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映画感想 ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷

 体がホラー映画を求めている……。
 というわけで、今回視聴の映画は『ウィンチェスターハウス アメリカで最も呪われた屋敷』。このウィンチェスターハウスの存在はもう何年も前になるが、とあるバラエティ番組で紹介されていたのを見ていたので知っていた。その番組ではとある富豪が謎の妄想に取り憑かれて、えんえん増築し続け、「迷路屋敷」になってしまった……という紹介のされ方だった。当時、私はそれを見て「た……楽しそう!」と思ったものだった。「探索してみたい」……恐怖屋敷という触れ込みだったが、冒険心のほうが先立つ。そういうお屋敷だった。
 あのお屋敷を題材にした映画が、時を経て映画化。なんだか感慨深いものがある。
 映画に関する基本的な情報は、世界興行収入4100万ドル。公開初週全米ランキング3位に入ったりと、まあそこそこ収益を上げた作品になった。ところが映画批評集積サイトRotten Tomatoesによると、批評家支持率10%。平均点10点満点中3.9点と、評価はかなり低い。「内容はそれなりに……」という感じだ。

 では、映画のあらすじを見ていこう。


 1906年。精神科医のエリック・プライスは自堕落な生活を送っていた。妻の死後、まともな生活やまともな仕事もせず、ダラダラとした生活を送っていた。
 そんなある夜、とある紳士から奇妙な依頼を受ける。カリフォルニア州のウィンチェスターハウスへ行き、その婦人の「精神鑑定」をしてほしい、というのだ。報酬は600ドル。大金を示されて、エリック・プライスは久しぶりの「仕事」をすることになる。
 ウィンチェスター家はライフル銃販売で莫大な富を築き上げていた。その社長はすでに死去しているのだが、その妻である未亡人は今もウィンチェスター・リピーティングアームズの筆頭株主で、会社が生み出す莫大な利益を手にする立場にあった。
 ところが未亡人はウィンチェスター・リピーティングアームズの利益を、自身のお屋敷をひたすら増築し続けることに浪費。会社としても無益な増築に浪費され続けるのはたまったものではない。そこで精神科医を派遣し、「精神異常」と診断してもらいたかったわけだ。
 エリック・プライスはウィンチェスターハウスに滞在することになり、未亡人から「なぜ屋敷の増築をし続けるのか?」と理由を問う。
 未亡人は語る。ウィンチェスター家はライフル銃販売で莫大な富を築き上げたが、その銃で多くの人が殺されてしまった。屋敷の中に新しい部屋を作り、そこに“会社の商品”で死んでしまった人の霊を呼び寄せて住まわせる。やがて霊が成仏したと感じたら部屋を潰し、新しい霊を招くための部屋を作るのだという……。


 いつもなら、あらすじを25分ごとに区切って内容を詳しく見ていくのだけど、今回はその必要はなさそうだ。というのも、そこまで詳しく区切って見ていくほどの奥行きが映画にはないからだ。

 映画の話の前に、舞台となっている「ウィンチェスターハウス」について掘り下げていこう。
 嘘みたいな話だが、この「ウィンチェスターハウス」は実在する。映画の中で、「会社の商品で死んでしまった人達の霊を住まわせるために新しい部屋を作り続ける」という奇妙な理由が説明されて、「どうせ映画が作ったお話だろう」と思ったら、これも本当。本当にそういう理由で屋敷の増築をし続けていた。
 映画中、昼も夜も屋敷の増築をし続けていたが、実際でも昼夜問わず、24時間体制でお屋敷の増築をし続けていた。これが実に38年間も続いたという。工務店は大儲けだし、お屋敷作りだから技術も相当に磨かれたことだろう。
 いったいどこにそんなお金があったのか、というと未亡人であるサラ・ウィンチェスターは夫の死後も筆頭株主であり続けたので、毎日1000ドルの収益を得ることができた。1900年代の1000ドルは、2000年代のレートで換算すると2万1000ドルに相当する(しかも当時、このお金は課税対象ではなかった)。働かず財産を手にし、(税徴収もされなかったので)そのお金のほとんどを自宅の増築に浪費し続けたのだ。会社の人達が「やめてくれ……」と思ったのは無理もない。
 1922年にサラ・ウィンチェスターは死亡。サラ夫人の死亡によってようやく増築は止まったが、最終的に部屋数が160にもなっていた。寝室の数は40。舞踏室2つ。暖炉の数47。窓ガラスの数1万枚。煙突の数17……。かかった費用は推定550万ドル。
 この奇妙なお屋敷は現在も保存され、定期的に「ミステリーツアー」などのイベントが催されている。莫大な資産を溶かして建造された謎屋敷は、今や地域の観光資源になっていた。
 というわけで、映画が「実話に基づく」というのは本当。ただ映画で描かれたようなドタバタだけはフィクションだ。ここまでホラー映画向きの、実在の舞台はそうそうあるものではない。しかしその内容は……。

