となりのひと

文章を書くと自分自身救われることが多いので、たまに書きます。 『生きてるだけでいい』と…

となりのひと

文章を書くと自分自身救われることが多いので、たまに書きます。 『生きてるだけでいい』と思える人を増やすこと&『なんかここに来ると安心するな』という居場所を作るのが目標です。

最近の記事

元気がないと

・眠れない ・めちゃくちゃ夢をみる ・起きられない ・本が読めない ・「~したい」欲求がわかない ・「~したくない」は多くなる 元気がないというより、 考えすぎて思考がショートしてるときというか。 最近気づいたこと。

    • 思い出はいつも

      思い出をおもいだすとき、いつもそこには自分の感情が一番に思い出される。 言葉で言い表すことができる感情は少ないんだけど、なんか嫌だったなとか、バレないようにドキドキしているとか。 相手はそのときどんな表情だったかな?とか、 あの人は何を言ってたんだっけ?とか、 そういうのはほとんど覚えていない。 …あれ?これって、自分のことしか見えてなかったんじゃないの?? って、ハッとした。 わたしって自己中の中の自己中なのでは?? 「相手に嫌われたくない」 「好かれたい」 「出来る

      • 恥ずかしい…

        部屋の段ボールの中には、かつて自分が奮起したタイミングで書きなぐったノートの山。 なにかと思うことがあると、すぐ新しいノートに書き出す。 恥ずかしいのは、そのノートがどれも半分に到達するかしないかで終わっていること。 つまり夢も目標も、道半ばで宙ぶらりんになって止まっているということ。 しかも、大体どのノートも、『カウンセラーになるぞ』と意気込んで始まっている。 結局自分ってそれだけやり遂げる能力?努力?勇気?がないのだ。 このブログも、書くぞ!と意気込み、去年で止まって

        • ふと。

          わたしはずっと、『自分ってこういう人間(性格)だ!よし、こう生きよう!』って思う決定打というか、ポイントを探し続けていたんだけど、これって不可能なことだな??とやっと気づいた。 もちろん、生まれ持った性質や性格は誰にでもあるんだけど、それ以上のことって年齢や環境によって常に変化するものだよな。 何が好きとか苦手とか、変わっていくものだから、「あれ?これ(この人)意外といやだなあ…」とか「意外と出来るかも??」ってなるのは普通のことだよね。 生きるって、ある時点で決めつけ

          記憶

          ネット上に震災の記事が溢れる時期がきた。 毎年この季節は胸がざわざわする。 悲しくなって涙が止まらなくなることが分かっているなら読まなきゃいいのに、読んでしまう。 記事の一つひとつに涙が止まらないし、今も心の辛い人がたくさんいると思うとわたしも心がどんよりする。 北国生まれなので昔から東北には勝手に親近感を抱いており、近いけど遠い親戚というか、同志というか、そんな感じ。甲子園では自分の地元と東北勢を応援する。 関西の大学在学中だった震災のときは、奇しくも旅行中で東京にいた

          読書メモ✏️

          前記事に続き、加藤諦三先生の著書を読んでいた。 正直こんなにも読み進めるのが辛い本ははじめて。 何故かというと、自分の本質を見抜かれているから。 そして、生まれてからの数十年という歳月を、自分は何をしていたのか?と思わされるから。 もっと早く読んでおけば良かったと思わされるから。 最後の章で書かれていた 『結局あなたは何も自分の眼で見ていないし、何も自分の頭で考えてはいないかもしれない。』『実際は逆が正しいのである。』という一文に、ダメージを喰らった。 これは多分当たって

          読書メモ✏️

          読書メモ✏️

          尊敬する加藤諦三先生の著書に 『低い自己評価からくるさまざまな悩みは、自分が本当に好きになれる人とつきあうことで、すべて解決がついてしまうのである。』とあり、本では 自分が本当に好きになれる人=実際の自分を受け入れてくれる人 となっていて、これは真実かもしれない…と思った。 自己評価を上げるには、自分に自信を持つことが不可欠だと感じているけど、自信なんて沸いて出てくるものでもなし、なにか行動を起こして、それで『自分、よくやった!!』と思えないといけない。自己評価の低い人は、

          読書メモ✏️

          幸せは人それぞれ

          テレビ番組『家、ついていってイイですか?』を毎週楽しみにしている。 昨日放送された家族のお母さんも仰っていたが、いろんな人生を知るのが好きだ。一見何も不自由なさそうな人でも、話しを聞けば壮絶な過去だったり、辛い何かを背負って生きていたりする。おそらく街中ですれ違っても何も感じないであろう赤の他人でも、話しを聞くと親近感が湧いたりするのだろう。それをテレビを通して感じられるのがとても面白くて好きだ。 昨日放送された方が、『幸せは人それぞれ』ということを仰っていた。 わかっ

          幸せは人それぞれ

          はじめる

          昔からずっと、心の奥に『人の支えになりたい』という気持ちがあり続けている。 どんな仕事も人の支えにはなってるよね、とか 経験が無いから、いきなりは無理よね、とか どこか自分に言い訳をしながら、色々な仕事をしてきた。 でも、どんな仕事に就いてもその気持ちが引っ掛かっていたし、消化されることも無かった。 経験ってとても大切だけど、それは始めてみてからでも遅くない。 わたしは始めてみないとダメなタイプなので、とにもかくにも始めよう。 これからたくさん色んな人の話を聞いて、心の

          ふりかえり

          ここ2週間ほど、かつてないくらい落ち込んで、立っているだけでも辛い、みたいな毎日だった。 理由はいくつかあった。 落ち込む理由がしっかり分かってたのは唯一の救いだったのかもしれない。 で、今回初めて気付いたけど、落ち込みすぎてどうしようもないとき、わたしは紙に文字で気持ちを書くことに走るのだった。『どうしよう、どうしよう、書かなきゃ落ち着かない』って気持ちになる。 気持ちが落ち着いてきて、やっとこうやってnoteに打ち込めるけど、その前の段階では、やはり“紙にペン”なのだ

          夢って無くちゃダメ?

          最近引っ越しをしたので、新たに仕事探しをしている。 転職回数は多い方だし、業績もないし、大学でせっかく取った資格は全く活かせていない。 20代前半は自分のやりたい仕事がイマイチわからず、とりあえず経験が大切だろうし、興味のある仕事に就いてみようと思い、色々やってみた。 でも、自分の家庭ができて、将来のことを考えていたら、そろそろ腰を据えて働かないとかなぁ…と思い始めて、長く働けそうな場所を選ぶようになった。 夫は優しいので、「働きたいところで働いたらいいよ」と言ってく

          夢って無くちゃダメ?

          言葉

          悲しい世の中だなぁ。 最近、自粛生活のストレスが溜まっているせいか、SNSでの争いが多い気がする。個人のつぶやきに対して、政治に対して、批判する意見には必ずそれを批判する意見がぶつけられ、口を出した芸能人や有名人にはもっと酷い意見がぶつけられている。『意見』はぶつけていいと思う。もちろん、言い方は考えて。でも、その人の意見にではなく、その人自身を批判したり、つるし上げたりするのは違うよ。あと明らかな悪口。読んでて不快だ。 わたしはSNSだけでなく、実際の生活で人に対して怒