だから年を取っていくと子供の感性が理解できなくなっていく。

 どうして「記憶」「思い出」がキーになっていくかというと、このゲームの物語は全てバラバラに小分けされているからだ。そして人は、バラバラになった体験や記憶を、ひと連なりの“物語”にする性質を持っている。だから体験や記憶の層が分厚ければ、物語の層もどんどん厚くなっていく。実際、このゲーム中でも体験した思い出の数がカウントされており、この記憶の数が物語最後のクライマックスに関連してくる。プレイヤーがおそらく脳内で作り上げて行くであろう“物語”とゲーム中で語られていく“物語”がリンクしていくような仕組みになっている。この構造が最終的には物語のクライマックスで感動に繋がっていく理由になっている。

 どうして「記憶」「思い出」がキーになっていくかというと、このゲームの物語は全てバラバラに小分けされているからだ。そして人は、バラバラになった体験や記憶を、ひと連なりの“物語”にする性質を持っている。だから体験や記憶の層が分厚ければ、物語の層もどんどん厚くなっていく。実際、このゲーム中でも体験した思い出の数がカウントされており、この記憶の数が物語最後のクライマックスに関連してくる。プレイヤーがおそらく脳内で作り上げて行くであろう“物語”とゲーム中で語られていく“物語”がリンクしていくような仕組みになっている。この構造が最終的には物語のクライマックスで感動に繋がっていく理由になっている。
 『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』はある意味、無味乾燥なアクションゲームとして作られている。マップ上を移動して、ステージに入り、そこにいる敵を倒してボスを倒せば攻略完了。それを3ステージクリアすれば1年が終わるという仕組みだ。本来はこういうシンプルな仕組みのアクションゲームだ。
 だが断片化した物語が描かれるおかげで、そのプロセスになんともいえない味わいが生まれ、最終的には一個のドラマとしての感動を作り上げていく。ゲームの構造と物語の構造をうまくすりあわせた、「よく考えて作られた」作品だといえるだろう。

ターン制RPGのようなアクション

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 アクションゲームとしてのジャンルはハックスラッシュだ。敵を倒し、ドロップしたアイテムを収集し、収集したアイテムでゲームを有利に進めていく。実に純然とした由緒正しきハックスラッシュゲームだ。
 ゲームテンポとしてはややゆっくりめ。敵の攻撃は1回ごとに停止時間があるし、こちらも溜め攻撃や魔法攻撃をすると停止時間がある。
 この停止時間がポイントで、プレイヤー側の溜め攻撃の停止時間と、敵の攻撃ごとに入る停止時間が概ね一致している。だからデタラメなタイミングで溜め攻撃すると絶対に間に合わず逆襲に遭う。相手の空振りを誘い、停止を確認してから溜め攻撃・魔法攻撃を使うと確実にこっちのペースで打撃を続けられることになる。

 これも1対1の環境であると容易だが、1対多になるとなかなか難しくなる。油断しているとどんどん体力を削られて、あっという間にゲームオーバーを取られてしまう。敵1体1体の動きのタイミングをよく見て攻撃していかねばならないようにできている。
 1対1の戦いのリズムを見ていると、アクションゲームであるはずなのに、どことなく印象はターン制バトルのようなリズム感になる。こちらの攻撃、あちらの攻撃、理路整然とアクションが展開しているような感覚になる。おそらくはそういう感覚になるよう、丁寧に調整されているのだろう。
 ゲームテンポとしては確かにゆっくりめ、もう少し早くてもいいかな……という気がしているのだが、理路整然と展開していくアクションに一種の快感があるのが良い。

ゲームとしての引っ掛かり

 ただ、引っ掛かりはあって、というのもAボタンを連打してもコンボが繋がらない。3連コンボを決めれば相手に一瞬のスタンがかけられ、直前の行動をキャンセルかけさせることができる……のだが、これがなかなかうまくいかない。これはAボタンの連打しすぎ、ボタンの連打をある段階で止めればうまくいくのだが、このタイミングがどうしてもよくわからない。そろそろクリア……というところまできてやっとわかるようになってきたのだけど、わかるようになったけどあまり釈然としていない。こちらとしてはダダダダと連打してそれに連動してキャラが動いて欲しいのだけど、どうしてもこの感覚がズレるような気がしている。
 この「感覚とキャラの動きのズレ」は色んなところで起きる。