 映画についてだが、「この作品の見方」……というほどではないが、映画撮影の基本的なところを書いておこう。
 まずお屋敷の空撮シーンだが、これは実際のウィンチェスターハウス。ウィンチェスターハウスを空から捉えた描写がいくつかあるが、間違いなく実際のウィンチェスターハウスで撮影したものだろう。
 しかし、ウィンチェスターハウスを“正面”から捉えた場面はCGやセットで表現されている。ロングサイズで描かれるシーンはCGで、クローズアップされて描かれるシーンはセット撮影になっている。
 これはウィンチェスターハウスも“実在の謎屋敷”とはいえ“文化財”だから、その周辺で撮影するわけにはいかなかったからだろう。映画では屋敷の周囲に足場を組んで、今まさに増築の真っ最中という光景が描かれたが、まさかそんなシーンを実際のお屋敷で撮影するわけにはいかない。屋敷の一部ならばセットを組んで再現することもできるが、屋敷の全体像が見えるようなロングサイズはCGで再現……ということになる。
 そういうわけで屋敷の外に出て、「屋敷の様子を見ながら俳優が対話」しているシーンとかいくつかあるのだけど、やたらと画角が狭い。俳優と屋敷を同じフレームに入れて撮影できなかった事情を伺わせる。
 では“屋敷の中”はどうだろう。屋敷の内部シーンは基本的にセット撮影。俳優が演技する場面は、基本的にどのシーンもセット撮影。屋敷の中に機材を入れなければならないし、俳優の姿にふわっとした光が当たっている。あれは天井を抜いて、照明を当てた時の光だ。実際の屋内撮影だともう少し暗くなるはず。後半は屋敷そのものを破壊する場面もあったりするので、まさか本当の屋敷の中で破壊シーンの撮影するわけにはいかない。映画スタジオ内で屋敷の部屋を再現したセットを作って撮影に当たっている。
(廊下を巡り歩くいくつかのシーンは、実際のお屋敷で撮影したのかもしれない)
 しかし、映画中、おそらく実際の屋敷の中で撮影したであろう風景描写カットがいくつかある。物語の幕間に点々と描写されるお部屋のカットは、実際のウィンチェスターハウスだろう。こういった「本当のお屋敷映像」をスタジオセット撮影映像に混ぜることで本当らしさと、屋敷の広大さを表現している。

 そんなアメリカに100年伝わる珍屋敷が舞台となっているホラーだが、こうやって映画の舞台として改めて見ると、やっぱり「楽しそう!」という気持ちになってしまう。映像を見ながら、脳内で屋敷探索をはじめてしまう。「あの扉はどこに続いているのだろう?」「あそこの階段はどこに繋がっているのだろう」……とか考えるとワクワクしてしまう。実際のお屋敷は無計画に増築し続けたために、どこの部屋に繋がってない扉とか、突然途切れる廊下とかもあるそうだ。案内人なしで飛び込むと、本当に出られなくなるくらいの迷路屋敷なんだそうだ。そんなお話を聞くと、「ああ、探索してみたい」と思ってしまう。行ったら1週間くらい探索だけで時間を消費できそうだ。
 作品はホラーなのだけど、どうにもホラーとして楽しめない。ちゃんとホラー描写はあるのだけど、私の気持ちは「探索の気分」になっていて、ホラー描写がどうでもよく感じてしまう。映像で見ていても、ウィンチェスターハウスの光景があまりにも楽しそうに見えてしまった。

 ぜんぜんホラーを見ている気分になれなかったのだけど、それでもホラー演出はどうだったかを見ると、さほど個性的ではなかった……ということだけは言える。「よくあるホラー演出だなぁ」という域は出ていない。ある場面で主人公が見ている鏡が勝手にあらぬ方向を映しはじめて……という演出があるが、私たちにとってああいった演出は『ドリフ』でよく見たやつだ。「怖い」というより「楽しい」という気持ちになってしまう(というか笑ってしまう)。
 ウィンチェスターハウスでは様々なポルターガイストが起きるのだけど、基本的には「無害」。幽霊たちが現れ、扉を揺らしたり、家具を開けたりするのだけど、それで生活している人に危害を与えたりはしない。むしろポルターガイストによって愉快な演出をしてくれているので、よけいに「楽しそう」という気持ちになってしまう。私の脳内では、この作品は「ホラーコメディ映画」に変換されていた。
 楽しそう……と思ってしまうのは、私が悪いのか、ウィンチェスターハウスという舞台がまずいのか……。このお屋敷で幽霊話をやると、どんなお話を作っても「楽しそう」という気持ちが先に立ってしまう。

