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心の浄化週間 ~DAY1~

[あらすじ]
仕事に悩み、診療内科で適応障害と診断され休暇をとった女。
日常(生活)と非日常(小旅行)を繰り返す7日間で女の心に起きる変化。
お日様はいつも地球を照らしている。

[本文]
今日から1週間、仕事は休みだ。
通勤時間を少し過ぎた9:30頃自宅をでて、京浜東北線に乗り上中里駅で降りた。
旧古河庭園の洋館を見たくなったのだ。
改札をでると刺すような日差し、真っ青な空。
今日は梅雨の晴れ間。じりじりと照らす太陽を日傘でなんとか遮り、ゆるやかな坂道をサンダルとワンピースという軽装で登ってゆく。

旧古河庭園入口で入園料をピッと払い、砂利道を洋館へむかって踏みしめる。
人はほとんどいない。カメラを持った白髪の男性がバラ園の方へ曲がるのがちらっと見えたが、私の主な目的は洋館だ。
アラフォーになってからの趣味が洋館巡りだ。ここ数年すっかり足が遠のいていた。はじめに洋館の魅力に取りつかれたのが、旧古河邸からだ。
初心に戻りたくて、今日ここに来たのだった。

HPには7月から外壁塗り替え工事が入る、とあったので不安ではあったがまだ工事前のようであった。確かに窓枠から水垢なのか、鉄錆なのか、赤黒い筋が垂れ下がっていて、そろそろメンテナンスの時期なのだろう。
前回訪れたのが7年前だったが、ほとんど変わらない佇まいであり、丁寧なメンテナンスが施されているのを見て安心した。
洋館は人々に愛され手入れされることにより、得も言われぬ気品を漂わせるものである。

旧古河邸

私がもっとも旧古河邸のパーツで萌えるところは、サンルームと玄関の車寄せである。まずはサンルームを外から鑑賞。床面のモザイクタイルのグリーンと白のコントラストがエモい。そして浪漫を感じる車寄せ。まずはじっくり外観を堪能したあと、バラ園へ。

バラは見ごろが過ぎているものの、いくつか花をつけていた。前庭の階段をおりると仄かにバラの香りがしてきた。くんくん。どの花が香りが強いのか嗅いでみた。近くに人がいないのを確認し、バラの花まであと10センチというところまで顔を近づけてみる。ローラアシュレイNo.1を彷彿とさせる香りが鼻を擽る。琥珀色に小花模様の瓶に惹かれ、19歳の頃初めて手にした香水だ。
香水かぁ、もうずいぶんつけていないな、と思う。

緑に誘われ池の方へ降りていくと、女性の庭師が木に梯子をかけていた。庭木の手入れもしっかりやってくれているから、7年前とまったくかわらない姿で迎えてくれるのだろう。暑いのに頭があがらない。庭師の邪魔にならないよう、ささっと通り越して池の方に目をやると、青もみじの葉がトンネルのように覆いかぶさってきて、見上げるとその葉のみずみずしさと青い空のレース模様にしばらく足を止めて見上げてしまった。

あらためて眺めるととても素晴らしい枯滝や雪見灯篭。その配置は考えつくされていることが一巡してみてよくわかった。以前来たときは、その美しいさに気づけなかった。

旧古河庭園 日本庭園

旧古河庭園を後にして、徒歩で飛鳥山公園へ向かうことにした。なんとなくグーグルマップをみて緑のある方向に歩きたかった。
日差しがギラギラ照らす中、家からもってきたペットボトルのお茶をがぶがぶ飲み、日傘に隠れながらゆっくり歩いた。
飛鳥山公園に裏側から入るかたちになった。いくつかの建物があり、渋沢史料館と書いてある。話題の新1万円札になったあの渋沢栄一の旧別宅跡が史料館になってるらしく、なんの前知識もなく話題スポットに辿り着いたのは、あてもない散歩に意味が与えられたようで嬉しくなる。

公園内の案内板を眺めていたら、公園内にレストランがあるらしい。よく歩いたので久しぶりに空腹を感じた。あまり期待せず向かうと、真新しいイタリアンレストランであった。
パスタに奮発してCセット(かぼちゃスープとサラダとドリンク付き)を注文した。
プチプチの歯触りが楽しいとびっことイクラとサーモンのパスタ。
上にかかったローズマリーの濃いかほり。
甘いリンゴジュース。リンゴジュースってこんなに甘かっただろうか。
サラダもスープもとても美味しい。2500円。
ぼっちランチにはちょっと高いがこれは自分へのご褒美。ちょっとだけ家族の顔が浮かぶ。
職場の休憩室で食べる、朝キッチンでにぎった若菜ふりかけのおにぎりはなんの味もしなかったな、とふと思う。
リンゴジュースを一気に飲み干し、冷え冷え感がお腹の隅々まで行き渡るのを確認してから席を立つ。
「今日は暑いので、熱中症にお気を付けください」お店の方の声かけが嬉しい。
店の自動ドアをくぐると、ジジジジっと今年一番のセミの声。

渋沢史料館

渋沢史料館に駆け込む。涼しい。生き返る。
史料館は渋沢栄一のたどった人生がよくわかる展示になっていた。印象的だったのは日本の名だたる民間会社の創立にかかわっていたことと、91歳まで生きたその老後が孫・ひ孫にかこまれてとても幸せそうであったこと。人徳なのだろう。
写真や映像などの資料が残っているので、大正・昭和初期の様子が白黒セピアで逆に生き生きと蘇る。優しいお爺さんだったんだろうな。ふと葬式に参列することが出来なかった母方の祖父の笑顔を想いだした。

帰りの京浜東北線で、よしっ残りの6日は津田梅子・北里柴三郎のゆかりの場所を巡ってみよう、とググってみるのであった。
検索窓をタップすると、適応障害・うつ・パワハラと、前に検索したワードがずらりと並び目を瞑る。
明日も晴れるといいな。


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