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カメラと

人は写真に目覚めると夜の公園を撮る。

あとは自分の影とビルの間に見える空。おれも昔そんなのを撮った。最初に買ったカメラはコニカのビッグミニだ。単焦点のコンパクトカメラでオートフォーカスがついていた。荷物にならずにどこにでも持っていけることと日付が入れられるのが気にいっていた。

ヨーロッパでバッグパッカーをしていた頃、このカメラでよく写真を撮った。道に落ちている靴とか、公園の鳩とか、何の記念にもならないがアホな若者だったことがわかるだけの写真だ。

日本に帰ってきてニコンのNew FM2を手に入れた。知り合いのものを安く下ろしてもらったのだ。レンズを買う金はなく、本体と一緒にもらった50ミリの単焦点レンズ一本しかもっていなかったので、システムカメラの意味はなかったが、マニュアルで撮影する楽しみを覚えた。その頃は友人たちの写真をよく撮った。ズームがないから歩いて近くに行かなければアップが撮れない。人との距離も写真に残った。

今はほとんどスマホで撮る。凝った構図も光の加減も考えない。ポケットから出してシャッターのボタンを押す、それだけだ。作品でも記念でもなく、単なる記録。決定的瞬間でもない日常の無造作な断片にどんな意味があるのかというと、何もない。意味があるのは写真より、撮ることそのものだと思う。

生活に訪れるふとした空白の瞬間にスマホを取り出してシャッターを切る。それが日々の句読点になっている。何かを見つめるということが心を鎮め、次の行動に備えさせるという気がする。無職になって撮る回数が増えたかもしれない。

#日記 #コラム #エッセイ #写真 #カメラ #無職

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