 ストーリーに関するお話とはちょっと違うのだけど、この作品にはちょっと変なねじれがある。物語を見ると主人公はどう見てもジェイソン・クラーク演じる精神科医エリック・プライスなのだけど、クレジットを見ると主人公はヘレン・ミレン演じるサラ・ウィンチェスターとなっている。
 ヘレン・ミレンはアカデミー賞受賞経験のある名女優で、そのキャリアの中、唯一のホラー映画が本作である。名女優に脇役を演じさせるわけにはいかない……そういった事情があって「物語的に見るとエリック・プライスが主人公」であるはずなのに、サラ・ウィンチェスターが主人公格として取り上げられてしまっている。
(サラが登場するのは映画が始まって20分以降……。そんな人物が主人公であるはずがない)
 日本の映画では選ばれる女優によって原作内容が改変されて、本来は端役であるはずなのに、無理矢理重要なキャラクターに格上げされてしまう……ということがしばしば起きている。
 この作品でも同じような現象が起きていて、サラ・ウィンチェスターの発言や行動を全肯定するかのような描き方になっている。悪霊がサラに襲いかかるシーンがあるのだが、なぜか悪霊が放った凶弾はサラから外れて無傷……なんてシーンもある。サラの行動は常に正解を引き当て、無傷で危難を乗り切れる。いわゆる“主人公補正”だ。

 そのサラの描写だが、しばしば画面をふんわりさせるようなフィルターを載せて描かれている。最近見なかったフィルターだったから、私はカメラがピンボケしているのかと、しばらく思っていた。サラを特別な存在にするために、変な方向で頑張りすぎているようだ。
 ついでカメラの話をすると、せっかく魅力的な舞台なのに、どのシーンも画角が狭い。俳優の表情を捉えようと、単調なカット割りが多くなっている。  それに光の差し込み方も、どこか不自然だ。「なんでこのシーン、下から光を当てているのだろう?」というようなシーンが多い。自然光撮影でもないのに、変な光源が多かったのも残念なところだ。
 せっかくウィンチェスターハウスという魅力的な舞台で撮影しているのにな……。俳優よりも、もっと舞台を見せてほしい、という残念さがある。

 結局のところ、映画として面白いのか、ホラーとして面白いのか……というとさほどではない。あの舞台ならではの個性もないし、物語に奥行き感もない。
 確かにウィンチェスターハウスは変な理由で増築され続けた「ヘンテコ物件」だが、あそこでは実際の怪奇現象というものは起きていない。実録ものホラーといえば『死霊館』があるのだけど、あちらでは実際の「霊現象」や「恐怖体験」が物語のベースにある。しかしウィンチェスターハウスは「幽霊を招き入れるため」という理由があるのだけど、その場所で怪奇現象も恐怖体験も語られていない。そうした場所で「恐怖話」を作り上げているわけだから、どうにもお話に無理矢理な感じが出てしまっている。
 無理に作っているから、「ホラー映画にありがちなシーンの集合体」のような映画になってしまっている。ウィンチェスターハウスという舞台に、ホラー映画の歴史が積み上げたホラーシーンを当てはめてみた……というだけで、そういった印象を越えるものではない。この舞台ならではの、ウィンチェスターハウスでしかあり得ないホラー描写、というものが最後まで登場することはなかった。
 ただやっぱりウィンチェスターハウスという場所の面白さ。映像で見ていても、やっぱり面白そうに見えてしまう。100年前の富豪が贅を費やして作り上げた謎屋敷……。その内部へ踏み込むと複雑な迷路になっていて、しかも幽霊がいる。ああ、考えただけでワクワクする。映画はさて置きとして、「行ってみたい」……そういう気分になれるのは間違いない作品だった。
 建築やインテリアに興味がある人にもお勧めかもしれないよ。ヘンテコ物件とはいえ、無駄に贅を費やして作られたお屋敷ではあるから。圧倒するほどの「凄い建築」であることだけは間違いないんだ。


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