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キドキド

色々あって、子守ばかりしている。

武蔵小杉まで電車で30分。グランツリー武蔵小杉は子連れファミリーの人工楽園だ。フードコートにアカチャンホンポ、洒落た洋服屋と雑貨屋で大人の物欲も満たすことができる。

ガキンチョはボーネルンドがやっているキドキドで遊ばせる。ボールプールや空気で膨らませたぴょんぴょん跳ねるマットがあり、おもちゃもてんこ盛りだ。両親のどちらかが付き添って、もう片方は買い物をする。

キドキドは休みに来るとガキが佃煮にするほどいる。そこら中を小さいのが走り回り、泣き、おもちゃを投げている。勤めている頃、何度か週末に来た。おれはもちろん買い物をしない方だ。走り回るせがれを見失わないようにおれも同じくらい動き回る。ただ疲れるだけでなんの得もない。周りでは同じようなオヤジが何人も放心していた。ある日、おれはもう二度とこないと宣言し、それ以来足を運んでいなかった。

久々にやってきたのはアカチャンホンポに用があったのと今日が月曜日だからだ。用だけ済ませて帰っても良かったのだが、店の前のベビーカーの数はたいしたことなかったし、妻の買った回数券みたいなのも持っていた。

平日のキドキドにおれのようなオヤジはいない。無職も1週間すぎてだんだんわかってきたが、昼間の子育て空間にはおれの知らなかった女だけの世界が広がっているのだ。

着ていたポロシャツがたまたま店員の着ているのに似ていたせいで、何度も母親たちに声をかけられた。訂正するのも面倒なので、ジュースはあっちに売っているとか、おむつはどこで替えろとか、知っていることは答え、わからないことを聞かれたら店員を呼んでやった。

たいていの母親たちは社交的でグループを作って話ながら子供を見ている。一人で来ている母親は子供にぴったりとくっついて一挙一動を凝視している。せがれのおもちゃを取った子の母親は後者のタイプだった。

すいませんすいませんと謝る姿に疲労と消耗を感じた。ひとりで子育てすることをワンオペというらしい。しかし、人間はそもそも集団で子供を育てるように設計されているのではないか?

都市は人の単位を細分化し、生活に不足する労働力は金で外注するようにできている。飯を作ったり掃除をしたりはそれでいい。だが子供を育てることに関しては都市が提供するリソースはあまりに貧弱だ。そしてワンオペの母親に負担を残す。キドキドは少なくとも平日の昼間に母親たちに何かを提供しているとおれは思った。

おれは「まぁお互い様ですから。それにこいつも気にしてないし。」そう言うおれの隣でせがれはビービー泣いていた。

#日記 #コラム #エッセイ #グランツリー武蔵小杉 #子育て #育児 #無職


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