映画感想 ニンジャバットマン
ここ数日、DC映画ばかり観ているけど、1つ事情がありまして……。というのも近いうちにDC映画はNetflixから引き上げるかも知れない……という予感がして……。
アメリカではワーナー専門の配信サイトが立ち上がり、Netflixからワーナー作品が引き上げ。これはアメリカでの話でまだ日本ではローンチが始まっておらず、そういう話もまだ聞かないのだけど、そのうち来るかも知れない。そうするとドル箱のDCコミック映画は真っ先に引き上げになるはずだから、早めに観ておかないと……。
というわけで、今回視聴の『ニンジャバットマン』でNetflixで配信されているDC映画はおおむね観たことになるはず。見逃している・忘れているものがなければ。
ニンジャバットマン 日本版トレーラー
映画の感想
始まって2分!
たった2分でバットマンは戦国時代日本へタイムリープしてしまう。とにかく早い! それからなぜ戦国時代日本へやってきたのか、の説明が入るのだが、その説明を終える段階でもまだ10分。とんでもなく早い。ここから尾張の城主となっているジョーカー&ハーレイ・クイーンとの戦いが始まる。
映画の全体は85分とかなり短めだが、常に急ぎ足で展開していくので、わずか85分であってもたっぷりボリューム感あるアクション映画として楽しめる作品になっている。
まず素晴らしいのは絵作り。神風動画といえば『ドラゴンクエスト9』オープニング、『ジョジョの奇妙な冒険』オープニング、『ファイアーエムブレム 覚醒』アニメシーン……と最近までは「短編アニメで優れた映像を制作するアニメ会社」というイメージが強かった。それも『ポプテピピック』というたった1本の大ヒット作によって印象はガラリと変わったが。
その神風動画が手がけた『ニンジャバットマン』。映像の特徴は全編にわたるタッチ線。キャラクターは主線の他にタッチ線でザッザッと書いたような、ラフ画のような線が全体に施されている。こういった手描き風の荒さやユレを取り込んだ線は、『ジョジョの奇妙な冒険』でも試みられた手法だ。
こうした神風動画のスタイルはどうやって作られているのか、よく知らない。日本のCGアニメを専門とする会社といえばサンジゲンやポリゴンピクチャアズが挙げられるが、こちらではエッジラインを黒線として定義づけするレンダリングが使用されている。もちろんこれだけでアニメ風スタイルは成立しないから、さまざま手付け作業を経て、手描きアニメ風に寄せようと工夫を凝らしている。
一方の神風動画といえばそれ以上に手書きイメージに近づけている。これは他社が線画をベージュ曲線で制作しているのに対して、おそらくそのシーンごと、そのシーンだけのテクスチャーを作っているような気がしている。2次元平面の絵を作り、3Dに当てはめているような印象がずっとある。だから動いているシーンを観ても、キャラクターが背景の2次元平面画とうまく組み合わさって、乖離している印象が薄い。
『ニンジャバットマン』を観ていて驚いたのはジョーカー&ハーレイクイーンの顔芝居。とにかくよく動く。シルエットが刻々と変化する。口先をとがらせて、手書き絵っぽい線が現れるシーンがある。ああいった絵を見ると、「本当に3Dなのだろうか?」と疑ってしまう。とにかくもそれくらい3D絵が完成しているように見える。
3Dキャラクターの構築がうまくいっていると思えるのは、背景画やエフェクトと重なった瞬間だ。キャラクターと、手書きの背景絵が組み合わさったときの一枚絵としての完成度。どのシーンも格好いいし、美しい。煙などのエフェクトも手書きなのだが、こちらはよくあるアニメ風の線画で作られたスタイルと、筆絵っぽく作られたスタイルと2パターンあり、どちらでも3Dキャラクターとよく合っている(煙エフェクトは時々安っぽく見える瞬間もあるにはあるのだけど)。
さらに空は扇形のパターンが当てはめられている。あの文様はなんというのかわからないけど、表面の荒々しいタッチの背景に、規則正しく配置されたパターンが不思議に合っている。
CGアニメといったら、ユレのない線。作画に破綻がでないぶん、シーンごとの様々なニュアンスが損なわれやすい。しかし神風動画のCGはむしろ手書きのイメージにどこまでも寄り添っている。手書きの荒々しさを理想的な形で取り込み、ほとんど違和感の出ないやり方でCGに転換させている。そのスタイルが最高の形で結実したのが、この『ニンジャバットマン』だ。
キャラクターもまたいい。バットマンのどっしりとした甲冑姿のかっこよさ。バットマンのデザインは、基本的にあの耳さえ押さえておけばだいたい自由にやってもいい……という約束事があるのだが、今回のバットマンは元イメージに捕らわれず、独自のバットマン像が作られている。
そのバットマンスーツも次第に破壊されていき、しかし江戸時代という背景だから装備の補充ができない。それで後半、バットマンの面が和風に、装備もどんどん変わっていくのだが、これもまた格好いい。新しい装備品に変わり、その過程でヒーローの覚醒を思わせる転換があって、そこを盛り上げ場にしている。
