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「早い」「安い」「簡単」な時代に終わりが来るかも…?


私の趣味のひとつにお絵描きがあるのですが、今日はそれを通じて感じたことをお伝えします。


私の描く絵は基本的に手描きです。

コピー用紙やスケッチブックに鉛筆やペンを用いて自由に描いています。

作風はバンドデシネのような、曼荼羅のような、ゼンタングルのように深く考えず思い付き(直感)で書き上げていくものです。

漫画やアニメのようなキャラクター的なものは、苦手分野なので基本描きません。

描かないけれども何を隠そう私はオタク。

漫画もアニメもゲーム大好きで、好きな作品のファンアートを見るのは大好きです。

しかし最近知ったのですが、最近の「イラスト」はAIが自動で描いているものもあるということ。
確かにそんなアプリというか機能があることを前々から知っていました。
ですがいまやその機能を使ったイラストが蔓延ってしまい、手描きの絵師さんが少なくなっている傾向にあるというのです。

※ここでいう手描きとは下書きから完成まですべて自分の手で創る人のこと


思えばアナログで絵を描く人は随分と減りました。

私も一時期デジタルに移行するか随分迷ったのですが、なんだかんだ今でもアナログ手描きです。

(綺麗に編集したり色を塗ったりではデジタルの力を借りています)

しかし今度は自分の想像するイメージをAIが「勝手に」描いてくれる時代。

これを知った時、本当に、本当に、本当に結構衝撃的でした。

かなり昔にドラえもんの道具でそういったものがあったのは記憶していますが、まさか現実に出てくるとは…。人間の考え付くものは基本的に現実にできる(反映する)という話は本当ですね。

さらに加えてビックリしたのは好きな絵描きさんの絵をスキャン等AIに覚えさせ、全く同じ絵柄で勝手に描いてくれる機能が誕生したのです。

これには一時期SNS界隈がざわつき、たくさんの絵描きさんが「やめてくれ」と声を上げていましたね。もし私もキャラクターものの絵描きさんならば心底やめてくれと思います。



【大量生産、大量消費の時代の障壁】

このような機能が作られる過程のひとつとして、「自分では作れないから代わりにしてもらう」という理由があると思います。

ここだけ聞くと普通にお金を払って絵描きさんに依頼して描いてもらえばいいのですが、いかんせんお金はかかります。絵をかかない人にとって「簡単でもいいからちょいちょいって…」と軽く言いますが、下書きから線入れ色塗り…特にアナログですとミスが許されません。

そういった労力も込めてモノクロ画では5,000円前後、カラーイラストでは10,000円前後が相場になっています。(安く提供される人だとその半額、高い人だと倍以上です)

決して安くはない買い物なので毎回毎回依頼していられない。

ともすると代わりに描いてもらう機能を作ればいい!

紆余曲折あったでしょうが端的に言うと、機械文明がますます加速して発展していったのもこれに尽きるのではないのでしょうか。


自分でできないから誰かにやってもらう。

この発想は問題ないです。

困ったときは頼るものです。


頼む相手は人でなく機械にしよう。これも時代の流れ的には普通です。その他付け加えるなら、受注が増えて人手が足らなくなったから機械に任せようというのもあります。

短時間で物を作り、人々に売り、たくさんの人に行き渡って豊かになり、人が増え、また短時間で大量の物を作り…という、大量生産・大量消費の時代の始まりです。


機械に任せるとはすなわち、引き算の発想から来ています。

アナログ的で無駄な労力を減らし、余った時間を自分に振り分けるために生まれたようなものです。

洗濯機も初めは主婦たちの労力をなんとか減らせないか?という視点から来ています。

これらは決して悪いものではないのですが、結果的に「不必要な分野に至るまで労力を減らす」ということになっているんですね。

これがいずれ現代の多くの人を悩ませる「我慢ができない」現象に繋がっていきます。


【この世は陰陽、二元である】

私の個人的な持論ですが、この世界は二元論の関係も持ち合わせています。

ともすればどちらか片方だけ、というのは存在しません。

光と闇は常に同時に存在しています。ただその二つを行ったり来たりすることもあります。

昼と夜みたいな感じですね。

それと同じで、歴史の動きや物事の流れにも二元論といいますか、何かと何かに移り変わる動きを見せます。春夏秋冬とかがそれです。

ともすれば、今を占めている「大量生産、大量消費」の流れもやがて終わりを迎えるときが来ます。

むしろ現在崩壊が始まってますよね。

(もちろん何年か後に再び大量生産大量消費の時代が訪れるのかもしれませんが)


