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καταστροφη

水や炎がのぼるところまでのぼったあとはあふれたりもえつきたりすることと似た静けさ、このまま最後まで貫きとおそう。ひともじぶんも傷つけていないのだったらなにをしたっていい。ひともじぶんも傷つきやすい手段しか残されていない不自由な現在が気持ち悪い。でもそのままでわたしは充分に生きていこうと決意した。同時にいま死にかたが決定した。 わたしが説きたい言葉をすべて裏返しにしてべつの道徳を汚い字で書きくだされた、同じ手が神の御手として始終このからだを愛撫しつづけた、汚れた器を清浄にした

    • だからできなかったことをできるようにならなくちゃいけない、ゆるさなくちゃいけない、生きなくちゃいけない、都合よく考えなくちゃいけない、謝らなくちゃいけない

      • 届け言葉

        正直にいうといま目の前にいる人に届く言葉は言葉じゃないとさえ思うときがある。これはよくないとおもう。たぶんたまたま私の周りには音楽や絵や表情や仕草で、言葉よりもっと伝えられる人が多いので、そう思ってしまう。じぶんの手柄のようにしてしまう。 もう届かない人に届いたときはじめて言葉にしかできないことができたと思えるとおもう。もうなに言ってるんだろう、はやく風呂に入れ……。 怖いこと、あらゆる暗い孤独に弦をひきつづけている、めちゃくちゃに撃ちつづけているこのなかの一条だけが光と

        • いま

          ここには爆弾も落ちないし まじめにさえしていれば きっと飢えることもない。 ニュースを造る人、記事を書く人は 怖いニュースが大好き。 みんな怖いニュースを知りたがっているの? だれがそんなに? なにもみたくない。 そういう人じゃないひとたちへ、 造っているのではない人たちへ、 創っている人たちへ、 友人の個展のお報せを打つ。 人間を人間たらしめるものを 善く共有したい。 あの人にも送った。 一緒に行きましょう、ではなく、 予定が空いていたら行ってください。 あなたが、行

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        記事

          てりやき

          ランダウリフシッツくんの本名は山田(仮名)という。 ランダウリフシッツくんの家と私の家とは敷地の角が接していた。入り口が反対を向いているので会いに行くにはぐるっと回らなければいけなかったが、それでも徒歩30秒で会える距離にいた。 ランダウリフシッツくんとは小一の入学式で会った。 ランダウリフシッツくんの若くて美しいお母さんと私の母とはそのさらに20年ほどまえから面識があった。それも彼と私が懇意になった理由のひとつである。 ランダウリフシッツくんとは小学生のころよく冒険を

          てりやき

          ちぎれたもの

          ブレーキを握ったら右手になにか違和感があった。え?とおもって怖くて手を離した。足をついて停止。 え?とおもってもう一度握った、妙な手応えがある、このかんじはなにかに似ている。え?とおもった。また握ると、似た感覚を想起した、ニッパを握ったときだ。え?と思ってゆっくり握りしめるとぷつんといって、ブレーキレバーとブレーキとを繋ぐワイヤーが切れた。いい天気だった。 夜になって自転車を家まで連れて帰ると急に悲しくなり48時間寝た。 おさななじみのランダウリフシッツくんから連絡 「

          ちぎれたもの

          バスキン

          知人がサーティワンアイスクリームのことを「バスキン」と呼んでいて……………………………………正直に言うとすこし怒っている。はんぶん冗談だが許さない。 サーティワンアイスクリームのことをバスキンロビンスと呼ぶ人自体に怒っているわけではないし、呼び方なんて人それぞれでいいよね、♡、そういう人というのは海外にバックボーンがあったりしますから、バスキンロビンスのほうが馴染みがあるのでしょう、馴染みのあるほうで呼んだらいいのです。たしかにサーティワンって変な話ではある。 その知人は

          バスキン

          いいことがあるよ!

          たべっ子どうぶつTimeというものに気づいた。 たべっ子どうぶつのパッケージに描かれているキャラたちが登場するパズルゲーム。 ここ数年たべっ子どうぶつのグッズ、イベント展開をよく見かけるようになり注目はしていたが、このアプリに関してはすこし、おや、とおもうところが散見される。 しかしコンテンツというものは大きくなればなるほど無邪気に楽しむだけでは済まなくなってくるのが常。私も子どもではないから、ただたべっ子どうぶつのかわいさのみに精神を集中させることで、このアプリの表現し

          いいことがあるよ!