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 例えばマップ上の移動。3方向に分かれている道に行き着いて、さらに左へ行きたいと思って左を押しても、キャラクターは上や下へ移動してしまうことがよくある。この場合、「左」を押すのが正解ではなく、「左上」か「左下」を押すのが正解。絵を見ると左であるはずなのに。
 この感覚をズレで行きたい場所になかなか行けず、何度も同じ場所を行ったり来たりしてしまうことがよくあった。しかもこの行ったり来たりを繰り返している間にマップイベントが発生してしまい……こういうときは苛々が来てしまってイベントをスキップしたくなる。

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 ステージをクリアすると戦利品獲得画面に移る。アーティファクトを手に入れると基礎能力値をアップさせられるが、たった1つしか持ち帰ることができない。これがステージの周回プレイを誘い込む切っ掛けになっていて良い。
 この戦利品獲得画面、最初はカーソルがうまく動かせなかった。絵を見ると円周上にアーティファクトが並んでいるので、スティックをそちらの方向に倒して選ぼうとする。例えば右上にほしいアーティファクトがあったら、右上にスティックを倒す。でもそれだとその方向にカーソルが移動してくれない。
 どういうことだろう? 正解は「上」か「下」を押すのが正解。あるいは「右」か「左」。見た目は円周上に並んでいるが、本質的には縦一列に並んでいるものと実は一緒だったのだ。
 これはさすがに今時のゲームと感覚が違う。今のゲームでは右上にカーソルを動かしたかったら、スティックを右上に倒す。どうしてこっちの感覚に合わせてくれなかったのだろう。

 今時の感覚と違う……といえば移動だ。アナログスティックの“アナログ”部分に対応していない。アナログスティックを浅く倒したら歩く……という操作感覚はなく、浅く倒そうが深く倒そうが一緒。傾きの浅さ深さ関係なく常に走っている。
 これはゲームキューブ版からだけど、現代ハードにアップデートする段階で調整して欲しかった部分だ。

 他にも一つ、ゲーム中で気になったことだが、「まもる」つまり「防御」を使う機会がない。L・Rでコマンドを選択し、Aボタンで決定するゲームだが、敵の攻撃を見てとっさにL・Rでコマンドを変更して防御……なんてできない。いつ使うコマンドなのかわからない。
 ボタン配置をもう一度確認しよう。Aボタンで攻撃。Bボタンでアイテムを拾う。Yボタンでアイテムウインドウ。Xボタンでモーグリにクリスタルポッドを拾わせる。
 どうしてこのようなボタン配置になっているかというと、元がゲームキューブで、ゲームキューブコントローラーはAボタンが大きく、そのAボタンの周りに各ボタンが配されているというレイアウトだった。このコントローラーでこのゲームを遊ぶとわりとしっくり来るのだが、現代のコントローラーだと少し違和感がある。違和感はYボタンアイテムウインドウだ。あまりYボタンでアイテムウインドウというゲームはない。このゲームをやっていて、YボタンとXボタンは押し間違えることが多かった。
 それで思ったのだが、Yボタンが防御という割り当てなら、そこそこ使いどころがあったのではないだろうか。(そもそも防御する必要がない……ということを含めて)現世代機に持ってくるにあたり、防御の役割・存在意義をもう一度見直してほしかった。

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 ゲームテンポはややゆっくりめ……とはすでに書いたとおりだが、アクションゲームの展開としてこのゆったりめテンポはなかなか悪くないが、ゲーム全体を通してゆっくり過ぎる……というのが引っ掛かるポイントだった。
 例えば瘴気ストリームを抜ける場面。ゲーム中何度も繰り返される場面だが……あまりにも何度も繰り返しすぎじゃないだろうか。一度抜けたところは、クリスタルの属性さえ合っていればスキップできるようにしてもよかったのではないだろうか。
 さらにその後の画面移動もやけにゆっくり。時々、かなりの大移動をすることがあるのだけど、何度もくぐる瘴気ストリームとマップ移動のもっさり感で時間を取られてしまい、ここでも苛立ちを溜めるポイントとなっていた。

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 ジェゴン川へ行くと渡し船に乗ることができる。川を挟んだ向こう側へ行くだけなら気にならないが、キランダ火山やルダ村へ行くとなるとそこそこ長めの船旅になる。一回だけならまあ許せるが、これが毎回移動場面が描かれる。スキップ不可だ。移動している間はただ画面を見ているだけ。