ヒロインのキャットウーマンは可愛い。キャットウーマンも登場するたびにイメージがまるっきり変わるキャラクターで、今回も登場時、誰なのかわからなかった。「キャットウーマン」と台詞で呼びかけられるからわかるのだけど。衣装も多いのもいい。
キャットウーマンのデザインにも一応の約束事はあるのだけど、それもほとんど守らずにイメージを膨らませている。それがとにかくも可愛い。今までで一番のキャットウーマンだ。私はこれを書き終えたら、キャットウーマンの二次創作を探す予定だ。
キャットウーマンのデザインに気になるところは2つあって、和装衣装の時、オッパイの形に添わせて裾を作っていたが、私はあそこは直線であってほしいと思った。着物裾をオッパイの盛り上がったところから首まで直線でつなぎ、服と肌の間に空間を入れて欲しかった。
もう1つ気になったのはキャットウーマンの衣装、一着だけ手書きになっていたこと。どうしてCGで作らなかったのだろう。こうしたCGアニメの場合、むしろ手書きになると周囲の作画から浮いてしまう。すべてCG作って欲しかったところだ。
ストーリーについて。
『ニンジャバットマン』はとことん説明をしない。戦国時代日本へタイムリープしてしまうが、いったいどういう原理なのか、こうしたタイムトラベラーものでは必要になる描写だがそれすらない。そうした説明はざっと省いて、とりあえずキャラクター達をその世界へ放り込め! ……理屈がどうこうよりかは、そこでそれぞれのキャラクターが何をするのか、に重点を置いている。この潔いコンセプトが作品の痛快さと繋がっていて良いポイントだ。
戦国時代にタイムリープしたバットマンがキャットウーマン、アルフレッドと再会して、未来のアイテムを駆使してジョーカーに挑む。しかし敗走し、ガジェットの全てをロストする……ここまでがおよそ20分ほど。
ヒーローの敗走、それから苦難の冒険を経て覚醒し、勝利をもぎ取る。一見するとトリッキーな構成に見えるが、実はヒーロー映画おなじみのプロットをなぞっている。ただ、この展開を思いっきりぎゅっと濃縮して、開始10分までに全説明を終えて、次の10分で敗走シーンを作り、それからリベンジへ向けての戦いが始まる。
次から次へと物語が転換していく。カットのスピードも異様に早い。まさに息をつかせぬ展開で、しかし実は背景にはシンプルなヒーローの敗北と覚醒の物語が裏打ちされていて、胸躍る戦いの物語に仕上がっている。
ただし、キャラクター達の掘り下げが一切ない。バットマンやキャットウーマンといったおなじみのキャラクターの他、様々なキャラクター達が登場する。だがわかるのは半分くらい。ペンギン、トゥーフェイスまではわかるのだが、ゴリラ・グリッド、ポイズン・アイビー、デスストロークはよくわからない。ヒーローサイドはレッドロビン、ナイトウイング、レッドフードと初めて見かけるキャラクターたちもいる。ゴリラ・グリッドは作中、ある程度の掘り下げがあってパーソナリティを把握することができるが、ポイズン・アイビー、デスストロークは本当によくわからない。
世界観の背景……戦国時代が背景なのはわかるが、ヴィラン達に押しのけられたその土地土地の統治者はどうしたのか、とかもよくわからない。織田信長や武田信玄といった武将はどこへいったのか。忍びの里が出てくるが、こちらもほとんど掘り下げないというか、あまり活躍の場がない。
とにかくもありとあらゆる場面で掘り下げが一切ない。何も説明がないまま、ただ場面がどんどん転換していく。
『ニンジャバットマン』はあくまでも「お祭り映画」である。ドラマとしての掘り下げを期待するのは間違っている。ヒーロー&ヴィラン大集合の東映ヒーロー映画に近い。映画館という場で催される祝祭に近い映画だ。「祝祭の映画」という意味では『マッドマックス』に近いコンセプトの映画と読み取れることができる。
しかしそれだけにそれぞれのシーンに蓋然性を持ち得ない……という弱さがある。それが如実に現れてくるのは映画後半に入ったところ。
映画後半戦に入り、日本中の城が立ち上がり、移動、さらには変身合体までしてしまう。それは良しとしよう。おそらく日本制作アニメだから、日本が一番得意とするロボットアニメのスタイルを見せたかったのだろう。そこにはさほど気にならない。その次の展開として、巨大なサル――サルたちが合体して一体の巨大なサルになるのだが、これに蓋然性がない。この巨大サルが戦っている間、バットマン達は何をしているのかというと、ただ棒立ちで見ているだけ。
その次にコウモリ達が集まって巨大バットマンが生まれるのだが、やはりあまり意味がない。この間にバットマン達が動いて、次なる展開に向けて何か準備しているならいいのだが、何もしていないのだ。
こういった場面は作り手側のジョークでしかなく、物語としての蓋然性を持たないからドラマとしての強さは当然無いし、笑える場面になっているかというとそうなってない。
