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起こるべきだが起こらなかったこと

夜中にリビングで本を読んでいたら、いつのまにか寝たはずのせがれが横に立っていた。

おれのTシャツを指差しながら、自分の口に手を当て何度も叩いている。胸にプリントされたインディアンのことを言っているのだ。おれがインディアンの説明をした時にその動作をした。そして「パパ、き」と言って寝室に戻っていった。「き」は好きのことだ。

せがれと長く時間を過ごすようになって以来、やつはおれに直接的な愛情を示すことが増えた。共有する時間のせいなのか、情緒の発達の段階なのかよくわからない。抱っこをせがんだり、指を掴んでどこかに連れて行こうとしたりする。

本に戻ろうとして、おれと親父の間にもこんな夜があったんだろうかとふと思った。ガキの頃の記憶はほとんどないが、状況から考えるとなかったはずだ。2歳の頃は親父は一人で出稼ぎに行っていた。一緒に暮らすようになっても、週末以外は顔を見ることはなかったし、中学に入ったら別の家に住んでいたのだから。

ガキでなくなってからも親父に愛情を示した記憶はない。親父に親近感を抱くようになったのは30を過ぎてからで、愛情を表現するには遅すぎる年齢になっていた。親父との関係は同じような孤独と放浪癖を持つ同士といったところだった。

親父の不在を気にしたこともなかった。運動会も学校見学も父親がいたことはなかったが、周りも似たようなもので当たり前のこととして受け止めていた。思い出の写真も記憶も何もない。それが自分の欠陥に結びついていたとしても、もうその欠陥を含めておれだとしか言いようがない。あるものでやってきたし、今後もそうだ。

ただ、それは起こるべきことだったんじゃないかと思う。おれは夜中に親父に愛情を伝え、親父はそれを受けとめる。そんなことがあるべきだった。滅多に見なかったし、思い出すこともなかった親父の笑顔が頭に浮かんだ。

もし、それが起こっていれば親父が死んで8年も経って、おれは夜中に伝えようのない愛情を持て余すこともなかった。

#日記 #エッセイ #コラム #無職 #親父 #2歳児

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