書き割りとしての背景

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 引っ掛かりはまだまだある。ゲーム中には様々な村や街がある。マール峠、アルフィタリア城、シェラの里……。風景を見ると、さすがにスクエア、どのシーンもきっちりと個性豊かに作られている。『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』は2003年のゲームだが、ビジュアルやセンスの良さだけは現行機にほぼそのまま持ってきても充分戦えるだけのクオリティを持っている。
 ただ、それぞれの街、村に存在意義があまりない。そこで何かしらのクエスト/イベントが発生するかといえばそういうわけでもなく。そこででしか手に入らないアイテムがあるわけでもなく(ほとんどのアイテムはバトルステージ上で手に入る)。作れる武器/防具/アクセサリーに違いがあり、強力な武器は当然ながらスタート地点から遠い場所まで行かなければならない。ここに各街の存在意義があるとはいえるが、これはむしろ(町ごとの特色を付けるというよりも)逆に面倒くさいだけだった。せっかく武器レシピを手に入れてもどの街で製造可能なのかよくわからない。そのたびにあちこち街を回る羽目になってしまった。

 しかしこれだと街や村を無味乾燥な機能的な場所として見ているだけに過ぎない。RPGで新しい街や村に行き着く醍醐味は、そこにどんなストーリーが展開するか、だ。『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』にはこれがない。物語の展開があるのはあくまでもマップ上のイベントのみに限定され、街や村が新しい物語が始まるトリガーとして機能していない。だから新しい街に行き着いてもただ通り過ぎる場所になってしまい、それ以後武器を作る時以外行かなくなってしまう。
 新しい風景に行き着くことだけで確かに“展開”を感じることができるのだが、それだけだと不充分だ。物語が始まらず、物語が始まらないからそこに住んでいる人との交流やドラマが生まれない。だから印象としてうすらぼんやりしてしまう。街や村で何かしらが起きればより面白くなっていたはずなのにな……と惜しいものを感じてしまう。

 ついでに指摘すると、バトルステージ上でもそうだが、街や村が根本的には“書き割り”に過ぎない。プレイヤーの行けないところ、入っていけないところが非常に多い。ステージ上には色んなものが描き込まれているのだがそのどれにもプレイヤーは触れること、干渉することができない。要するに描かれているもの全てがただの“書き割り”に過ぎないのだ。この“書き割り”があまりにも豪奢でついごまかされそうになってしまうが、実はどの街も行けるところ、できることのボリュームはかなり薄い。
 アルフィタリア城などはかなり豪奢にディテールが作り込まれているが、行けないところがあまりにも多く、城下町としての壮大さを感じ取ることができない。「城」とあるのにその城に入ることができず、より薄い印象になっている。それ以前に行ったところで特に物語らしいものは始まらないので、「何もないね」という印象だけになって通り過ぎてしまう。
 『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』は絵として色んなものが描かれているのだが、実際に遊んでみると物足りなさが後味として残ってしまう。このゲームの噛み応えを感じない後味は、こういうところから来ている。

 ボス戦についてもちょっと触れておこう。
 ボス戦だが、残念なことに「攻略法」が特に必要のないものになっている。接近して、ひたすら殴れば勝利できる。体力が減っていれば離れてケアル。ケアルが面倒ならウインドウを開いて回復アイテム。防御力が低いうちは相手に軽めに接近して空振りを誘い込み、ヒットエンドランを繰り返す。
 これだけで全てのボスに勝利できてしまう。ラスボスもこのやり方で簡単に勝利できてしまう。ボスごとの攻略法というものがないというか、そんなもの考えなくても勝ててしまう。一応、ボスごとに行動パターン、攻撃パターンはあるし、ボスHPが残り少なくなると行動パターンは変わったりというのもあるけど、基本的にはヒットエンドランを繰り返すだけで勝ててしまう。ボスに対応してこちらの行動パターンを変える必要というのがほとんどない。
 ステージ最後に待ち構えているボスがこれだから、どうにも噛み応えがない。達成感がない。いやいや、ボスは強ければいい、攻略法が複雑であればいい、とは思わない。ただ変化が欲しい。ずっと同じことの繰り返しで勝利できてしまう、のではなく変化と緩急がほしい。それが『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』にはない。ここもゲームとしての噛み応えを感じない、弱さを感じる部分だ。

まとめ・それでも好きな作品

 『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』の欠点を挙げると、だいたいスクエアゲーム全体が陥っている欠点と同じところに問題があることがわかる。ステージ全体がただの書き割りに過ぎず、しかしその書き割りがあまりにも豪華だから騙されてしまう。ゲーム中のどんなものにも干渉することができず、いろいろあるように見えて実は何もできない。だからゲームとしての後味が薄くなりがちだ。スクエアゲームが陥りがちな「豪華な模様」が一杯書かれているだけのゲームだ。

