白い酒

川沿いに建つマンションに吹き抜けの階段がある。その4階の踊り場に、子供を抱いて雨を見せている父親がいた。今さっきやんだ雨、遠くまで続く雲、ゆっくり閉塞していく町並みを見せているのだと思った。高いところから落ちたら死ぬ。でもお父さんがいるから大丈夫。

通り過ぎたあとで、あの父親が見せていたのは、同じ高さを走るこの電車だったと気づいた。私が乗っているこの電車を指差していたのだと気づいた。

いまはもう友人とも知り合いともいえない人のところにも子どもができた。彼らがラインの部屋で胎教についての話題で盛り上がっているのを私は返信はせずにただ読んだ。

仕事終わりの人は仕事が長引いて少し遅れた。以前メリさんがそうしていたように、信号を渡ってすぐのドラッグストアに入って待つことにした。急に必要なのを思い出して、消毒用のアルコールとフェイスパウダーを買った。それからすぐ彼も到着した。

仕事終わりの人と仕事終わりに会うのは初めてだったので、いつもと違うところを努めて探した。ポロシャツを着ている。鞄がいつもと違う。一日が終わって髭が伸びてきている。髪の毛はいつもどおり鳥を飼えそうなくらいぼさぼさだ。

生魚を出している店でえびを食べた。彼はまえに、キシキシカシャカシャした生き物が苦手と言っていた。えびがそれである。それでも一緒に食べてくれた。

白く濁った酒を飲みにいこうといったのに、彼は小麦色の泡の出る酒を飲んだ。僕の頼んだ白い酒は犬に餌をやるときのような、うすっぺらいアルミの皿に注がれて出された。学校給食のイメージのあるアルミの皿だったのだが、人間が食べるものでこの形の皿に入っているものは見たことがなく、犬用の学校給食という感じがした。

隣の駅まで歩きながら、仕事終わりの人がはじめて婉曲ながらもはっきりしたことを言い始めたので、ぼくは意味のわかっていないふりをして、白く濁った酒の器の見えなかった底に、飲み干したらなにか文字が刻まれていたのを思い出した。なにが書いてあったかまったく覚えていない。見えてもつまらないものの場合はまったく覚えていない。それなら見えないほうがむしろ面白い。

急にどうしようもなく思った。たとえお互いの好きなものを知って、嫌いなものも一緒なら平気だったとして、ただすべてを打ち明けあえる友がきとなったとしても、たとえば一生の連理となったとしても、気に入った獣ならだれでもよかったというような行為の犬の器の如き汚れた受け皿になったとしても、どうなったとしても悲しい。

ぼくはただどうしようもない状態にしてよろこんでいるような、浅薄な人間のような気がした。

必ず育てる。絶対に守る。
どうしようもない状態ではない人々。どうにかしなければならない状態の人々。明らかな状態の人々を他の生き物のように見ている。同じ人間なのに。

きのう、こんなことをした。
こんなふうにした。
花を食べた、音をたてた。

酒に酔った日、急に遠くの人に手紙を送った。すぐに返事が返ってきた。近くにいればいいのにと思いながら、この人とならなにも心配せずにいられるのにと思いながら、わけのわからない状態にばかり陥っている、だれの犬でもない犬になる。

お父さんが言っていた。
「お前もちゃんとしてくれよ。変な事件を起こすのは無職ばかりだぞ」

急に世界がゆがんだ。
わたしは変だ、たとえどんなにちゃんとしたって変なのだ。

「そうですね。そうだね。ちゃんとしないとね」

焦っても悩んでも夏は過ぎる。いつからかただだれも悲しませずに過ぎればそれが正解だと思うようになった。病気も、悲しみも、寂しさも、全部過ぎるだけ。だれも悲しませない方法で、自分も苦しくない方法で、とにかく過ぎればいいのだと無意識のうちに未来を決めていた。

六日間の夏休みのはじまり。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