「簡単」とはお手軽でわかりやすくて扱いやすくて…という感覚のものです。

これの時代が終わるということは、難しくて複雑で難解なものしか流行らないのか?という疑問があると思いますが、決してそうでもありません。


例えば、「本物は簡単」という言葉があります。

武術はもちろん華道や書道などの「道」の世界、その他では職人の世界というのは、究極に突き詰めると単純な作業の繰り返しです。

かなり言葉に語弊は有るのですが、ようするに、「本物」であるものというのは動作というか技術というか、そういうものは単純でわかりやすいものなのです。

気功の呼吸法でも単純明快でわかりやすく取り入れやすいものが本物と称されています。

引き寄せやアファメーションなどのやり方でも、取り入れやすい瞑想や思考の書き換えなど推奨しています。


ただこれの何が難しいかというと、「簡単」で「単純」だからこそ難しいのです。

まず「なんだよそれ、わかってるよそんなこと」というようなレベルの事から、毎日コツコツと繰り返し行います。

飽きるとかいう文句はご法度です。簡単で、分かりやすく、取り入れやすい技術をとにかく毎日少しずつでも繰り返し、繰り返し、繰り返しこなして「本物」にしていくのです。

そうしていく内にコツを掴めてきたり、基礎がしっかりしている分応用が利いたり、自分らしさというスパイスも加えていくことができるようになっていくのです。


つまり刃物を研いで鋭利にするように、「自分を研鑽する」ということですね。


絵描きもそうです。
よく「どうしたらそんなに上手になるんですか?」という質問を投げかける人がいます。多くの絵描きの答えは一緒で「描けばいい」としか答えようがありません。

私も同じ意見です。成長したいならすればいい。書けばいい、やればいい。これに尽きます。

しかしそう言われて続ける人は実はほんの一握りしかいません。

YouTubeなどで絵がうまくなるまでの軌跡を動画にしている人がいますが、基本的に年単位での時間をかけています。

毎日コピー用紙一枚に描くことから始めましたとか、デッサンを繰り返しやってましたとか、とにかく何かしらの行動を起こしているのですね。



なにがあれかって、現代人はこれが大っ嫌い(笑)(現代人と一緒くたにしましたがもちろんそうでない人もいます)

なぜだか、「簡単だからぜひやってみて」「一日10分でも15分でもいいから」ということでさえも時間が無いと言ってやりません。

ストレッチ、筋トレ、ウォーキング、お絵描き、文字書き、瞑想、呼吸法、アファメーションやイメージング…分野問わずすべてにおいて毎日の小さな行動を惜しんでいるのです。

もちろん、その原因としてホメオスタシスという脳の機能の一部も関わっているのですが、その脳機能の癖さえも打破させるために必要なのは「本人の意思」です。

これは他者がどうこう言葉で言ったところで変わりません。


【風の時代の軽やかさの誤解から抜け出して…!】

風の時代は「軽やかさ」「自由」を前面に押し出してきています。

しかし過去の記事でもお伝えしましたが、風の時代の本当の姿とは「溢れる情報の海から自分にとって有用な情報を自分で取捨選択する」「取捨選択した情報を使って“自分”を生きる」という時代です。

視点を変えて言うなれば、自由に対する責任を自分でしっかり負いましょう。ということにもなります。

自由とは何をしてもいい、ということではありません。

いや、自由だからこそ「何をしてもいい」のかもしれませんが、自分のとった行動の未来がどんなものであっても受け取って自分で処理しましょうね、という自然の摂理としてひどく「当たり前」な「簡単」さがあるのです。