話はちょっと遡ってしまうが、ゴリラ・グリッドのポジションの問題。ゴリラ・グリッドの裏切りが物語中のフックにしようとしているのだが、うまく機能しているようには見えない。ゴリラ・グリッドの裏切りがあって「え? そんな展開が」というような驚きに繋がっていない。これもゴリラ・グリッドというキャラクターの掘り下げ、バットマンとの関係性を深めていないからだ。こうしたところで物語を組み立ててないから、ゴリラ・グリッドの裏切りにも意外性がなく、それがもたらす展開にも広がりを感じない。
続いてそれぞれのヒーローたちがそれぞれのヴィラン達と一騎打ちを始めるのだが、全く盛り上がらない。ここまで掘り下げが一切なかったから、ヒーローとヴィランの組み合わせに蓋然性が見えてこない。
もしも東映アニメ映画だったら、こういった場合、前半の戦いと敗走のシーンで戦うキャラクターの“組み合わせ”を作っておくものだ。前半戦であのキャラクターに敗北してしまったから、後半戦でのリベンジが一つの盛り上がりとなる。『ドラゴンボール』の映画はだいたいこの組み立てで作られている。『ニンジャバットマン』にはその組み立てすら端折ってしまっている。
物語としての組み立てがなかったから、戦いのシーンにドラマを感じず、どうしても上滑りしているような、決定的な盛り上がりに欠いてしまっている。
その最後の戦いとして描かれるのはバットマンVSジョーカーだが、これもやはり盛り上がらない。というのもジョーカーはヴィランの中でもさほど強くない……で知られている。普通に殴り合ったらバットマンが勝つに決まっている。
ジョーカーの存在はこういう戦いの中で現れるものではなく、無軌道な行動や混沌の状況を作っていく中で現れてくる。“腕力が強くて恐ろしい”キャラクターではなく、社会情勢を崩壊させていくなかで、存在が不気味に感じられていく……というところで魅力を発揮するキャラクターだ。バットマンとのバトル、殴り合いをやってもジョーカーというキャラクターはさほど輝かない。そんなジョーカーとの戦いをクライマックスに置いてしまったので、やはり盛り上がらないラストになってしまっている。どう考えてもバットマンが勝つ……とわかってしまうから。
それにシーン作りの弱さ。城が歩き出して最終的に合体……という展開自体は悪くない。問題なのはその背景。背景に富士山を置いて、だだっ広い荒野がえんえん広がっているだけ。ロケーションが観ていて面白くない。
その合体ロボットを観てバットマン達が馬に乗って駆け寄っていく。しかしお互いの距離感、方向性がいまいち掴めなくなっている。どのカットも背景が同じに見えてしまうので、それぞれがどれくらい接近しているのか、勢力図や立ち位置を見分けるための目印になるものが画面の中にない。随伴していたはずの忍者たちも途中からどこへ行ったのか。
それに周囲がどんな反応をしたのか……という描写も端折ってしまっている。辺りに木が生えていて、それが揺れたり、という反応があれば巨大ロボットがどれだけのスケールなのか、ロボットの一歩がどれだけの重さがあるのか。そういう“特撮的”な見せ方が一切ない。
そうした色んな描写を端折ってしまっているから、バトルシーンが書き割りの連続を見せているだけ……のようにしか見えなくなってくる。せめてロボットが移動している先に村があって、その村を助けるためにロボットを早く止めなければ……というお題目を立てれば印象も違ったのだが。
あまりにも何もないせいで、一見凄いことをしているように見えてどのシーンも上滑りしている感が出てしまっている。前半戦こそは思いがけない展開に胸躍ったが、後半に行くにつれて次第に気分がそがれていき、クライマックスに達する頃には作品に対する興味は半分失っていた。
『ニンジャバットマン』は画が非常に良いので、個々の絵を見ると素晴らしい力強さに漲っている。しかしドラマとしての組み立てがないから、画が本来持っている力を出し切れていない印象に陥っている。物語、というか“状況”が次から次へと転換していき、中島かずきらしいストーリーラインになっているのだが、各シーンの意味づけをしっかり深めないで先へ先へと進ませようとするから、後半に向けて画と物語が乖離始め、“大きな状況が起きているのにいまいち盛り上がらない”という奇妙な状況が起きている。シーンが物語を語っていない。絵だけが大暴走している……そういう印象だ。作画がいいだけのアニメの典型例だ。
しかし『ニンジャバットマン』の鑑賞後の後味は決して悪いものではない。なにしろ最高の絵を見ることができた。アニメーション自体がエンタメしている。ヒーロー&ヴィラン大集合の「お祭り映画」としての豪華さ、贅沢さだけはきちんと味わうことができる。「お祭り映画」としての要件だけはきっちり満たしている。よくわからない、よく知らないヒーロー&ヴィランがいる……ということを除けば。物語としての盛り上がりを欠く……ということを除けばただひたすらに楽しい、楽しんだ者勝ちの映画だ。
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