タンロン

ささやかな日常。

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マガジン

  • 目黒川漂流記

    ある日、会社を辞めた。先の計画はない。どこかにたどり着くまでの漂流記。

最近の記事

起こるべきだが起こらなかったこと

夜中にリビングで本を読んでいたら、いつのまにか寝たはずのせがれが横に立っていた。 おれのTシャツを指差しながら、自分の口に手を当て何度も叩いている。胸にプリントされたインディアンのことを言っているのだ。おれがインディアンの説明をした時にその動作をした。そして「パパ、き」と言って寝室に戻っていった。「き」は好きのことだ。 せがれと長く時間を過ごすようになって以来、やつはおれに直接的な愛情を示すことが増えた。共有する時間のせいなのか、情緒の発達の段階なのかよくわからない。抱っ

    • 単独行

      山にはいつも一人で登ってきた。 一般的に一人の方が事故に遭いにくいと言われている。同行者に合わせず自分のペースで登れるからだ。しかし、事故にあった場合に助かる確率は低くなる。骨でも折ればアウトだし、装備をなくしても借りることができない。 だから単独者は事故を避けるために様々な努力をする。必要な知識を身につけ、自分の力量にあった山を見極め、少しずつ高度の高い山に挑戦する。天候が崩れそうならはるばるやってきても登山を諦める。「多分なんとかなる」とは考えないのだ。 そうして万

      • 川の流れのように

        目黒川を眺めている。 川の流れのように、続きはなんだっけ?目黒川を見ていても特になんの感興もわかない。コンクリートの間を浅い水が流れているだけだ。川が見たいわけじゃなくて、疲れ切って座っている目の前を川が流れている。 おれの育った街にも川があった。染物工場から垂れ流される排水でいつも不思議な色をしていた。紫だったり、ピンクだったり、見かけるたびに色が違った。とにかく工場ばかりの街だったから、他にも色んなものが流されていたのだと思う。ケミカルな色水に死んだ魚がよく浮かんでい

        • カメラと

          人は写真に目覚めると夜の公園を撮る。 あとは自分の影とビルの間に見える空。おれも昔そんなのを撮った。最初に買ったカメラはコニカのビッグミニだ。単焦点のコンパクトカメラでオートフォーカスがついていた。荷物にならずにどこにでも持っていけることと日付が入れられるのが気にいっていた。 ヨーロッパでバッグパッカーをしていた頃、このカメラでよく写真を撮った。道に落ちている靴とか、公園の鳩とか、何の記念にもならないがアホな若者だったことがわかるだけの写真だ。 日本に帰ってきてニコンの

        起こるべきだが起こらなかったこと

        マガジン

        • 目黒川漂流記
          17本

        記事

          ハスリングライフ

          湯島聖堂で馬を散歩する人を見た。 会社から金をもらうのをやめたらどうやって食っていくのか?考え方のひとつはハスリングである。非合法に金を稼ぐ人たちをハスラーというが、別に法に触れることをやろうというわけじゃない。やり方を真似るのだ。 彼らは人に会い、話の中で儲かりそうなことがあればそれに乗る。内容は強盗やドラッグの販売だったりするのだが、情報を得て自分の責任で商売にしていく。つまり、最初からビジネスプランがあるわけではないのだ。 おれも人に会い、金になりそうな話を探して

          ハスリングライフ

          雨とキャンプ

          キャンプ生活をしていた頃、雨が苦手だった。 朝、しめった靴下にもう一度足を通す。小さな不快感から一日が始まる。雨の中で濡れたテントをたたみ、リュックに詰める。どう気をつけてもリュックの中の何かが濡れる。歩き出せばレインコートに包まれた身体はあっという間に汗まみれになり、曇った眼鏡と足場のせいで予定の半分も進むことができない。おれは雨が降る度に悪態をついた。 数日にわたって雨に降られ続けたある日、おれはこう思った。「雨は雨の都合で降っている。おれの都合に合わせて降っているわ

          雨とキャンプ

          月蝕

          前職の同僚と神泉の飲み屋に。 ちょっと外れにあって、うんちくの効いた酒があり、うんちくの効いた飯が出てくる。料金はやや高い。隠れ家的店ってやつだ。東京には隠れ家なんとかが山ほどあるが、客は一体何から隠れているのだろう。 おれは一日レンタルオフィスにこもっていたせいかどうも冴えず、話を向けられると曖昧に答えるという感じだった。どんな本を読むのか?と聞かれたが、まじめに考えたら何でも読むとしか答えようがない。相手は会話のきっかけに聞いているのだから、適当なジャンルか作家で

          キドキド

          色々あって、子守ばかりしている。 武蔵小杉まで電車で30分。グランツリー武蔵小杉は子連れファミリーの人工楽園だ。フードコートにアカチャンホンポ、洒落た洋服屋と雑貨屋で大人の物欲も満たすことができる。 ガキンチョはボーネルンドがやっているキドキドで遊ばせる。ボールプールや空気で膨らませたぴょんぴょん跳ねるマットがあり、おもちゃもてんこ盛りだ。両親のどちらかが付き添って、もう片方は買い物をする。 キドキドは休みに来るとガキが佃煮にするほどいる。そこら中を小さいのが走り回り