そんな時代が今、始まろうとしています。

いや、もう始まってますよね。セルフケア、セルフイメージ、セルフサービス。

「自分の機嫌は自分で取れ」というようなことが常識になる世界がやってきています。



【承認欲求では根本から心を満すことはできない】


絵資さんのSNSのアカウントを「自分の」と偽る。

最高にビックリしたエピソードで、とある絵描きさんがお酒のおいしさをツイッターに呟いたところ、「このアカウントは友達に私がやっていることになっているので、誤解を招くようなことは控えてください」と忠告するメールを送られてきた話とかもありました。

今度はAIが勝手に描いてくれるという機能を用いて、憧れの絵師さんの絵をコピーしAIに覚えさせて絵を描かせ「私が描きました」と発表している始末です。


では何故このような事が起きるのか。

だいたいの人が頭では理解しているかもしれませんが、こういった行動の根幹には「承認欲求」というものが潜んでいます。


大勢の人に認められたい。

たくさんの人にチヤホヤされたい。

モテたい。

目立ちたい。

現在おおいにアニメ界を賑わせている「異世界チート作品」もそうでしょう。

(異世界チートものとは様々ありますが、代表的なものは現世で亡くなった人がゲームや漫画の知識を保持した状態でその作品に転生し、更に神様からチート級の能力を授けられ、記憶や能力を振るって向かうところ敵なしというような無双する作品です。生まれつきチートなので修行などする描写は殆どありません)


「承認欲求」とは一種の麻薬です。

麻薬の快感はその一時だけしか持つことができません。時間と共に薄れていきます。

そうしてまた新たな刺激を求めて偽りを重ねたりしていくわけです。

因みにこの麻薬の依存にも似た現象は、スマホやパソコンをいじってネットサーフィンをしたりSNSを見たりしているだけでも似た現象が起きています。

ダイエットでなかなか唐揚げやてんぷら、ポテトチップスなどが止められないのも高温の油で揚げられたものには人を依存させる物質が生まれるのだそうで、美味しい、食べたい、もっと欲しいと繰り返してしまうのですね。


依存はやがて癖になり、癖とはその文字のごとく「辞められない病」でもあります。


「今」の力量を理解して工夫する人。

自分と向き合い、対話を重ねる人。

自分らしさを知る人。

自由を謳歌できる人。

自分のある人。

こういった人がぐんぐんと前へ進んでいく時代が「風の時代」です。

自分が分からず、かといって向き合いもせず、人のものを使ったとしても自分らしくアレンジすることなく、そのまま「自分」と偽り脚光を浴びる「承認欲求」は、この先の時代もしかしたら大変苦労する茨の道になるかもしれません。


なにせ「安く早く簡単」な時代が終わるのです。

これからは一昔前みたいに、職人的な「一点もの」が活躍するような波が来ることでしょう。

服も靴も文具も生活用品も、趣味や嗜好品でさえも「たまの高級品」になり、一つひとつの物を大切に大切に長く使い、事象も熟考し考察しよく考えて行動するような時間の使い方になるやもしれませんね。

そうなってしまえば置いていかれるのは「自分のことが分からない人」です。

何が好きで、何が嫌いで、何が趣味で、何が夢なのか。

自分自身と向き合ってこなかった人が道に迷うことになってしまいます。

このnoteでは「自分と向き合う大切さ」「考えることの大切さ」「単純なことの繰り返し(基礎)」などの大切さを伝えています。

お暇な時間があるときにでも是非とも参考にしてみてください。


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※「自分のことがわからない…」

そんな悩める人向けのサポートサービスを展開中です。

現在編集などで「認識の変更」「自分を知る(占い含む)」などのサービスはひっこめてますが、ココナラさんでは遠隔ヒーリング+霊視を用いたメンタルケアサービスのみを公開しています。

私の真の目的は、最終的に占いや霊能力にという「箔」に振り回されず、自分の想像した理想の世界を現実に反映させることができる、そんなメンタルつよつよな人を増やすことです。


占いも霊能力もあっていいです。

私だってその術を使ったりします。

しかし、それに依存しないという領域まで自己研鑽し強くなっていきましょうね、ということです。




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