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心の浄化週間〜DAY6〜

面談のとき、上司のくれた言葉を思い出す。
「仕事の事、一旦なにもかも忘れて心を真っ白にしてみるのもいいんじゃないかな。1週間でもいいから、心を浄化してみてごらん。」
黒く染まった心は、グレー色くらいになっただろうか。 

今日の空は雲が多く、お日様が隠れている。
品川で総武快速(横須賀線直通)に乗り換えた。
千葉方面へ向かう。
旧神谷傳兵衛稲毛別荘に行くのだ。
牛久のシャトーカミヤは行ったことがあるが、こちらの別荘は初めてだ。
神谷傳兵衛は日本のワイン王といわれた実業家で、電気ブラン(ブランデー)を販売し富豪になった。

京成稲毛駅に降りたった。風が強い。
スマホで位置を確認すると稲毛公園の向こうに目的地がある。
公園の前の住宅街が袋小路になっていて、なんども後戻りしながらやっと迷路を抜け出し、公園の松林が見えてきた。
小高い丘になっており、そこかしこに松ぼっくりが転がっている。
この松林の向こうは昔は海だった。
今は海岸線は国道のさらに向こうに遠ざかってしまっている。
防風林の面影がある松林を抜け、坂を下ると神谷別荘が見えてきた。
眼下に広がる国道に海の風景を重ねてみる。

旧神谷伝兵衛 稲毛別荘

大正7年に建てられた、初期の鉄筋コンクリート建築で関東大震災でも崩れることなく今に残ったそうだ。日本庭園と西洋式テラスがあり、中は和洋折衷で大正モダンを感じられる。
2階に女性と子供2人が犬を連れている大きな写真が展示されていた。
『愛新覚羅溥傑の妻子』とあった。
なぜ、愛新覚羅溥傑がでてくるの?と思い答えを探すと1枚のパンフレットに目が止まった。
~海辺の記憶をたどる いなげ八景散策マップ~
清国ラストエンペラーの弟、愛新覚羅溥傑の仮寓がここから徒歩5分のところにあると書いてあるので行ってみることにした。

愛新覚羅溥傑 仮寓

稲毛浅間神社の横にその仮寓があった。見学ができるようなのでお邪魔することにした。
中は普通の日本家屋で、祖父の田舎の家みたいだなと思った。
祖父は内房出身だ。2回ほど連れて行ってもらったことを思い出した。
清国皇帝の弟家族の質素な住まいが、神谷別荘の豪華さを際立たせる。
写真がたくさん展示されていて、様子がよくわかる。溥傑の妻は嵯峨家の浩姫だそうだが、お姫さまはこの質素な住まいで何を思ったろう。
実業家が台頭し、華族が没落する時代をきりとったかのようである。

帰りは京成本線で上野に1本ででることにした。
帰り道はいろんな乗り換えルートがあるが、上野は職場がある駅なので、このルートを怖がらず選択したら、自分にご褒美をあげようと思っていた。
ご褒美とは、大好きな旧岩崎邸庭園に立ち寄ることだ。
車窓からスカイツリーが見えた。行きは総武線だったので錦糸町あたりからスカイツリーを北側に見ていた。帰りは堀切菖蒲園から逆に南向きに見下している。

スカイツリーの背景の空は、息子が書いた「くじら雲」の水彩画のようだ。
くじらの雲にのってジャングルジムに帰ってきたみたいに夢から覚めるような気持ちがしてくる。
「次は終点、京成上野、京成上野。」と女性の機械音声が聴こえる。
ディズニーランドのスペースマウンテンのように暗闇に突っ込む。
ゴゴゴゴーッと、ものすごい音が耳をつんざく。
ガタンッとブレーキがかかり、またゴゴゴゴーッとカーブする。
減速してきて、ようやく駅に停車した。

京成上野駅の不忍池近くの出口にでた。
この辺りは目を瞑っていても歩ける。
不忍池はこの時期、蓮が生い茂っていて池の水が見えないほどだ。
私の背より高い大きな葉をつけて、ピンク色の花が咲いている。
風が強く蓮の葉がざわざわ揺れている。
池のデッキに吊るしてある風鈴が音(ね)を上げている。
上野公園在住の浮浪者風のおじさんたちがランニング姿で寝そべっている。
ここは地獄か極楽か。 

旧岩崎邸庭園


旧岩崎邸庭園に着いた。
明治29年にジョサイア・コンドルの設計で建てられた洋館で、イギリスのルネサンス様式やイスラム風モチーフ、列柱はイオニア風、そして和館も巧みに配置されており、日本だから挑戦できたともいえる世界でも稀有の建築だ。
岩崎彌太郎の長男で、三菱財閥の3代目社長久彌の本邸として建てられた。
地下でつながる通路がある別館の撞球室(ビリヤード場)もあり、わたしのなかでは ❝The KING of 洋館❞である。
ご褒美をじっくり堪能し、帰宅の途についた。


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