          キドキド

          公園療法

          おれの一生は放浪の陶酔に蝕まれてきた。 終わりのない旅の、あの胸の高まりと不安、独り言をつぶやく夜とそれに慣れていくこと。移動が手段ではなく目的になり、旅と自分を一つにする、そんな不可能な妄想にとりつかれる。 世界中の路地裏でみたゴミ貯めで暮らす人間たち。名前のない湖の圧倒的な静寂、化け物みたいな大きさのキノコ、足元の氷から顔を見せる死、全てがおれを放浪の中毒者にした。職を得てもそれらの風景がフラッシュバックした。だれかを喜ばせるだけのための会議の最中、おれの心はいつもそ

          公園療法

          焼肉幼児

          せがれの指の二、三本は焼肉でできている。 毎週週末のランチは焼肉だ。焼肉定食の肉大盛り。同じ店の同じメニュー。離乳食が終わって以来だからもう一年以上になる。 せがれが付け合わせのナムルを食っている間に手早く肉を焼く。借りたハサミで肉を細かく切り、ご飯に乗せる。わかめスープをそいつにちょっとかけてやる。せがれはまずご飯の上の焼肉を指でつまんで平らげ、スープをすすり、最後に飯を食べる。 肉を食っているせがれは幸せそうだ。何口か食う度に歯をむき出しにしてにやーっと笑う。人間は

          焼肉幼児

          家路

          川沿いの道を歩いて帰る。 事務処理やら今後の計画やらで一日過ごし、少し早めに家路に着いた。妻子から見ればおれは朝出て行って夜帰ってくる、先週までと変わらない。「パパお仕事行ってらっしゃい」と出かける時に妻がせがれに言った。 たしかに一日キーボードを叩いているのがおれのこれまでの仕事で今もそうしている。だが金を稼いでいないのに仕事と言えるんだろうか。歩きながらそんなことを考えた。 ほとんどのサラリーマンの仕事は直接お客から現金をもらうわけではない。一日働いたことの何が自分

          中目黒ドンキの水槽前で

          気がつくと随分長く水槽の前にいた。 この街に越してきたのは2年前だ。せがれが生まれてエレベーターなしの4階では暮らせなくなったからだ。おれは住む場所などどこでもよかったのだが、職場に近くそれなりの広さという事でここになった。 緊急事態にすぐに帰れるようにと妻に言われた時、どんな緊急事態があるのかおれには想像もつかなかったが、実際にそれは起こった。何回も。 緊急事態の度におれはドンキまで歩いて買い出しに行った。車は持っていないし夜中にバスは走っていないからだ。たいていおれ

          中目黒ドンキの水槽前で

          せがれと児童館へ

          毎週水曜日はせがれと過ごす。 飯を食いに行くか?と聞くとせがれは首を縦に振って「うんー」と答える。最近覚えたやり方だ。こちらの言っていることは大体わかるのに話せる言葉が少ない。結構もどかしいだろう。 近くのビジネスホテルのランチバイキングに行く。2歳児は金を取られないので二人で千円だ。サラリーマンで混む時間を避けて11時半に着いたが代わりに老人で賑わっていた。せがれはディナーショーの歌手のように各テーブルを回って愛想を振りまく。反応があったりなかったりする。老人が全員子供

          せがれと児童館へ

          中目黒の光明泉

          飲み会まで時間があったので銭湯に寄った。 中目黒の光明泉。駅から近く清潔な銭湯だ。せっかくだからサウナもつけた。どの銭湯でも渡されるサウナ用の鍵をもらって中に入った。早い時間なので結構空いている。思ったより若者が多い。若者の間では今ちょっとしたサウナブームのようだ。安く楽しめる非日常感があるのだろう。それに疲れもとれる。 上京して最初に住んだ部屋には風呂がなかった(二番目に住んだ部屋にも三番目にもなかったのだが)。実家にいた時は銭湯に入ったことなど一度もなかったから、初め

          中目黒の光明泉

          初出勤

          渋谷のレンタルオフィス、1時間300円。 先週まではオフィスに行くと金がもらえたのに、今日からは金を取られる。やってることは変わらないのにおかしな話だ。 このレンタルオフィスは会員になると都内にある数カ所がどこでも使える。便利なようだがおれは実質渋谷しかつかわない。誰とも打ち合わせがないからだ。東横線に乗って朝からやってきたがまだ誰も来ていなかった。 オフィスの内部は漫画がない漫画喫茶だと思ってもらえればいい。プラスチックの丸テーブルがおいてあり、好きなところに座って仕

          起きたら妻子がいなかった

          会社員時代、おれはいつも早起きだった。 海外との電話会議がたいてい毎朝入っており、寝ている妻子を起こさないように家を出るのが習慣だった。そのせいで早起きの癖がついた。土日も無意味に早く目覚め、時間を持て余すのが常なのだ。 今日、起きたのは昼の12時だ。昼まで寝ているなんて何年ぶりだろう。辞める段取りで疲労がたまっていたのかもしれないが、辞めなくてもいつも疲れていた。気が抜けたってやつかもしれない。家には誰もいなかった。リビングのテレビはついたままで、ディズニージュニアが流

          起きたら妻子がいなかった