 ただ『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』は他のスクエアゲームとはっきりと違う美点を持っていて、それが物語の有り様。『ファイナルファンタジー』シリーズでは受け身的に物語を体感していくもの、ある種映画を見ているような感覚で追いかけていくのだが、『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』は断片的に小分けされた物語をプレイヤー自身で紡いで最終的にはひと連なりの物語にしていく。このゲームでは「思い出」と表現しているが、まさにその通りで、ゲームでの体験一つ一つが思い出として後に残る。これがゲームを終えた後、良い感じの後味として残ってくれる。『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』の印象を格段に良くしてくれているのはここだ
 『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』にははっきりいえばダメなポイントが非常に多い。2003年のゲームだから……というわけではなく、根本的な欠点をいくつもいくつも抱えている。

 ここまでの感想文に書いてこなかった話だが、物語の奥行き、ドラマの奥行きははっきりと薄い。確かに断片化した物語がプレイヤー自身、私自身の脳内で連なっていく感じはあったのだが、それが深化する瞬間がない。「感動する」ほどでもないのが実際だ。最初のほうに「この構造が最終的には物語のクライマックスで感動に繋がっていく」と書いて、そういう構造になっていることは確かだし、実際ある程度の感動はあるけれども、「これは傑作だ!」というレベルの感動があるわけではない。
 プレイヤーの体験として決定的なものにするには、もう1段階、2段階深めていくような展開が必要だが、それがこのゲームにはない。街や村に行っても新しい物語が始まらない……ということも絡み合ってくる。一つ一つのエピソードがそれ以上広がらず、どこにも着地せず、何にも結びつかない。これは構造的な弱点ではなく、単に“作り込み”の弱さだ。全てにおいて中途半端だから、感動するポイントの薄い作品になっている。

 はっきり書いてしまおう。物語の語り口が「凡庸」なのだ。凡庸に作られているから一つ一つのシーンがあまり強くフックとして残らない。でも画自体はそこそこいいから「雰囲気がいい」という印象だけは残していく。でもただ「雰囲気がいい」だけで、それ以上ではない。凡庸に作られているから、「感動」できるものになっていない。凡庸だから、個々の物語が大きな物語を作るための構造として機能していないし、そういう作り方すら心得ていない。こういうポイントも、スクエアゲームが陥りがちなダメなポイントの一つだと言えてしまうのが、このメーカーが抱える永年の命題だ。

 だからといって私はこのゲームは「ダメなゲーム」「嫌いなゲーム」とは言わない。その欠点に気付きつつ、欠点を踏まえつつも、それでもこのゲームが好きだ。それはこのゲームが描いている牧歌的な雰囲気、古楽器を使った秀逸な楽曲、ミニチュアのように作られた可愛らしいキャラクター達、それに作品が持っている構造……そのどれもが愛おしいというべきものだからだ。要するに「雰囲気が良い」。楽曲や歌唱は本当に見事で、ゲームキューブ版の時、このゲームを終えた後すぐにサントラ盤を買った。今でも繰り返し聞いている素晴らしい曲達だ。主題歌のYaeの音楽はこのゲームを切っ掛けに買うようになった。
 良いポイントとダメなポイントを天秤にかけると、天秤はダメなほうへ傾いてしまう。点数評価を付けるとしたら、どうしてもやや低めになる。『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』はそれくらいのバランスの悪いゲームだ。「良作」「傑作」とは言わない。だがそれでも『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』はなんともいえない心地を後に残してくれる。終わってみて「良かったね、これ」と静かに思わせてくれる。そういうマジックのあるゲームだ。

 だからこそ、惜しい。このゲームはもっとしっかりと磨くべきだ。『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』ははっきりいえば「傑作になり損ねたゲーム」だ。だが傑作への道のりは決して遠くないと私は感じている。あともう少し磨き込めばもっと輝くゲームであるはずだ。だから『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』を直接継承した「続編」が欲しい。現代ゲーム機に向けて、あるいは続編として正しくアップデートした『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル2』が欲しい。
 幸いにも『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』のパッケージは結構売れている。初週売り上げでSwitch版が4万8957本。PS4版が3万169本(※)続編制作に充分GOサイン出せるだけの数字は出せたはずだ。今回の『ファイナルファンタジークリスタルクロニクル』を継承した続編が出てきてくれることを期待しよう。この伝説は、リバイバルだけで終わりにするべきではない。

※ ファミ通のデータより。2020年8月24日~8月30日。


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