          コーヒー

          朝ごはんなにたべましたかと保育士に聞かれて「コーヒーだけのんだ」と答えたら連絡帳に「朝ごはん食べさせてあげてください」と書かれちゃったよ、と母に言われた。わがやでは小さな頃からコーヒーをのまされた。兄弟全員が、です。 そうして育ったわけだが、最近もしかしてコーヒーが溶媒となって摂取されるカフェインという物質が私の体にあまり合っていないのではないかと思うようになった。 そう意識するようになったのは数年前のこと。 ソウルメイトことツラちゃんが電話で教えてくれた。 「私はカフェ

          コーヒー

          わたしのほうがかわいいからええか

          春がきたのに枯れたあとの土ばかり見ていた。これからひらく芽のほうはどうなる。 知らない人から最初からすこし嫌われている。勝敗のあることに負ける。そんなに悪いことをしていないのにすごく怒られる。 さいきんたまたま運が悪かった。 運というものはとても都合がいい。 ほんとうはじぶんの行いの少しずつが因果応報などという宗教的な意味合いではなくもっと現実的な意味で返ってきているというか、結果があるだけなのだ。 私が好かれるような工夫をしていないから嫌われるのだし、勝敗のあること

          わたしのほうがかわいいからええか

          応募

          新品の白衣、まえかけ、帽子、靴が用意されていて、名乗っていないのに名前で呼ばれた。ふつう、本名では呼ばれないので、驚いた。肉にラップをかけたり、値段をつけたりした。言われたところに言われたとおりに肉を並べた。それだけなのに全員から歓迎され、感謝された。 どこから来たのか、ほかにはどんな仕事をしているのか、どんな仕事が一番たのしかったか、どのようなシステムで私に報酬が支払われるのか、どういうふうに募集があってどういうふうに応募するのか、きかれた。そのお店では私のような応援者は

          さくらがさくとなんで? とおもう なんで? きれいなものがすきなのなんで? なんで? きれいだとおもうのはなんで? みんなでおなじものきれいっていって うれしいな ひとりじゃなくてうれしいな ことばはつうじないかもしれないけれど さくらのまえではすこしだけ みんなおなじきもちのきがする ありがとう

          カービィ、ドーナツ

          なにかこうふわふわ、ぽよぽよの 3月のおわりにしてはざらざらの、 ぐるぐるおなじところをめぐるだけの 文字みたいな音みたいな まほうみたいなかたちのないもの あらわしようのないこれのこと 信じているけどそれはべつに わるいことじゃない 花のようなかおりがしたあとほっとする むかしからこのじき、 にがいような、しぶいような あじがたまにする あじというか あじみたいなかんじがする これはなんなんだ しかしあったかなかったか わからないほどの一瞬なので べつにいい こたえはさ

          カービィ、ドーナツ

          アンパンですらない

          ガムやチョコレート等の菓子類は1ロットが細かいため、様々な商品が折りたたみの箱に詰めあわされて店に届きます。箱は8つずつ台車に載せられた状態でトラックで運ばれます。トラックが店に到着すると荷台から台車が降ろされ、駐車場に一旦並べて置かれます。 この降ろされたあとの台車が、ある日の暖かな春のひざしのなかに2時間ほど放置されました。本来はすぐ屋内に取りこまれるはずの台車です。 結果アンパンマンチョコレートが溶けて、プラスチックのパッケージのなかで液体になっていました。さまざま

          アンパンですらない

          悲しみは自己責任

          だれもが向き合うべき普遍的悲しみをどのように克服していこうかということが物心ついたころから考えの根底にあった。それは私の脳のつくりがもとからそうだったということもあれば、それ以外の環境的な要因もあった。しかし誰のせいでもない。たまたまそうだったということなので、だれのことを責めるつもりもない。だからなおさら悲しい。 いま、書く以外にどうしようもなくて書いている。だれかに話すにはどうしようもなさすぎるし、弱い自分をかわいそうと思いたくもない。書くという行為は内省と表明を同時に

          悲しみは自己責任

          つらいひ

          気持ちも体の一部である。体が外界の影響を受けてよくもわるくも動きを変えるのだから気持ちだってそれであたりまえなのに、簡単には納得できない。 踊りだしたいようなときだってあったのに、しかもそれはなにかいいことがあったというわけではなくて、なにもなくたって朗らかな気持ちのときだってあったのに、どんな悲しいことがあったって今なら平気だと思ったのに、数日後の今、いや、昨日の今日といってもいい、もし悲しいことが起こったらどうしようとばかり思うし、孤独だし、生易しい共感ばかりを求めてし

          つらいひ